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わたしは、農を自分が生きるフィールドにすることに決めた
東大という、望んである程度の努力をすれば、社会的地位も高収入もトップレベルの職業も手に入る場所にいながら、わたしは、農を自分が生きるフィールドにすることに決めた。
中高時代の原点
中学生のころから、大量生産大量消費への違和感があった。
親が学生時代に買った扇風機が問題なく動いているのに、2年前に買った高性能の扇風機がもう壊れてしまって、修理は難しい言われた。これだけイノベーションが進んで高度な技術があるのならば、3D立体首振りを搭載するのではなく、100年壊れない耐久性を搭載することもできそうなのに、そんな製品はどこにもない。
企業が利益を上げるためには当然のことだ。一つの扇風機が100年使えたら、すぐに扇風機市場は飽和してしまう。
そんな社会への違和感から、高校時代はプラスチック問題に取り組む学生団体を立ち上げ、企業と協力してリサイクルイベントなどを運営していた。「環境破壊」や「プラスチック汚染」、「サーキュラーエコノミー」という言葉を掲げ、歯ブラシのリサイクルや周りの高校生の意識改革を通して、モノをその寿命だけ最大限使うことのできる暮らしを目指した。
しかし、どんなに知識を増やしても、行動を起こしても、常に上辺をなぞるだけでしかない感覚が消えなかった。結局見せ方を変えただけだったり、他の側面での環境負荷が大きくなっていたり。私は目指したい社会がわからなくなっていた。
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アメリカの農場での出会い
そんな中、私は偶然アメリカの農場で2週間過ごす機会を持った。農場の方とおしゃべりしながらのいんげんの収穫も、汗だくになったじゃがいも掘りも、羊を追って移動させるのも、すべての仕事が楽しくて、心地よかった。朝は鶏の鳴き声で起こされて、その日に採れた野菜を両手に毎食メニューを考えて、みんなでおいしい!と連発しながらご飯を食べて、週の終わりにはキャンプファイヤーしながら語り合って、へとへとに疲れてぐっすり寝て。ああ、これが私にとっての幸せだ、と、すっと心に落ちていった。
あの農場で、私は自分の価値観を取り戻し、初めて認識したのだと思う。社会への違和感を「プラスチックフリー」や、「脱炭素」や「環境に優しい暮らし」といった言葉で表そうとして、その言葉に振り回されていたけれど、自然と人間との境界線に位置する農という現実から、自然と人間の関係性を思考すればいいのだ、と気づいた。
どろんこ村のインターン生になる
さらに農業に関わりたいと思い、学校の長期休みに農業インターンを探し、私は渥美どろんこ村に出会った。1回目の滞在は2週間。ひたすらキャベツとブロッコリーの収穫をし、草取りをしながら、社会のあり方について、自身の意識の見つめ方について、おじちゃんと議論し続けた。どろんこ村では、都市の生活では見えづらくなっている命の循環が、時には目を覆いたくなるほど顕になっていた。誰がどう作っているかもわからない電気ではなく、木や竹から自分でエネルギーを取り出し、エネルギーを使いすぎている現代の異常さが感じられた。そんな農の暮らしの現場で、私は、自分が地球の循環の中で生かされている存在だということを再認識した。その原点に立ってみれば、持続可能な社会を目指すことも、誰もが対等な関係性を築くことも、とても自然なことに思えた。農の暮らしはただ心地よいだけでなく、一人一人の意識を変革するフィールドであることに気づいた。
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繰り返しどろんこ村に通い、新規事業をともに構想していく中で、東大卒なら手にし得る地位や収入や贅沢な生活には一切の未練もなくなってしまった。田舎の有り余る資源を使ってゼロから自分の手で事業をできることは、いかに高度であろうと極限まで細分化された都会の職のやりがいとは比べものにならないくらい楽しい。言葉をいじって都会で環境問題に取り組むよりも、農を通せば確実に現実を変え、人々の意識に強烈に働きかけていくことができる。確かに収入は減るかもしれないけれど、米の高騰が起こってもどこふく風で自給しているお米を食べる農的な暮らしの方が、生きる最低限のことに関して保証はされている。贅沢なんてお金で得られるものではなくて、その日にとった新鮮な野菜を一緒に働いた仲間とお腹いっぱい食べることが、私は一番幸せだ。
農村資源を活用することで循環する暮らしをつくり、広げていく存在になりたい。
そのために今できることに全力で取り組もう。