(1)ことの発端
なにもかもがうまく回っていると思って少々浮かれていた夏の終わりに、予想もしていなかったことが起きた。
ずいぶん長い間待ち望んでいたものが流れ星のように降ってきて、手に入りかけたと思った次の瞬間、それは邪悪な隕石のごとき姿に変わり、どすんと私の日常に衝突し、消えてしまった。その衝突跡に、ぽっかりとあらわれた二週間の空白。その空白を、私は旅で埋めることにした。
夏の初め頃からずっと読んでいた中東に関する旅行記が、旅への衝動をかきたてた。孤独な旅を愛するイギリスの旅行作家、フレヤ・スタークによる紀行集だ。何か調べものをしていたときに、偶然その名を目にし、著書を探して読み始めたのだ。
イザベラ・バード、メアリー・キングスリー、マリアンヌ・ノース……、一九世紀から二〇世紀にかけて、イギリスから多くの女性探検家、旅行作家が世に出ている。中東を旅し、多くの紀行文を残したフレヤ・スタークもそのうちの一人である。恵まれた環境で育ったわけではない彼女が独学でアラビア語やペルシア語など多くの言語を習得し、九十歳を越えても西アジアへの旅を続け、百歳まで長生きしたというたくましさに強く惹かれた。
彼女の初期の作品である『バクダード・スケッチ』のペーパーバックを手に入れた。伝記が電子書籍で読めることを知り、そちらも読み始めた。(伝記の方は『情熱のノマド』というタイトルで邦訳が出ていることを後から知った。絶版となっているので古書店での取り扱いか図書館蔵書を探せば読むことができる)
私に今必要なのは、フレヤ・スタークの無軌道ともいえる行動力であるように思われた。いまいましい隕石がつくった空白を埋めるべく、急遽チケットを取った。行き先は、梨木香歩の『エストニア紀行』を読んで以来訪れたいと思っていたバルトの国々、エストニアとラトビアに決めた。
「バルト三国」と呼ばれるバルト海沿岸の三国は、北から順にエストニア、ラトビア、リトアニアと並んでいる。三カ国ともロシアとその飛地に接しており、この大国とは歴史的に深いかかわりがある。いちばん北に位置する国エストニアは、フィンランドの首都であるヘルシンキとは湾をはさんで約90キロしか離れておらず、人やモノの行き来も活発である。今回はヘルシンキを経由し、エストニアのタリン、ラトビアのリガと二都市をめぐる行程となった。タリンからリガへは長距離バスを利用する。
鞄には、『エストニア紀行』の文庫本とともに、フレヤ・スタークのペーパーバックも一緒に入れた。異郷にあること、孤独であることを愉しむスタークの文章は、思っていた以上に旅の心に寄り添ってくれた。
久しぶりのひとり旅。
この十年、旅をともにしてくれた子供たちはそばにおらず、バックパックの代わりに今回は小さなスーツケースを引いていた。待ちかねたひとり旅のはずなのに、何か大事なものを忘れているような、心もとなさばかりがつのる日々だった。