『ID10十』が届いた話。〜今にもRIOTが起きそうな、QUIETな世界で〜
ドレスコーズ改め"志磨遼平"の、メジャーデビュー10周年アルバムが届いた。
("周年"と打とうとしたところ”執念”という誤変換がなされたわけだが、
確かに10年も(メジャーデビュー前から数えるともっと長い年月)これだけ鮮やかな音楽を生み出し続けてきているのは、もはや執念という言葉がふさわしいとも思う。)
今、宅配便でものが"届く"ということも、私が生まれてこの方、今までにない重みを含んでいる。
2020年4月14日。東京は「緊急事態宣言」なるものが出されており、
外出自粛、#stayhome、たくさんの店が休業し、ライブや演劇などのイベントは片っ端から中止や延期、といった異様な事態の真っ只中である。
……とまあこんな文章を打っている間にも、まるでSF映画さながらのフィクションを綴っているような気になってしまうのだが、
普段は半分フィクションのようなことをこの場に綴っている私にとっても、これは全くの現実であり、今目の前で、すぐそこで、肌で感じている出来事である。
私はぼぼ毎日家の中におり、3日に1回程度、食事の買い物をしに外に出るという生活をしているが、
仕事柄外に出なければならない人、最前線で戦い続ける医療現場の人、混乱や人間の醜さと戦うドラックストアの人、生活に困窮する芸術家たち(そして声を上げることで迫害される音楽家たち)
他にも、書ききれず、私が認識できていない、まだまだ知られていない、苦しい状況にある人々もたくさんいるだろう。
そしてこの期間、ウイルスの恐ろしさはもちろんだが
それと同じくらいに、人間の恐ろしさ、醜さ、今まで見えなかったものが一気に顕在化された。
もともとこの世界は(自分の手で何かを起こさない限りは)最悪だと思っているたちだが
それの比ではなく、吐き気がするようなものをたくさん見た。
想像力の無さ、他者を理解しようとする姿勢の無さ、何より芸術家とその周辺がいかに世間から理解されずに嫌われているかということ(ただし、それに従事している全ての人間が、芸術家あるいはそれに付随する人に値するとは言っていない)
だがそれと同じくらい、行動する人間の美しさ、素晴らしさ、温かさ、芸術の持つ力を強く感じることも多くあった。
それは発信力のある人に限ったことでもなく、些細なことも含めてだ。
今この文章は、誰かに何かを伝えたくて、何かを主張したくて書いているわけではない。
生まれて初めて体験する、そしてきっと今後体験することのない(と切に願う)この稀有な状況を、この今の気持ちを、書き記しておこうと思って筆(ならぬタイピング)を走らせている。
幸い私は家でできる仕事があり、"これからがいいところ"と勢い付いていた我がバンドのライブ出演が全て流れてしまったことを除いては、普段から引きこもり気質なこともあり、あまり不自由なく生活できている。
(こんな余裕でnoteを書いている姿を疎ましく思われてもおかしくない。それくらい困窮している人々がいるのはきっと事実だ。だから微力ながらに支援できることはしている。そして不謹慎かもしれないが、ここで人生の時間を100%音楽にかける生き方をできていない自分を後ろめたく思ったりもする)
ただ、毎日、平気なふりをしながら、そして様々な芸術に力をもらいながら、ただどうしても振り払えない空気と不安が目の前に広がっている。
今日、最も愛している音楽家の記念すべきアルバム『ID10十』が家に届いたことで、その想いが堰を切ったようにあふれてきてしまった。
それは彼の作品や声から受けた安心と愛しさからであり、今まで当たり前に享受していた感情のフラッシュバックからでもある。
その感情をざっとスマートフォンに連ね、140文字つづに分けて言葉を削りながらTwitterに残したわけだが、
あまりにも長い文章になっていたため、こちらに改めて原文ままで綴っておくことにする。
*
開いたよ IDIOT
QUIETの盤面かわいすぎでは。そして写真の美しさよ……
そして今日の私の服の柄ちょっと似てるぜいえーい
本当ならわくわくしながらこのアルバムを開いて
10年、そして明日のことを想いながら聴いて、明日は何を着て行こうかなんて想い巡らせながら眠りについていたんだろうな
みんなが心踊らせながら中野に集って
緞帳が上がるまでのあのなんとも言えないそわそわ、わくわく、どきどきした気持ち
はじめてのデートの待ち合わせで相手が来るのを待ってるみたいな、そんな感じ。
そしてはじまる、今この世界で一番美しくて幸せな時間が流れてる場所はここである、と何の疑いもなく言えてしまうような、そんな一瞬の魔法のような時間。
そんなとても特別でいつもそばにあった空間が
今はいつかの夢のようで、今のこの世界には確かに存在しなくて
いつ戻ってくるのか、あの頃のようにそのまま戻れるのかも、見えない。
実際の今、このCDは
そんなことに想いを馳せながら、大丈夫なふりしてるけどどうしてもどこかおかしな空気の世界の中で
安心する気持ちと、少しでも生きようとする気持ちを与えてくれるものに変わっている。
それはそれでとても特別で素敵なこと。
もしこのまま音楽や芸術が元に戻らなかったら(そんなことあり得ないと信じているけど)この先、生きてく意味ないなとか、
結構本気で思ってしまうくらい根底にある感覚が偏っている人間なので
こういうものが届くことがとても嬉しいしありがたいのである。
昨日の演劇配信だって、タイムラインで流れてくる歌の数々だって。
そしてこのCDを届けてくれた配送のみなさんも。
本当にありがとうございます。
そして来年の3月に先延ばされたその日を、無事にその日を目の前に迎えた時のことを想うと、ものすごく心躍る。
きっと今の想像を遥かに超えた、今まで感じたことのない、とても幸せな感情に満たされるんだと思う。
こんなことなかなか体験できないぞ、楽しみだね!
生きよう。
とかいうセンチな自分はここまでにして、
これから未来のために曲や詞をたくさん書きます。
うちのメンバーからどんどん新曲が上がってきているのである。
新しいこともいろいろ待っているのである。
長えよ!重いよ!と言ってる私がいる。
(基本二重人格なのよね。なので切り替えが早いし、たぶん比較的器用に生きている。それがあまり好きじゃないけど、良さだとも思ってる)
けどこんな気持ちになる機会、生きててなかなかないので記しておきます。
2020.4.14
*
早く春が来て、世界が元に戻ると(さらにいい意味でいろいろ変わっていると)いいね。
それでは、また。あなたをあいしています。
(ふと"本と音"を見返して思ったけど、私が父親に手紙を書くときの締めはいつも「それではまた、手紙を書きます。」だったことを思い出した)
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