気を遣わないのと気を配らないのは違う
おはようございます。
クレイセラピストMaricoです。
今朝はとても爽やかな風が
室内に吹き込む穏やかな
秋晴れの朝です。
暦では三連休だったんですね。笑
皆さんはどんな連休を
お過ごしですか🌿
わたしは今日は新講座
ミネラルセラピー講座の
生徒さんの初回講座が
午後に控えているので
クレイバスに浸かって
心身を整えて臨みたいと思います。
その前に月末から
新たにスタートする
クレイセラピスト養成講座の
生徒さんの教材発送の手配など
快調に動いております。
気持ちも軽く
良い1日になりそうです✨
今日はクレイセラピーにまつわる
お話ではなく、わたしの生き方
スタンス、人との向き合い方について
書いてみようと思います。
今は会社組織に属している
わけではないので
会社員時代に比べると
人間関係で悩むことは無くなりました。
とは言え、対人での仕事なので
人との距離感や向き合いかたは
ついて回る課題だったりするのは
変わらないのですが
わたし自身のスタンスが
年齢とともに絞られてきて
(ある意味狭まってきているのかもしれませんが)
心地よさを最優先できる
関係性を大切にしたいと
考えるようになりました。
多少の違和感や
多少の我慢は必要。
そんな風に思っていたのですが
その違和感や我慢はチリツモで
いずれ大きなしこりになって
自分の中に溜まっていきます。
好きとか
嫌いという話ではなく
その人とわたしの
物の見方や捉え方
人に対する接し方の
スタンスの違いなだけなので
良いとか悪いとかではありません。
わたし個人のスタンスのお話です。
わたしは比較的営業畑で
仕事をしてきた経験が長いので
作業だけをこなしていれば良いと
いう立場ではなかったこともあり
必要以上に気を遣う人間になっていました。
さらにはわたしはHSP性が強いので
やたらと人の言動に必要以上に
敏感になってしまって疲れてしまう。
昔はそれが何なのか
わたしの視野が狭いだけなのか
わからなかったのですが
ここ数年でわたしの中に
一つの答えが出たのです。
気を遣わないのと
気を配れないのは違う
ということ。
どういうことかというと
わたしは年代問わず
下でもうんと上の世代でも
接することができるタイプで
目上の方にも自分の意見を
はっきり伝えるタイプでもあるので
フランクな方だと思います。
(もちろん気を遣うこともあります)
必要以上に気を遣われるのも
苦手だし(ただし親しき中にも礼儀あり)
お互い尊敬の意があれば
年齢や性別は飛び越えていいと思っています。
ただ、「気を配れない」
いや、「配ろうとしない」
そういうスタンスがとても苦手
というか嫌いなんだと思います。
気を遣わない関係は素敵だけど
気を配らず自分スタンスを
突き通されることが
心地悪く感じるのだとわかったのです。
似たような表現だけど
意味は全然違います。
気を配ることの同義は
「思いやり」だと思っています。
その場を共にするなら
一方だけが気を配るのではなく
相手を思いやりながら
過ごすからその場が素敵な
空間になるわけなので
一方通行の気配りは
結局片方が疲れ果てて
エネルギーバランスが
大きく崩れます。
わたしは比較的
その場の空気を回したいと
考えるタイプなので
一方通行の気配りで
疲れることが多いと
自己分析できていました。
じゃ、わたしが気を配らなければ
済む話なのか?と言ったら
それは違うわけで
同じ24時間という限られた
時間の中で過ごす時間は
お互い平等に価値があるわけです。
目の前のその人の時間を
敬い一緒に過ごす時間に
感謝の気持ちがあれば
最低限の気を配れるはずなのです。
甘えがあったり
慣れがあったり
疲れてて気を遣えなくても
仕方がないことだし
それを否定はしませんが
気を配られていないということを
一瞬にして察知してしまうわたしは
小さなストレスが蓄積しないうちに
さっと場を、距離を置くことを
覚えたのです。
自分のことは
自分で守るしかないし
自分のスタンスは
誰にも否定されるものでも
誰かに合わせるものでもないから。
自分の機嫌は
自分で取ればいいわけですからね✨
「気を配る」とは
「優しさ」や「思いやり」です。
わたしの人生において
とても大切なスタンスなんだなと
明確になる今日この頃。
HSPや繊細さんと言われる人は
少なからず似たような違和感を
感じることがあるんじゃないかな。
そんな時はさっと自分の
パーソナルスペースを守って
自分のベストな環境を
自分で作っていくと
常に心もヘルシーで
居られるようになりますよ🌿