暮らしの延長線上で楽しめること
私の暮らしは日々淡々としている。
淡々としているが、暮らすこと、家にいることが好きである。
丁寧な暮らしに憧れてはいるけど、私の暮らしが丁寧かどうかはよくわからない。
さらに、私自身特に何か秀でているわけではなく、目立った趣味や特技もない。
手先は器用なほうで、大人の塗り絵や手芸などをすればそこそこ上手に仕上がったりもする。
でも、作っている最中から「これは一体何の役に立つのだ?」と思い始めてしまう。
私の暮らしに何か役に立っているのか。
実際に作ったはいいけど、何に使ったらいいかわからず捨てた作品は山程ある。
そんなことしたくないし思いたくもないのだが、思ってしまうものは仕方がない。
多分、私はハンドメイド作家にはなれないだろう。
この作品で人々に笑顔を!とか思えないし、作っている自分が全く楽しくない作品を購入する方々も気の毒である。
それ以前にそんなに大量に何かを作りたくない。
そう「自分の周りに大量に何かがあることがとてもストレス」ということに、数年前に気が付いた。
ちなみにミニマリストではない。
本を読むのも好きだけれど、本棚から本が溢れ返っているのも好きではない。
だから、本棚の中身は定期的に断捨離をしている。
その時に「まだ置いていたい」と思えるかどうかで、その本の運命が決まる。
完全に私の独断で決まるので手放した後にまた手にすることもある。
そんなときもある。
ちょっと話が逸れてきたが、物が溜まらずに楽しめることってなんだろう?と考えた結果、私にとっては「食」だった。
「食」は作った瞬間は物が増えるけど、数日、早ければその日のうちに私の前から消える。
また食べたくなれば、また作ればいいのだ。
さらに「食」は暮らしに欠かせない、生きてく上で大切なこと。
これって暮らすのが好きだけど、物が溢れ返るのが好きではない私が楽しめそうなことではないだろうか。
「食」は好きだけど、決して料理が好きなわけではない。
出来るなら誰かにしてもらいたい。
でも、旦那氏は出来ないし、私がするしかない。
するならせめて美味しいものが食べたいのだ。
そのために少し「食」を意識して過ごしてみようと思っている。
基本ズボラで工程が多いことはしたくない派だけど、それでも「食」を楽しむことはできると思う。
「食」が整うと自分の心も整う気がする。
私はよく色々なことを溜めてしまう。
そんなとき「食」で排出したり、「食」で元気になったりしたら最高ではないか。
と、前から思っている。
2024年、少しずつ進めていきたい暮らしの延長線上で楽しみたいこと。