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北九州名物!小倉高校の思い出
最近、高校時代の思い出について大きな心境の変化がありましたので、日記代わりに残しておこうと思います。
今から31年前の1994年、私は北九州市にある公立の小倉高校という学校を卒業しました。
16歳から18歳までの3年間をその学校で過ごしたわけです。
小倉高校というのは、今でもそうですが北九州市で偏差値トップの進学校でした。
入学した理由ですが、はっきりとは覚えていないのですが、中学生当時とてもナイーブな(今もかな?)私は単純に、市内で出来る限り偏差値の高い学校に行けば将来が安心なものになるに違いないと勝手に思い込んでいたから、というのが一つあったと思います。
しかしながら、入学後はげしく後悔することとなり、地獄のような3年間を過ごす羽目になることなど全く知る由もありませんでした。
今となってはあり得ない話だとは思いますが、当時の小倉高校では先生による体罰が当たり前でした。
また、よくわからない謎の伝統行事が残っていて、例えば、入学直後の応援練習では校歌を暗唱して大声で歌わされ、覚えられなかったら応援団に講堂の前に連れていかれて腕立て伏せを何十回もさせられたり、胸ぐらをつかまれて恫喝されたりと、それはもう今の時代にやったら大事件になるようなことが行われていました。
それ以外にも今だったら考えられないような体罰を伴う行事がいくつかあったように思います。
最初は自分以外にも、これはおかしい!と言って疑問を呈する生徒は多かったのですが、時が経つにつれてみんなだんだんと洗脳されていってしまい、そういった古い校風に従うのが当たり前のようになってしまいました。
しかし、とても頑固な少年だった私は最後まで馴染むことができず、入学してしばらく経った頃にはうつ病を発症してしまいました。
当時はまだ「うつ病」という言葉自体がなかったか、あるいはほとんど知られていなかったように思いますが、今思い返すと当時の私はうつ病のような症状だったのだな、思います。
そのうつ病のような症状を加速させたのが、学校から出される課題や宿題の多さでした。
また、時間割の中に0時限目というのがあり、1時限目の前の7時半ぐらいから授業が行われていました。
それで各先生が毎日膨大な宿題を課すものですから、当時の要領の悪い私には到底ついていくことができず、あっという間に成績は墜落してしまい、3年間ほぼ低空飛行を続けることになりました。
2年生のときの修学旅行で沖縄に行ったりしたのですが、精神を病んでいた私には全く興味がなく、何も楽しい思い出がありません。
完全に心を閉ざしてしまった私は、部活をすることもなく、仲の良い友達もほとんどいませんでした。
また、進学校ではよくあるケースかもしれませんが、2年間で高校3年分の授業を終わらせて、3年目は大学受験に備えた授業を行っていたように記憶しています。
それにもまともに付いていくことができず、授業中は寝てたりしてほぼまともに聞かなくなっていたように思います。
まあ、そんなこんなでいろいろあったように思うのですが、生き地獄のような高校生活を送ってしまったせいで、卒業後30年経っても一切関わろうという気持ちがなかったわけです。
苦しかった当時の思い出に触れるのがいやで無意識下に封印してしまっていたのでしょう。
もう一生関わることがないと思っていたのですが、どういうわけか最近になって急に北九州市で過ごした記憶や市内の住宅街の景色などがとても懐かしくよみがえってきましてね。
それと同時に、あれだけ憎くて記憶の彼方に葬り去っていたはずの小倉高校時代のことも懐かしくなってしまったわけですよ。
後付けの理由かもしれないのですが、思い出すきっかけの一つになったのが、2024年12月に起きた、北九州市内のマクドナルドで塾帰りの15歳の女の子が見知らぬ男に刺殺されるというなんとも痛ましい事件でした。
楽しく待ち望んでいたはずの高校生活を送れなくなってしまったというのは非常に無念な話です。
もし殺されてなかったら、小倉高校に行っていたのかもしれない、と思いました。
それと同時に、「じゃあ、自分の高校生活はどんなだったのだろうか?」と改めて思い返したところ、楽しかった思い出が一つもなく、あれから30年以上が過ぎ去ってしまい、もう決して取り返すことができないのだ、と考えるとはげしい絶望感と悲しみに襲われました。
でも、失ってしまった高校生活に対するはげしい絶望感と同時に、「もしできることなら、同期の人たちにまた再会してみたい。」という思いが湧き上がってきました。
そしてネットで同窓会の情報とか残っていないか探してみたのですが、昔懐かしのミクシィ(※20年ぐらい前に日本で流行ったSNSのようなもの)にちょっとだけ2008年の同窓会の記録が残っていたのを見つけただけでした。
「ああ、あれから30年以上経つわけだし、もう同窓会とかやってないんだろうな。」と思ってがっかりしていたのですが、最後にダメもとで小倉高校に付属する明陵同窓会という組織に問い合わせてみたところ、事務局の方が同期の幹事につないでくれて、連絡をいただくことができました。
その幹事の人が同窓会のグループLINEがあることを教えてくれて、私を招待してくれました。
いや~、なんだかとても嬉しかったですね。
卒業後30年以上経つのにまだこうやって同期の人たちのグループにつながることが出来たというのは、まるで奇跡のような感じでした。
もう今では当時のネガティブなイメージはなく、30年前の当時の納得のいかない体罰や不可解な伝統行事、授業についていけなくなってうつになったことなど、苦しかった記憶にまつわるネガティブな感情もなくなってしまいました。
30年という時間の経過によって少しずつ癒された部分もあると思います。また、今回、同期の同窓会グループにつながることができたことで、「私は過去に取り返しのつかないことをしてしまった!」という後悔の念も無くなってしまいました。
これまでは家族やごく限られた友人とのつながりがあれば良いと思っていたのですが、なぜか2025年に入って急に心境の変化があり、昔懐かしの人を含め広く浅い人とのつながりをもちたいと思うようになりました。
不思議なものですね。
人生というものは頭の外側に実在するものではなく、私たちが思考で物質や人間に記憶や名前、概念などをくっつけて分離させて捉えることでストーリーとして見えてくるだけのある種夢や幻想のようなものですが、それでも、肉体をもった一個人として生きているような感覚はあるわけで、これはこれでおもしろいのではないかと感じます。