自己紹介④我が子の重度のアレルギーと私の選んだ道
保育園を退職してまもなく、長男が生まれました。
両親共にかなりのアレルギーがあり、
両家の祖父母までアレルギーがある為、
覚悟はしておりましたが…
かなりの重度のアレルギーが判明しました。
幸い、勉強もしてきましたし、経験もある為、
そこまで驚きや落胆することはありませんでした。
そして、長女、次男と授かりましたが、
まさかの3人ともに重度のアレルギーでした。
皮膚・鼻炎・目・動物・花粉・ハウスダスト…
喘息や食べ物まで…
そして、ある時言われたのが、
『最重症レベルで致死率が高い』
との言葉。
「あ、そうだったんだ。だからだったのか…。」
と、その時初めて気がつきました。
長男に関しては、あまりに症状が出過ぎてたので、
身体の中を一度リセットする為に、
28品目(当時は27品目)を除去し、
徹底的な食事管理をしました。
長女も長男と同じような感じだった為に、
一緒な食事療法をしばらくしてました。
5年くらいすると、
"食べる事ができない物は除去"
の治療法?から、
"少しずつ食べさせて免疫をつけていく" という
"経口免疫療法"
という治療法があるんだと言われたんです。
まだ治療法の名前が出始める前、
治験という形で始め、取材も受けながら治療をしました。
一年で治ると言われた治療は、
結局5年続けましたが、本人が耐えられなくなり、
辞める決断をしました。
下の子達もドクターストップもかかり、
治療をすることもできず…
"治す"
ではなく
"共存"
をはじめることにしました。
そこの考えに至るまでには、
本当に色んな出来事があるのですが…
語ると終わらなくなるので(苦笑)
3人ともにアレルギーの症状が出る食べ物がそれぞれ違ったり、
空気中に浮遊してる小麦粉にすら反応したり、
食べることだけでなく、あらゆる場面で困り事が沢山あったり、
食べられないというだけでとても生きづらさを痛感する出来事が沢山あったり、
下の子が0歳の時にシングルマザーになったり…
大変じゃなかったかと言われると嘘になります。
ですが、子供達と向き合いながら気がついたんです。
大変な事だけに目を向けていると、
どんどんネガティブに陥るということ。
"ポジティブに考え、大変ながらも楽しむ"
と考え方をチェンジすることで気持ちが楽になり、
大変なんだけど笑えるようになるということ。
そして、私が笑ってると子供も表情が明るくなる。
これは普通に考えれば当たり前なんでしょうが、
その当たり前に気づけなくなるんですね。
日々に追われると…
そんな子育てを何年もしているうちに、
色々な面で感じることが沢山ありました。
子供と共に歩んできた本当にたくさんの経験から
"世の中には私達と同じように他にもアレルギーで困っておられる方たちがおられるし、今後も現れるはず。私の得意とする料理で、私が困ってきたことをて誰かの助けになりたい"
という想いが強くなりました。
そして、子供たちのかけてくれた言葉が背中を押してくれ、私の覚悟が決まり
“FoodMarico
アレルギー料理・フードバリアフリー料理研究家"
http://foodmarico.com
として生きていくことを選んだのです。