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こうして伝統は途絶えて行くのかな。

婚礼に備えて自分の留袖を広げてみた。

30年前に作ってもらった留袖を妹弟の時に着て以来仕舞ったまんまになっていた。幸い良い状態で保管できていて娘の結婚式にも使える。柄は選んだ時も今も変わらず気に入っている。

吊るしてある留袖を珍しそうに見た娘が紋に興味を示す。関西では母方の紋を娘が引き継ぐので、付いているのは私の母の紋。ということは母の母がその実家から持ってきたもので、ということはその生まれた家は…

「ということは全然知らない人の紋をつけるの?」

と娘。全然知らない人じゃありません!その人も私たちのご先祖さまの一人です。

というわけで紙を広げて家系図女版を作成してみた。大抵家系図は男性中心で女の人は他所から来た人で、女性中心に遡ると苗字が次々と変わるのでこんがらがってしまう。血のつながりの濃さは同じというのに不思議な話。

私にしたところで母の里と祖母の里の苗字はわかるがその上はよくわからない。でも私たちはそのよくわからない苗字の人の子孫であって、血を引き継いで今ここに生きていることは間違いない。どんどん遡ると人類皆兄弟、というわけですね。

留袖の紋は五つ入っていて背中がご先祖さま、両袖が兄弟、両胸が両親を表すという。最も格式の高い礼装だ。両親が作ってくれた留袖を娘には作らなかった。周りを見回しても娘の結婚に着物を持たせた人の話は聞かなくて、管理も大変だろうから必要な時にレンタルすれば良いと判断した。多分今はそういう風潮だと思われる。

女紋も関西だけの習わしなら今住んでいる土地や、娘の結婚相手の方の地域ではどれほどの意味があるんだろう。こうして少しずつ伝統というものは人々によって淘汰されていくのか、淘汰した本人としては無念な、ちくりと痛む気もある。都会のマンションで一生に何度も袖を通さない和服を置いておくのは合理的ではない。いつか、私の留袖を娘たちが着られるように大切に仕舞っておこう。

冠婚葬祭そのものが簡略化して行く中、結婚式を挙げるということだけでもたいそうなこと。無事その日が迎えられるのことを今は願っている。

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