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今日こんなことがあったよ

近頃、息子のことを、挨拶がわりに叩く子がいたらしいけど、その子は闘いごっこのつもりだったようです。

昨年一時期、娘のことをいじめていた子たちは、普通に学校に来ていたけれど、娘は学校を休んで、私がカウンセラーや担任と話に学校に行っていました。


息子のケースのように、一方は嫌がっていても、相手は遊びと思っているような「認識のズレ」のケースもありますが・・・

いじめって、大概が男でも女でも若くても年取っていても、大概の原因が「嫉妬」だと思っています。

でも、いじめている子が、自力でそのことに気づけるでしょうか?

カウンセラーの先生とお話ししながら、学校に来ない子の親と先生で話し合っても仕方がないんじゃないか、いじめている子に、どうしてそういう行動に出たのか、優しく安全な場所で話を聞いて心を紐解いていくしかないのではないか?とぶつけましたが、

カウンセラーの先生曰く、学校でのトラブルの芽は把握しているものもあるが、こちらから話をしにくるように促したり、働きかけることはできない、とのこと。


私は怒っていました。なぜ、私たちばかりが、こんなふうにああでもないこうでもないと話し合い、この先どうしようかを考えなければならないのか。

でも、娘の気持ちを汲んで、学校にはおおごとにしないでほしいと伝えました。

よく考えてみれば、いくら娘の希望とはいえ、おおごとにしたくなかったのは、相手の親御さんから、謝られたりした時の気まずさを想像しての私の心の弱さによるものだったかもしれません。

加害や被害は時によっても、立場によっても、見方によっても入れ替わるものですから、そのこと自体を裁く気はありません。



さて、ここまで書いた一連の解決策ってなんでしょうか?

私は、一にも二にも「話を聞いてもらう」こと、さらには「受け入れられる」という体験、だと思っています。

でも、前述のカウンセラーとの対話の中でさえ、私は否定された、と感じる言葉がありました。

相手がプロであれど、自分の違和感を大切に、自分を見つめられる時には見つめながら、信頼できる人に出会うことを諦めない、それしかないのではないでしょうか?



うちの息子は本当によく泣きます。

泣いて帰ってくることはザラです。
そんな時、家にいることができて本当によかったと思います。

でも、もちろん、仕事で遅くなる日もあるので、後からこんなことがあったんだ・・・と聞かされること、大きなたんこぶの存在を知ることもあります。


今は母親が本当に忙しく、詰みかねない時代です。
子どもは誰かに話を聞いてもらうという経験ができているでしょうか?

学校の先生は、相談すれば真摯に向き合ってくださいますが、何かことがあったときに「もうするなよ。」と言ったって、意味がないのです。

そもそも子どもは賢いですから、それがいけないことだと、最初からわかっているのですから。

わかっていてもなぜその行動に出たか、その行動に向かわせたどんなモヤモヤがその子にあるのか、そこが大切なように思います。



そもそも、私たち親世代に、思うところを打ち明ける、聞いてもらう、受け入れられる、という体験が足りなさすぎるのではないでしょうか?


私自身が、そういう経験が希薄なまま大人になった、かつての子供です。
幼稚園の頃には既に、大人に話しても仕方がない・・・という体験が積み上がっていました。

そんな中でも、今でも感謝してもしきれないような恩人との出会いもありました。

だからこそ、心を開くこと、話を聞いてもらうことの大切さを感じています。

大人になってからでも、大人にこそ、話を聞いてもらえる、という体験を重ねてほしいと思っています。


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