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noteがやっぱり好きかもしれない

仲間内でnoteを楽しみ始めた方がいたので、約2年ばかり放置していたこの墓場のようなnoteアカウントを久々に開いてみた。3件ばかり自分の書いた文章があった。

今となってはもう別人が書いたように思えるそれらの投稿に不思議なほど愛着がわいて、おもしろい!と思った。

それで決めた。「note再開しよう!」

noteがやっぱり好きでnoteを再開する私なりの理由を書いてみる。

①そこはかとなく漂うネクラ感

私は今年の春、心理カウンセラーとして起業した。その頃からずっと続けていたXで遊ぶことも少なくなりせっせとインスタ発信を始めた。

noteに帰ってきて真っ先に認識したのはインスタの世界は自分にはちょっとまぶしすぎるということだった。

そもそも私は視力が悪くて、両目ともに0.4あるかないかで、メガネもコンタクトもしていないので、正直よく見えていない。ぼんやりとした世界に生きているので、たまに運転などでメガネをかけると、くっきりして彩度の高い世界に慣れなくてクラクラしてくる。ぼんやりくらいがちょうどいい。

noteはとってもぼんやりしている。誰が何の目的で発信しているのかなんて、よく分らないし、たぶんnote民の多くが明確に目的を持っていない。

それが私には心地よいのだと思う。note民の多くは表にはあまり出せない自分の中の影の部分をかっこつけずにそのままnoteに表現する。その感じが私にはとても愛おしくて共鳴してしまう。

②陰キャと陽キャが手を組んだ

・facebookとインスタ=陽キャ
・Xとnote=陰キャ

ビジネスのためなど明確な意図をもって発信されているのがfacebookとインスタの世界で、巷ではそこに住む人たちは陽キャと言われたりする。

それに対して、Xとnoteの世界は普段日の当たる場所に身を置きながらも、どこかで暗い部分を発散させたいネクラ族で陰キャとくくられる。

以前私は、これらの分類を二項対立と捉えていた。何も対立して戦争しているわけじゃないのに、自分の中で勝手にあちらの世界とこちらの世界と線引きして、
「あっちには行けない」「あっちには住めない」と
どっちかというと境界線の向こうを斜に構えて見ている時期があった。Xを始めた頃のこんなツイートが物語っている。

陰キャ的私のX投稿

この投稿を今の自分が見ると、確かに書いた記憶もあるしその当時の心境もよく分るんだけど、ちょっと違う次元に自分がシフトしていることに気づく。

今はインスタもそれなりには楽しみつつ、noteやXでも遊ぼうと思っている。つまり自分の中の陽キャと陰キャを二項対立ではなく、
「対称性=シンメトリー」で捉えるようになっているんだと思う。
光があって影があるように。光と影は対立ではなく、光があるから影があり。影の領域があるから光という存在がある。みたいに。

というわけで、インスタの私はビジネス上の看板を掲げた私でもあるしnoteの私はその中にいる人という意味で、それもむちゃくちゃ私なのです。私はその両面を行き来して、しまいには表も裏もなくクラゲのようにこの世界に自由にただよう人になりたいと思っている。

③意識の世界と無意識の世界

facebookとインスタ、そしてXとnoteの親和性が高いのはそれぞれが「意識の世界」と「無意識の世界」にすみ分けられるからなのだと思う。

facebookとインスタでは多くの人が意図をもって意識的に発信している。映えるように自分をブランディングさせながら明確に誰かに目的を持って発信している。

それに対してXとnoteの世界は、無意識に近いつぶやきでありぼやきであり気の向くままに発信されている現代の徒然草なのだと思う。素晴らしいのはXにはリポスト機能があり、古典のように無限に伝承されていくこともある。

この意識の領域と無意識の領域こそがやはり対称性の世界そのもので、お互い打ち消し合うことのできない存在で、どちらかがあるからどちらかが成り立つのである。

そして、意識と無意識という人の心の領域のバランスで言うと、意識の領域は約1割、無意識の領域は9割以上と言われていて、無意識の領域にこそ膨大な情報がつまっている。そこに人は未知の可能性や才能を秘めている。だからこそ、心理学が私はやめられない。

Xとnoteで投稿されているのが人の無意識の領域にあるような内容だとすると、それはとても重大な人の英知の宝庫であり、無限の可能性を秘めた「アカシックレコード」的存在なのかもしれない。

実際、なにか困ったことがあってネットで調べまくっても解決しないようなことがXで調べると一発だった!という経験が私には何度もある。X恐るべし。

というわけで、私はインスタもnoteやXも両方楽しもうと今思っている。

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