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パリピすぎるルームメイト5人vs1人で戦って世界最大の蒙古斑が出来た話

オランダ1年目の8月。つまり、私が渡蘭して1ヶ月後の出来事である。私はオランダ1年目の時ことごとく不運に見舞われて10回引っ越しをした。今回はそんな数ある引越し体験記の記念すべき第1回目の引っ越し事件についての物語である。

その家は、6人シェアの三階建てだった。私以外の5人全員が同じ某有名ファミレスチェーンで働いていて、全員がアルゼンチン人だった。(どアウェイ)

アルゼンチーナに偏見はない。というか人生で初めてのアルゼンチーナだった。しかし彼らは物凄くパリピだった。やはり温かい地域の人間はパーティ好きというイメージがなんとなくあったが、まぁそれを地でいっているような5人ではあった。

リビングのベランダには無数のマリフ◯ナがガーデニングされていて、パーティが毎晩のように繰り広げられていたが、特に音楽がうるさかった日の翌日はマ◯ファナが根こそぎ無くなっていた。

まぁたまったもんじゃない。普通に寝不足である。何回か既に注意済みだった。「ちょっとボリュームさげてくれる?」

すると彼らはフレンドリーに応じたかのように見えた。「ああ、もちろん!」と。

しかしボリュームは気持ち下がったくらいでそこまでわからなかった。

そんなある日の朝。私は2週間ほど寝不足に苛まれていて、ストレスの限界を迎えていた。もうすでに2回ほど注意している。ついでにもう大家にチクり済みである。大家は私に「隣の家から苦情が出たので静かにするように」と伝えておくと言っていた。

そんなある日、私は早朝4時に爆音の音楽で目が覚めた。またパーティをしている。

私はついに、キレた。
まだ眠くて頭が冴えてなかったから、視力が悪いにも関わらず眼鏡をかけるのも忘れて、怒りに任せて階段をダーッと一気に駆け降りた。何も考えてなかった。とにかくもう限界! 一発言わないと気が済まない!という本能に近い勢いで階段までダッシュしていた。すると起きて0.5秒で走り出した私は体が全然目覚めていなかったらしく、勢いよくずっこけた。

それはもう、とんでもなくずっこけた。
階段を勢いよく踏み外し、あとはもうお尻がバウンドして5段くらいケツで階段をバウンディング落下した。

そして最後は、そのままパリピ5人が居るリビングにズザーッ!と、ヘッドスライディングで登場してしまったのである。

「穴があったら入りたい」
という日本語はこういう時に使うんだ、とことわざの重みを知る。

はずい。はずすぎる。けど怒っている。私はこんなことじゃ挫けないぞ。今日こそこの怒りをぶつけてやるんだ!

「怒っている時、人は怪我をしやすい」
と何かで読んだことがあるがどうやらその通りらしい。

あんなにパリピだった5人は、何事か状況がすぐには理解できなかったらしく目をまんまるにして、音楽をとめ、固唾を飲んでこちらを見守っていた。

「…Are you ok…..?」

怒るはずが心配されてしまった。マジでドン引きした顔で全員がこちらをみていた。
まるで突然起きた怪奇現象に混乱しているかのように、幽霊かなにか、そこにあってはいけないものを見てしまったかのように、怯えた顔で5人は私をみていた。

恐らく私のケツバウンディーの音がこのパリピ達の爆音を凌いだんだろう。きっと地震を経験したことのない彼らにとってどんな種類の自然災害が起きたのか予想もつかなかったのかもしれない。ましてや階段から人が降ってくる(天災)なんて…。

私はそれでも切り出した。

うるさすぎるんだよ!と。
いつも注意してるけどこんなにうるさかったら私は寝不足でいつか倒れる。君たちには出て行ってもらう。もう大家に話したので。

と言った。
すると男3人に囲まれて、はぁ?お前大家にちくったのか?ふざけるな、15歳の子供かお前は。

と言われたので、
15歳以下はそっちでしょ。注意何回もしたのにやめなかったんだから当然。私はちゃんと忠告した。自業自得でしょ。とにかく明日以降また夜にうるさい日があったら1週間以内に出て行くよう大家に頼んでおくから。

そういうとまた喧嘩になったが、散々言いたいことを言ってスッキリして、私は寝た。

この話を友達にすると、「そんなんもし殴られたりしたらどーするの!やめなよ!」とか心配してくれるのだが、なんか私はそういう時に怒りが勝っていると恐怖心があまりないらしい。

次の日、散々私に吠えた男は何故か朝におはようメッセージを送ってきて、なんか機嫌取りっぽいことをしてきたが、旧態依然としたパリピ体質に変わりはなさそうだったので、大家には再度チクリをいれておいた。

朝起きて、お尻の痛みはあまりなかったので安心していたのだが、一応鏡でチェックしておこうと思って鏡を見ると…

信じられないくらい大きな青あざがお尻の大半を埋め尽くしていた。それは紛れもなく、世界最大の蒙古斑の姿であった。

その写真を思わず女友達に写メって送っておいた。
パリピ5人と戦った戦痕として。もちろんその写真はのちに語り継がれるウォリアーの姿として今も大切に携帯に保存している。

ほどなくしてその5人組は6ヶ月後に強制退去を命じられ、その件で逆恨みされてまたある夜リビングに呼び出されて囲まれたが、「栽培されてるマリファ◯の写真(家庭栽培OKなのだが、規定の株数を超えていたため)を警察に送るぞ」と脅したら急に優しくなったので、そのまま寝た。

噂によるとその5人組は次の家が見つからず、帰国したり、別の国にいったりバラバラになったらしい。Badass5人組、解散のお知らせである。

ざまぁ、と心の中で中指を立てる。

これが私のオランダ1年目、のちに10回引っ越すこととなる波乱の幕開けである。

おしまい。


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