作曲のルーツについて考える
すっかり曲を書かなくなった人みたいになっていますが一応シンガーソングライターのはしくれのMaricaです。いや、歌ってすらいないな?ボーカリストを名乗ってもいいのかこれ?職業欄に「齧歯類愛好家」とか「息をしている人」とか書いたほうがいいのか?
まあともかく。
仕事のジャンルに合わせて、具体的にはゲーム内容に合わせて曲を書くことが多いので(というか自分が書きたいと思う曲を書く機会がむしろない)自分が得意なジャンルとか、放っとくとこういう曲書くよねこの人、みたいなのが分かりづらいところがあるんだけど、まとめてMarica曲聴くと顕著な偏りがあります。
もちろんポップスに影響されたところも大いにあるけども幼少期から10年程度どれだけ練習がめんどくさくなってもピアノを続けさせてもらえたので、それなりの数のクラシック曲と触れることが出来たし、その後も高校コーラス部で結構な数の賛美歌と触れられたのは大きかったと思う。
で、思うのは、やっぱり「なるべく原典に近いものには触れておくべきではないか」ということ。
今ある芸術っていうのは過去の積み重ねで発展しているところもあって、「原典を踏まえなければわからないオマージュ」みたいなのが随所に散りばめられている。物語だったらギリシャ神話なり古事記なりの超原点からいわゆる名作と呼ばれる古典にはざっくりでも触れておくべきだと思うし、童話なんかもアンデルセン、グリム童話は押さえておきたい。そのへんを下敷きにしたオマージュ作品を「原典だ」と誤認してしまうとなんならオマージュ作品を原典としたオマージュを生み出してしまいがちな気がする。それはそれで進化と言えるのかもしれないけど、「原典」と誤認してしまうことで生まれる齟齬は確実にあると思うわけで。
懐古主義というわけではなくて、「ルーツを知る」というのは大事なんじゃないかなと思うわけです。同じものを見て影響を受けても生み出すものが同じようなものだとは限らないわけだしね。