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「私オランダもう無理です。帰国します」パニクった時に救ってくれた恩人の話
「私帰国します。頑張れませんでした。一緒に頑張ろうって話したのに約束守れなくてごめんなさい」
オランダで迎えた最初の冬、2月。
雨でびしょ濡れのまま、泣きながらスーツケースを持ってセントラルステーションのスタバの前に、私は立ち尽くしていた。
今思えば、オランダ1年目の私の精神状態はかなりギリギリだったと思う。着いた瞬間から予期せぬことが次々に起きて、立て続けに災難に見舞われたから。
しかし当時を振り返ると、そうでなければ出会えなかった素敵な人たちとの出逢いが必ずあって、不運が降りかかった時には、温かく大きな心で助けてくれる人たちがいた。
今日はそんなオランダで出逢った素敵なひとの話をしたい。
オランダに来て6ヶ月ほど経った時、私は一度本気で帰国を決意したことがある。
駅に突っ立って、私はある人に電話をしていた。
同じ時期に日本からオランダにやってきた、唯一、一緒に頑張りたいと思えた、オランダで最初に出会った”戦友”のような存在、それが着物を300着オランダに持ってきてヨーロッパで着物ビジネスを展開しようとしていたトリコさんだった。
当時、すでに引越し3回目だった私。オランダにきて早々、初っ端から立て続けに色んなことがあって割とギリギリのメンタルで生きていたのだが、常に次の家探しをせねばならず、とにかく心の休まる時がいっときもない1年間だったのだけはよく覚えている。というか一生忘れないと思う。
2回目の引越しのあと、1番最初の家を紹介してくれたイラク人のおじさん(60歳くらい)にもう一度家探しを依頼すると、もうどこもないと言われて、代わりに自分の家の部屋がひとつ空いてると言われて、そこに住むことになった。
しかし、1ヶ月ほどしか住ませてもらえないことになっていたので、必死に次の家を毎日探した。1日100~200件メールを送った。しかしそのうち返事が来たのは2件ほどで、そこに返信をすると今度は返ってこない。内見までいきかけたりもしたが、ドタキャンされたりで、来る日も来る日も家探しをしたが、今度ばかりはどーーーーしても家が見つからなかった。
仕事も探していたのだが、30件くらい英語の履歴書を送って全て落ちていた。その頃から自分のビザでは普通のところに雇ってもらうのはほぼ不可能と悟り始めていたが(個人事業主ビザだったため、本来雇われてはいけないのだが、業務委託という形なら雇われてる風でもいけると思っていた)、正直こんなに難しいと思っていなかった。
そんなまま、とうとう出ていかなければならなくなった当日の朝。
そんな日の朝に、追い討ちをかけるかのようにプライベートである事件が起きた。ちょっとここでは書けないようなことなのだが、それで、それまでなんとか保ってた私のメンタルが完全にやられた。
約束の日だったので、私は部屋を出て行くことになるものの、頼れる知り合いもおらず行く宛がない。
それまでは、出ていかなければならない当日まで家が見つからなかったにも関わらず、「絶対になんとかなる」という根拠のなさすぎる謎の自信がまだ若干残っていた私だったが、なんか最後のその追い打ちが物凄くメンタルにきて
その日中に家が見つかるのは不可能、と急にネガティブというか、弱気というか、現実的に思い、私はパニックになった。
「どうにかならなくても、どうにかする」という気力がなくなってしまったのだった。
家が見つかるとか以前になんかもう全てがどうでも良くなって、もう本当に無理。っていう気分になってしまった。
とりあえず出ていかなければならないので、荷物をまとめて、行くあてもなく私はセントラルステーションに向かった。
なぜかそんな日に限ってオランダの天候は物凄い大嵐の日で、確か何十年ぶりかのカトリーナ?的な名前の嵐がきてて、雷はバリバリ鳴り響くわ、雨はザーザー降るわ、風で吹き飛ばされそうになるわで、まさに泣きっ面に蜂。
風が強過ぎて傘は速攻でバキバキに壊れて、私は信じられないくらいずぶ濡れになった。
めちゃくちゃ寒くて、ガチで死ぬかと思った。信号待ちで震えていたら、なんかふと悔しくて涙が出てきた。
「こんなはずじゃなかった…。私、なんでオランダ来たんだろう? てか、もうゲームオーバーなの? 最初うまくいかなくてもせめてもう少し頑張りたかった…。でも住む家がないと1日も私はここにいれないんだ」
屋根があり、お風呂がある家がどれだけ特別なことなのか、そのありがたみを骨の髄まで感じた気がした。生まれた時から自国民というアドバンテージに加え、日本という恵まれた国で生まれ育った自分のの生活を振り返る。
あれは当たり前なんかじゃなかったんだ。とんでもなく贅沢で恵まれた環境だったんだ。こんな嵐の日に外で屋根のない場所でなんて一晩も自分は過ごせる自信がない。
今夜外で過ごしたら本気で死ぬかもしれないと思った。そのくらい外は寒かったし、びしょ濡れだったし、雷も怖かった。
身も心も冷え切っていた。てか、普通にめっちゃ寒かった。
オランダにやってきて、住むはずだった家がダメになりなかなか探しても見つからなかった当初は
「最終的に教会に住んでやる」(住めるのか知らないが)とまで思っていて、気合が入っていた私だったが、その時はなんか本当に心が折れた。
「もう、私頑張れないかもしれない」
ちょっと衝動的だったかもしれない。色々、積み重なってたんだと思う。
そして帰るためのチケット代もないので、とりあえずクレジットカードで借金するしかない。あとのことは帰国してから考えよう、と思っていた。
そんな時、唯一連絡しておかなきゃ。そう思ったのが、着物屋のトリコさんだった。
トリコさんとはオンラインミーティングで出会った。オランダにきて1ヶ月で全計画が崩れ、知り合いが1人もいなかった私はネットで見つけた個人事業主オンラインミーティングなるものを見つけて参加してみた。その日、15人くらい画面上にいた中で、1人だけ明らかに気合いと気迫の違う着物をバシッと着ていた女性がいた。私はこの中でトリコさんとだけ友達になりたい、と思った。
そして自分からあとでDMを送った。
そんなオンラインミーティングがあった2ヶ月後。2022年1月1日に私は、YouTube撮影用にトリコさんに着物をご依頼した。特別価格で着付けしていただき、その時初めて対面でお逢いした。
物凄く可愛い子供達がいて、トリコさんは画面上で見るよりも美しくて華奢な方だった。
こんなか細い女性のどこに4人の小さい子供(当時1歳、4歳、6歳、7歳だったと思う)を連れてオランダまで移り住むパワーがあるんだ、、、。
私は衝撃を受けた。
それから、トリコさんとはDMでやりとりをしながらいろんなことを話した。トリコさんは凄く真っ直ぐで、温かくて、素敵な女性だった。
それに、オランダで頑張っていくんだ!という決意が、明らかに他の人とは違って感じた。
そんなトリコさん。何があっても結果残すまでオランダで頑張ろうね!と約束したトリコさん。彼女にだけは帰国することを話さなくちゃ…。
パニック状態ではあったが、トリコさんにだけ話しておこうと思って電話をしたしだいだった。
するとトリコさんはこう言った。
「マリーちゃん!どうしたの?!声色がいつもと全然違うじゃない!今のマリーちゃん、きっと普通の精神状態じゃないから、いったん落ち着こう」
「とりあえず部屋余ってるから泊まりにおいで。それで2日、3日泊まってみてそれでも帰りたいなら帰国したらいいじゃない」
4人も子供がいる家に泊まらせてもらうなんて、想像もしてなかった。めちゃくちゃ迷惑じゃん、、、。だけどトリコさんのその言葉は、完全に意気消沈していた私にとって、一筋の希望の光でしかなかった。
私のメンタルはその時フワッと落ちついた。
トリコさんの家…? めっちゃ行きたい…。ていうか今、トリコさんとあのピュアな子供達にめちゃくちゃ会いたい😭 そう思った。
ずぶ濡れのまま、トリコさんの家に向かった。
ついたのはもう夜だった。子供たちは待っていてくれて、優しく出迎えてくれた。
温かい飲み物まで出してくれて、心がホッと落ちつく。
きっと今回のことだけじゃなくて、オランダに来た途端全ての計画が崩れてしまったこと、頼れる知り合いがいない中で他人と急に住むことになって、毎日仕事に応募してるのに落ちまくっていたこと、次の家も見つかる目処が立たなくてこの先どうしたらいいかわからず不安だったこととかも含め、いろいろ溜まっていたのかもしれない。
そしてその日の晩、私はトリコさんの家に泊まらせてもらった。しかしその夜、何を話したかはあまり覚えていない。
だけどとりあえずトリコさんと子供たちに会って話ができただけで凄く落ち着いたんだと思う。
その次の日、私は早くも、やっぱりまだ日本に帰りたくないなと思っていた。
トリコさんは子供達に夕食の時にこう聞いた。
「マリーちゃんに、しばらくこの家に泊まってもらおうと思うんやけど、どう?」と。
すると子供達は「いいと思う!わーい」とすぐに受け入れてくれた。
凄く嬉しかった。
そして私はトリコさんのおうちで約2ヶ月お世話になった。今思うとあれは本当に貴重な期間だった。
あんなに小さな子供達とあんなに長い期間一緒に暮らしたことは人生で初めてで、戸惑いと学びと愛しさの連続だった。子育てってこんなに大変なんだ。精神的にも体力的にも。とその時初めて知り、トリコさんの苦労と自分の親、世の母親の偉大さを思い知った。それから子供が大人にもたらしてくれる、えもいわれぬ幸福感も知った。知らないうちに色んなことに傷ついていた私の心は、2ヶ月でとても癒された。子供って、尊い。本物の天使なんだ。と思った。
お陰様で、弱っていたメンタルはすっかり回復し、その間にバイトも決まり、次の家も決まり、お金が入ったので2ヶ月後にお世話になった分の家賃を支払わせたもらった。
私のオランダ滞在は、トリコさんの助けなしでは絶対にありえなかった。命の恩人である。
今日はそんな、私のオランダ滞在における重要な物語の、大切な人の話であった。
そんなトリコさんは現在、ヨーロッパ中のファッションショーに出演し、オランダ現地のファッション雑誌にも出て、Xでもバズり、令和の虎にまで出演し、キャリア、知名度をあげまくって、荒ぶりまくっている。
彼女の勢いは止まるところを知らない。だけどパワフルなトリコさんの本当に凄いところは、人の痛みや弱さがわかり、優しくできるところだと私は思っている。
オランダで本当に辛くなった時、私はトリコさんに相談したくなる。あんなに人に優しくできる人はなかなかいないと思う。
私が彼女から受けた恩は計り知れない。私にとってトリコさんの家は第二の実家である。
オランダに来てから、本当に色んな人に助けられたけど、トリコさんとの2ヶ月間は本当に濃かった。色んなことを学び、語り合ったあの時間を私は忘れない。あの時の時間は私のオランダ生活にとってかけがえのない宝物である。
陰ながら、私はずっと彼女を応援している。