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飲んだハイネケンの缶を放り投げた若いオランダ人、すかさずそれを拾ったホームレスおじさんの話
目の前をオランダ人らしき若者が2人で歩いていた。18歳くらいだろうか。
その2人のすぐ後ろには、缶を集めているホームレスっぽいおじいさんが歩いていて、その後ろに私が歩いていた。
すると、若者の1人が
飲み干したハイネケンの缶を、ポーンと真後ろに放り投げたのだ。
「うわ、なんて失礼な…」
いくら缶を集めているホームレスだからって、人を見下したような態度、許せない、、、。なんてやつらだ。
そんな風に私は、反射的に思った。
しかし、そのおじいさんはすかさずその缶を拾い、嬉しそうに笑った。
すると、そうなることがわかっていたかのように若者2人がパッと振り返り、缶を投げた青年がそのホームレスに「👍」サインを出した。
そして「これで良かったんだよね?」とでも言うかのように、おじいさんの顔色を確認していた。
その青年の表情は、「ホームレスを小馬鹿にした若者の顔」ではなく、
「自分が良かれと思ってやったことで、相手を不快にさせてないか不安がっている良いやつの顔」だった。
おじいさんは嬉しそうにうなづき、「Yes! Thank you, thank you!!」と言って、それを見た青年は「いいんだぜ」みたいな感じで、良いことしたような顔でまた歩き出した。
おじいさんは、喜んでその缶を拾って大きな袋の中に入れ、本当に幸せそうな顔をしてまた缶拾いに勤しんでいた。
まるで、缶を拾えたこと自体よりも、ちょっとされた親切が嬉しかったみたいに。
この一瞬の出来事が
私には凄く珍しく思えて
凄くオランダっぽいなと思って、不思議な気持ちになった。
今の光景は、日本だったら見られない。そう思った。文化の違いを感じたのだ。
なんか初めて会う人なのに気軽な感じというか。
なんていうか、オランダって
”自分を犠牲にしてまで誰かのために何かやる”っていう考えがあまりなくて
”自分がめんどうにならなければ、あなたがやりたいなら勝手にどうぞ。全然いいよ”
なんかそういうスタンスを感じる。それが気負いなく心地良い。
誰かのために何かやってあげるっていう障壁が、日本人より低く、ゆえに結果多くの親切が自然に出来たりするところ、あるんじゃないだろうか。
あの青年2人は、ホームレスのおじいさんが缶を拾っているのを知っていた。それを知っててあえて放り投げたんだと思う。
けど、日本だった場合。
同じようなことがあってホームレスおじさんに本当にその缶をあげようとしたら、日本人ならどうするか?
”手渡し”するだろう。
丁寧に手渡し。
だってゴミを放り投げるなんて失礼だから。
だけど、例え近くにいるおじいさんが缶を集めていると知っていても、手渡しするとなると障壁が少し高くなる。
知らない、薄汚いおじいさんに缶を手渡しするのちょっと怖い。どんな人かわからない。下手したら刺されそう。
自分に害が及ぶリスクを背負ってまで、手渡ししたいと思わないのが普通だし、他人に対してそんな義理もない。
もしくは、バカにして捨てる。「ホームレスだろ、ほら持ってけよ」っていうちょっと嘲笑したような、見下したような気持ちの時しか
飲み干した缶を放り投げたりしないだろう。
むしろ、このオランダの青年が日本で同じことをやったら「缶をあげたい」という気持ちがあったとしても、放り投げた時点で
「なんて失礼な奴だ」「バカにしやがって」と、日本人なら思うだろう。私がそう思ったように。
そうじゃないか?
だけどその青年とおじいさんの関係は、お互いがオランダ文化を知っているからこそ成り立つ凄く自然な関係に見えて、見ていて気持ちが良かった。
なんだろう。
これは、丁寧に手渡しする日本人をみるよりも気持ちが良かったかもしれない。
なんていうか、これって
「これ使って良い?」
「あー、私が使った後ならいいよ。はい」
なんかそういう関係に似てる。
これが例えば日本人の場合、
「これ使って良い?」と聞かれると
「(うーん本当は私が使ったあとならいいけど、使ったあとに貸すなんて失礼だし、けど使う前に貸したくないし、、、、)ダメ。」
となったりする。
人様に差し上げられるようなレベルじゃないから
散らかってて部屋に誰かあげられるような状態じゃないから
なんかそういうこと多くないか?
そういう日本人と違って、私はオランダ人のこういうところに日々驚かされる。
電車に乗っている他人や、バスの運転手に対しても、まるで昔から知っている友達みたいな接し方をするから。
そこがいい。
みんな同じ人間だろ?っていう気軽さを感じる。
ハイネケンの缶を投げて、拾って喜ぶひとがいたら
それは投げていいのかもしれない。
たとえ自分が
このレベルのものなんて、失礼すぎて世に出せない、と思うようなことがあっても
自分が感じていることと
相手の受け取り方って違ったりするから
求められているものを
素直に出してみるっていうのも
大切なことなのかもしれない。
クリエイションにおいても
同じことが言えるのかもしれない。
日本人は良くも悪くも完璧主義なので
一定のクオリティのものじゃなければ、誰かに施しをするのは憚れるという文化がある。
だけど、自分の今のままで十分それを必要とする人がいるのであれば、やってみちゃってもいいのかもしれない。
と思った。
そんな感じで。
おわり。