人生のトリセツ
はじめに
本書を手に取っていただきましたこと、心より深く御礼申し上げます。
まず、最初に申し上げておきますが、本書は一般的なビジネス書の類ではありませんので、本書を読んだからと言って、必ずしもお金持ちになれるわけではありません。
しかし、最後まで読まれれば、きっとあなたも人間関係の問題を含む、人生のあらゆる「問題」の解決策を手に入れることができるでしょう。
ですので、本書を読むことで、決してビジネスの世界で「成功」してお金持ちになれるわけではありませんが、人生全般において「本当の成功」を手に入れることができます。
最初は、人生そのものに関することだけを書こうと思いましたが、人生の大半の時間を費やす仕事という側面から、幸せとは何なのかについて書かせていただくことにしました。
例えば、会社で遭遇するさまざまな問題、特に人間関係の問題に対してどう取り組めば良いかの指針を多く提案させていただきました。
こういった人間関係の問題を取り扱った本はこれまでも数多く出版されておりますし、インターネットなどからそれらの情報は簡単に入手することができます。
しかしながら、いまだに多くの人が職場の人間関係で悩み、どこの職場に行っても人間関係の問題が無くならないのはなぜでしょうか?
これは、小手先のテクニックばかりで、何ら根本的な解決策が示されていないことが大きな要因ではないか、と推測しています。
人間関係の問題というのは、一見非常に複雑そうに感じられますが、実は、とてもシンプルなことに起因しています。
それには、まず自分自身について知ることが第一優先になります。
別の言い方をすれば、自分自身のことについて知れば、人間関係の問題は自然と消え去るようになっています。
本書では、この極めて根本的かつ普遍的な問題解決法について議論しています。
さて、私は本書を過去の自分に語りかけるように書きました。
過去の私は、あまりにも「病んで」いました。
病んだ心で見える世界は、当然のように「病んだ世界」でした。
本来、最初に救われるべきは私自身であったにもかかわらず、当時の私は、この病んだ世界を何とかしなければならない、と本気で思っていました。
この病んだ世界を何とかして幸せな場所にすることで、自分自身も幸せになれるはずだ、と心から信じ込んでいたわけです。
つまり、当時の私にとって、私が不幸であることの原因は明らかに外側の世界にあるはずだと信じていました。
外側に見える世界は私の理想から大きくかけ離れていましたから、私は外側の世界に対して激しい怒りを抱えていました。
そして、外側の世界の住人はみんな病んでいて、何も分かっていないと思っていました。
ここで、私が「外側」の世界と言っているということは、その逆の「内側」の世界があるということを意味しています。
では、内側の世界とは何でしょうか?
それは、分かりやすく言うと、「私たちの心」です。
人類が創り上げてきたこの現代社会は、あまりにも内側の世界を軽視しています。
内側の世界を軽視すると同時に、外側の見える世界を良くしていこうと努力しています。
特に、私たち日本人はこの傾向が強く、いかに外側の世界を良く見せるかということに多大な労力とお金、時間を割いています。
街中にはごみ箱が設置されていないにも関わらず、道路にはごみ一つ落ちておらず、道は常にきれいに保たれています。
犯罪に遭う確率も小さく、女性が夜一人で歩いていてもそれほど危険ではありません(もちろん例外的な場所はいくつかありますが)。
外で財布やスマートフォンを落としたとき、警察署に行けばかなり高い確率でそれらはあなたの元に戻ってきます。
普通に生きていれば、食べ物に困って餓死するようなことはまずないでしょう。
もちろん、良い意味ですが、これは世界から見るとかなりまれで恵まれた環境です。
このような素晴らしい環境に住んでいる私たち日本人はさぞかし幸福であるに違いない、と世界中のだれもが考えるのは当然です。
しかし、一体どれだけの日本人が、自分は幸福であると感じているでしょうか?
世界には、幸福度という指標があり、その名の通り、幸福の度合いがどれくらいであるかについてさまざまなパラメータをもとに毎年計測されています。
幸福度と言っても、幸福であるかどうかは人それぞれの内面のことなので定量的に測定するのは基本的に不可能ではありますが、その国のGDPや教育システム、人生における選択の自由度など、いくつかのパラメータを設定して、その国がどれだけそれらのパラメータを満たしているか、その度合いによって測る幸福度もあれば、何種類かの質問をその国の一定数の人数に対して行うことで得られる主観的幸福度と呼ばれるものもあります。
興味深いのは、両方の幸福度調査の結果において、日本人の幸福度は毎年かなり低いところに位置しているということです。
少なくとも、先進諸国と呼ばれる国々の中で、日本人の幸福度は毎年最下位を維持しています。
これは一体どうしたことでしょうか?
もちろん、真面目で勤勉な日本人が持つ遺伝的な特性も大きく起因しているでしょう。
この遺伝的な特性は、日本のお店に入った時のサービスの素晴らしさにも表れています。
日本のサービスは世界一と言って良いほど素晴らしく、生活する上での利便性はこれ以上に無いぐらい高いと感じます。
これはこれで非常に良いことですが、幸福でないと感じている人が多いことはやはり同じ日本人として気になります。
さて、話がだいぶ逸れてしまったのですが、本書では、いかにして私たちがより幸せに生きることができるか、ということに焦点を当てて議論しています。
また、本書では、極めて多くの人にとって、人生の時間、特に若い頃の人生の時間の大部分を占める仕事においていかに幸せを感じることができるかが、幸せな人生を生きる重要なポイントであるため、最初の方では主に仕事や働き方について書いてみました。
是非、この本を手に取ったみなさんに参考にしていただき、幸せな人生を歩んでもらいたいと願っています。
第一章 会社で起きるさまざまな問題
何のために働くのか?
あなたは何のために働いているのでしょうか?
多くの人は生活するのに必要なお金を稼ぐため、と答えるでしょう。
中には、社会貢献することで自分の可能性を高めたい、と答えるかもしれません。
働く目的は人それぞれですが、やはり一番多いのがお金を稼ぐためです。
生活するためにはお金が必要ですから、お金を稼ぐために仕事をするというのは至極真っ当な理由です。
では、「あなたは今の仕事を楽しんでいますか?」という質問に対して、一体どれだけの人が心からYesと答えられるでしょうか?
これも人それぞれ考え方次第で、仕事自体は大変だと感じていても、働くことができるという幸せそのものに対して感謝の気持ちを抱いている人もいるでしょう。
また、仕事は正直好きではないけれども、愛する家族を守ることが自分にとって一番の生きがいであるから、仕事がどんなに苦しくても家族の幸せのために働きたい、と答える人もいるでしょう。
逆に、ただお金を稼ぐために会社の言いなりになって馬車馬のように月曜日から金曜日の朝から晩まで働くことにどうしても意義が見いだせない、という人も結構いるでしょう。
別に、こういう考えは素晴らしいけれども、ああいう考えはけしからん、などと偉そうに言うつもりは全くありません。
つまるところ、どんな考えであっても良いと思うのですが、できることなら人生の大半の時間を仕事に捧げるのであれば、少なくとも楽しむべきではないでしょうか。
しかしながら、今の日本という国で、楽しんで仕事をしている人は一体どれくらいいるでしょうか?
私は20年間サラリーマンとして働いた経験があり、東京で働いていた時は、毎朝ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に揺られて会社に通い、帰りも同じくぎゅうぎゅう詰めの満員電車に揺られて帰宅していました。
そのため、毎日かなり多くのエネルギーを満員電車で消費していました。
職場が品川駅の港南口から歩いて15分ぐらいのところにあった時は、毎朝物凄い人数の行列に並んで歩かなければならなかったので、急ぎたいからといっても人と人の間を走り抜けるスペースが無く、行列に並んで歩いていくしかできませんでした。
それはまだ我慢できたのですが、一つだけどうしても気になって仕方がないことがありませいた。
それは、満員電車に乗っている人たちがみんな死んだ魚のような目をしていることでした。
もしかしたら、自分自身がそうなっていたから、それが周囲の世界に投影されて見えていただけなのかもしれない、と思っていたのですが、色々な人にこのことについて聞いてみると、すべての人が朝の満員電車の中では全く同じように感じていたということが分かりました。
つまり、東京の朝の満員電車に乗っているサラリーマンの多くが死んだ魚のような目をしている、というのはどうも事実らしいということが分かってきたのです。(もちろん当時の私も含めてですが・・)
死んだ魚のような目をしているということは、朝だから元気が無いということも大きな理由の一つだと思いますが、あれだけ多くのサラリーマンが不幸せそうな顔をしているのには何か原因があるはずだと思っていました。
当時の自分自身に当てはめて見ると、一つ明らかだったのは、「仕事が楽しくなかった」ということです。
ただ、21世紀になったばかりの当時の時代背景や、自分の中に「仕事は辛いのが当たり前だ」という固定観念もあり、それが異常なことだとは感じず、あまり気にしてはいませんでした。
しかし、今になって感じるのは、当時の自分は「お金の奴隷」だった、ということです。
つまり、「お金を稼がなければ人生が大変なことになるに違いない。」という、どこで習ったか分からない思い込みによって、月曜日の朝から金曜日の夜まで毎日不安と恐怖、将来に対する絶望に襲われながら生きていました。
ほっと一息つけるのは、仕事が終わった金曜日の夜と土曜日だけで、日曜日になるとすでに月曜日からの仕事のことで頭が不安と恐怖でいっぱいになり、心はまったく幸せとは言えない状態でした。
しかし、そういう状態ですら当たり前のこととして疑わず、選択肢は他にはないと信じ切っていましたので、自分からその悲惨な状態を変えようとすることはなく、毎日を絶望の中で生きるだけでした。
不思議と当時の自分には分からなかったのですが、今になって思い返すと、明らかに当時の私は病んでいました。
しかし、当時は自分が病んでいるという自覚すらありませんでした。
今思い出すと、当時の自分は完全に「お金の奴隷」と化してしまっており、人生そのものに対して絶望しながら生きていました。
誰かが私にお金の奴隷になるように強要したわけではなく、自分の意志で勝手に奴隷と化してしまっていたのです。
当時は気付きもしませんでしたが、その根底にあったのは、「恐れ」でした。
つまり、「お金が無くなると大変なことになる」という根拠の無い「恐れ」です。
実際、お金が無くなることで本当に大変なことになるかどうかはどうでも良く、私にとっては、「恐れ」が働くことの原動力となっていたのです。
今この本を読んでいるあなたはどうですか?
今あなたは仕事を楽しんでいますか?
もしかして、かつての私のように「お金の奴隷」になってはいませんでしょうか?
もし、あなたが「お金の奴隷」となっているのでしたら、働くことの意味について今一度考え直してみることが大切です。
本当にあなたは自分の人生を楽しんでいると言えるでしょうか?
小手先のテクニックを学んでもあまり意味が無い
これまでに数多くのビジネス書や自己啓発書、それらに関する数多くのネットの情報が世の中に出回ってきました。
今も、書店に行けばそういった本が山積みにされていますし、アマゾンではそういった分野において多くのベストセラー書籍が日々出版されています。
しかしながら、いつになっても職場や家庭などの人間関係で悩み苦しむ人が後を絶たないのは一体どうしたことでしょうか?
一つ考えられる大きな要因は、それら数多くの情報のほとんどが小手先のテクニックだけで終わってしまっていることではないでしょうか。
小手先のテクニックは、一時的に表面上は効果があるかのように感じられるかもしれませんが、すぐに元の問題に太刀打ちできなくなります。
例えば、上司に認められて評価が上がり年収も増加する方法、と称してたくさんのテクニックが紹介されています。
資料の作り方をこうすれば認められて昇進につながりやすいとか、仕事の優先順位をこうすれば効率アップになって仕事の能率がアップする、とかいったテクニックなどは知っておいて損はないものばかりです。
だからといって、世に出回っているすべての小手先のテクニックを全てマスターしたところで、あなたは幸せになれるのでしょうか?
答えを先に言うと、それら小手先のテクニックをすべてマスターしたところで、決して幸せになることはできません。
もしかしたら、それら小手先のテクニックをすべてマスターすることであなたは仕事で運よく「成功」してお金持ちになれるかもしれません。
しかし、それでも幸せを手に入れることはできないのです。
手に入れることができたとしても、それは極めて一瞬のことで、人生における瞬間風速のようなものです。
では、幸せになることってそんなに難しいことなのでしょうか?
いえ、実際はとても簡単なことなのです。
多くの人が幸せになりたくて、さまざまな自己啓発セミナーに高額な費用を払って参加したりしています。
たしかに、そういった高額な自己啓発セミナーに参加した当日から数日ぐらいまでは、まるで人生の幸せのテクニックを手に入れたかのように感じるかもしれません。
しかし、そのうわべだけの幸福感は決して長続きせず、中には、また別の自己啓発セミナーを探し求めたり、いろいろなオンラインサロンに入会したりしています。
まるで、幸せジプシーようですね。
しかし、本書を読んで理解したあなたは、そのような幸せの探究を繰り返す必要はありません。
大切なのは、根本的かつ普遍的なことを知ることであって、これは非常にシンプルです。
集合的無意識について
集合的無意識とは、心理学者のカール・グスタフ・ユングによって提唱された概念で、私たち個人の無意識のさらに深奥に、国や民族を超えて人類全体に共通して存在する、共通の普遍的意識のことです。
この集合的無意識は、シンクロニシティ(共時性)とも深い関係があります。
シンクロニシティとは、原因と結果のつながりを説明することが難しいにもかかわらず、単なる偶然と考えるにはあまりにも確率が低い出来事のことを指します。
例えば、あなたが友人と喫茶店でAさんのことを噂していると、突然Aさんからメールや電話が来たりする、といったような現象です。
「噂をすれば影がさす」ということわざがありますが、まさにこういった偶然とは思えないような出来事を表した言葉です。
つまり、私たちの意識は深い部分でつながり合っているということになるのです。
この集合的無意識を最も感じやすいのは、私たちの身近な存在である家族や親しい友人との関係においてです。
小さい子供は、親と関わる時、直接言葉を交わさなくても親が発する雰囲気や態度などから敏感に親の気持ちを感じ取ることができます。
長年連れ添ってきた夫婦間においても同じようなことが見られます。
私の例で言うと、例えば、「今晩はチャーハンが食べたいなあ。」と思っていたら、何も伝えていないのに妻がチャーハンを作ってくれたりしたことがありますし、似たような事例がたくさんあります。
この集合的無意識が伝わるかどうかは、近しい間柄とか初対面の人とかは全く関係ありません。
そのため、職場の同僚や上司、部下、お客さんなど、すべての人が集合的無意識においてつながり合っているのです。
先に挙げた、嫌いな上司の例の場合、もしあなたが上司のことを忌み嫌っていたり、恐れていたりすると、あなたの思い(感情)は、集合的無意識のレベルにおいてきちんと上司に伝わっています。
もし、あなたが上司から怒られるのではないか、と常に心の底から恐れていると、その思いや感情は集合的無意識のレベルにおいて上司に伝わってしまい、時間差をおいてあなたは上司から怒られるという現実を創造することになります。
もちろん、上司の方は、あなたが自分のことを恐れているということを顕在的に意識できるわけではないですが、集合的無意識において察知することとなります。
すると、上司の意識は、何らかの理由で、あなたのことを怒りたくなるような衝動に駆られることになります。
ここでは、あなたとあなたの憎たらしい上司の関係を例を挙げてみましたが、これと同じような目に見えないレベルでの関係は、どのような人間関係においても適用されます。
職場で、普段気が合わないと感じている相手と偶然同じ席で食事をすることになったとき、あなたは何となく気まずいと感じるでしょう。
それと全く同じように相手の方もあなたに対して気まずいと感じているものです。
人間関係の問題
人間関係にまつわるさまざまな問題というのは、どこの会社に行っても必ずと言ってよいほどついて回るものです。
時代がどれだけ変わっても、サラリーマンが転職する理由のランキング上位に常に人間関係にまつわる問題が入っていることが、このことを如実に物語っています。
退職理由の本音ランキング
1位:上司・経営者の仕事の仕方が気に入らなかった(23%)
2位:労働時間・環境が不満だった(14%)
3位:同僚・先輩・後輩とうまくいかなかった(13%)
4位:給与が低かった(12%)
5位:仕事内容が面白くなかった(9%)
6位:社長がワンマンだった(7%)
7位:社風が合わなかった(6%)
8位:会社の経営方針・経営状況が変化した(6%)
9位:キャリアアップしたかった(6%)
10位:昇進・評価が不満だった(4%)
(※引用元:リクナビNEXTのWebサイト https://next.rikunabi.com/tenshokuknowhow/archives/4982/)
人間関係だけでなく、給与や仕事内容に満足がいかなかったといったことも転職理由としてよく挙げられるケースですが、本書では、主に人間心理に最も影響を及ぼす人間関係に焦点をあてて話を進めることにします。
人間関係の問題にはどのようなものがあるのでしょうか?
よく見られるパターンとしては、主に次のような挙げられるでしょう。
・上司・部下との間における人間関係の問題
・同僚との間における人間関係の問題
・先輩・後輩との間における人間関係の問題
・取引先の人間との間における人間関係の問題
もし、あなたが今サラリーマンとして働いていて何らかの人間関係の問題に悩んでいるとした場合、おそらく先に挙げた4つのパターンのどれかに当てはまるのではないでしょうか?
このような職場内の人間関係の問題を理由に転職をする人は多くいますが、では、違う会社に転職したからといってもう二度と同じような人間関係の問題に遭遇しなくなるかというと、実は、そういうことはありません。
例えば、上司が嫌いで嫌いでたまらないという理由で、別の会社に転職するとどうなるかというと、ほぼ間違いなく、前の会社にいた上司と同等かあるいはもっと最悪な上司が待ち構えているものです。
転職した最初の頃は、あなたにとってとても優しく親切な上司に見えるかもしれません。しかし、時が経つにつれて、あれほどすばらしかった上司も、前の会社の上司と同じように嫌な存在に変化していきます。
そして、前の会社の上司と同じように新しい会社の上司もあなたにとって憎たらしい存在へと変化していきます。
例えば、上司があなたのことを、いつも重箱の隅をつつくかのようにダメ出しばかりしてきて、業績評価では、あなたが達成したことに対しては評価せず、ミスをしたり達成できなかったことだけを拡大評価して低い評価をつけたとします。
当然、あなたはその上司に対して激しい怒りや恐れの感情を抱くことになるでしょう。
そして、あなたはこう思うかもしれません。
「もうこれ以上アイツ(上司)の元で働いていても自分が仕事で認められることは絶対に無いし、仕事だって楽しくできるわけがない。」
そして、上司に対する苦々しい感情を抱いたまま転職すると、どうなるかと言うと、遅かれ早かれ前の会社の上司と同じか、より最悪な上司の元に導かれることになるのです。
人間関係の問題で何度か転職をした経験がある方であれば、何となく心当たりがあるのではないでしょうか。
では、一体なぜこのようなことが起こるのでしょうか?
答えは、ズバリあなたの内側にあります。
あなたの内側というのは、あなたの「思考」と「感情」です。
前述した憎たらしい上司のケースでは、あなたは上司のことを赦すことができず、怒りの感情を抱いたまま転職したことになります。
そして、ここがポイントになるのですが、
「あなたの周囲に存在する全ての人物や出来事、世界は、あなたの内面を映しだしたもの」
だということです。
これは俗に「鏡の法則」とも呼ばれることがあります。
あなたの努力を認めず、ダメ出しばかりする憎い上司に対するあなたの怒りは、無意識レベルにおける「あなた自身に対する怒り」を映し出した結果生じるものです。
つまり、上司のことが嫌いになる以前から、あなたは無意識レベルにおいて、「自分は人から評価されないダメな人間なのではないか?」という強い「恐れ」があり、そういった「ダメな自分」を赦すことができていないのです。
本当は、あなたはダメな人間でも何でもなく、本当は素晴らしい能力をもった人間なのですが、幼少期から少年期、またはそれ以降の人生において、周囲の人、例えば、親や学校の先生、友だちなどから、否定されるという経験をし、それによって心が深く傷ついたことがきっかけとなり、「自分は人の期待に応えることができないダメな人間なんだ」と思い込むようになった可能性があります。
そうやって思い込んでしまった「ダメな自分」のことを、あなたは認めることができず、「自分に対する怒り」という感情を無意識レベルにおいて抑圧してしまったわけです。
このように、無意識下に抑圧されたネガティブな感情は、周囲の世界に鏡として映し出されることになります。
今回の例では、あなたの上司が、抑圧された「恐れ」をあなたに見せてくれる鏡としての役割をしています。
「人から評価されない、愛されないのが恐い」という恐れを、鏡として一番表現してくれやすい存在は、あなたの仕事上での評価者である直属の上司が適任だったというわけです。
では、なぜ抑圧された感情(大体がネガティブな感情ですが)は周囲の存在によってあなたに訴えかけてくるのでしょうか?
このことについてもっと詳しく見ていきましょう。
周囲の世界はあなたの内面を映しだしている
先に例を挙げて説明した集合的無意識の観点から世界を捉えると、
「あなたの周囲の世界はあなたの内面をそのまま映し出している」
ということが言えます。
例えば、前の晩に寝不足で気分が優れないまま翌朝電車で通勤するときのことを想像してみましょう。なぜかあなたの周囲にいる人たちが何となく不機嫌そうだったり悲しそうに見えたりすることはないでしょうか。
逆に、金曜日の夜愛する恋人とデートする日や、苦労して勉強した資格試験に合格した日、ボーナス支給日など、何か嬉しいことがあったときに同じような環境にいる場合、なぜかあなたの周囲にいる人たちも何となく幸せそうに見えることがあるかもしれません。
これは、あなたの内面が、いかにあなたが捉える周囲の世界に影響をおよぼすかということの分かりやすい例です。
世界自体は何も変わっていません。ただ、変わったのはあなたの内面だけです。
もし、あなたの内面が喜びや平安、希望といったポジティブな感情で満たされていると、あなたの周囲の世界もあなたの内面をそのまま映し出したように、喜びや平安、希望といったポジティブなもので満たされた場所になるでしょう。
スピリチュアルの世界でよく言われる「引き寄せの法則」も、基本的にはこの原理に乗っ取っています。
そのため、引き寄せの法則を教えている人は、「願望を実現させるためには、いつも良い気分でいることが大切です」とか、「ポジティブな気分を維持するために、プラスのアファーメーションを毎日行いましょう」といったことを盛んに提唱しています。
しかし、これを今読んでるあなたはすでにご存じの通り、常に良い気分でいることなどほとんど不可能と言ってよいでしょう。
人間としてこの世で肉体をもって生きている以上、良い気分のときもあれば、良くない気分のときもあります。
たまたま良い気分でいられる状況のときは良いのですが、問題はどうしても良い気分でいられず気持ちがネガティブになっているときです。
ネガティブ感情への対処法
自己啓発に関する本を読んでいると、あたかもネガティブな感情は避けるべき悪いもので、ポジティブな感情だけが常に望ましいものであるかのように書かれていることがよくあります。
しかし、このような考え方は非常に危険です。
なぜなら、何らかの理由でネガティブな感情が襲ってきたとき、この嫌な感情を忘れるために、お酒を飲んだり暴飲暴食をするなどして無理に抑圧してしまいかねないからです。
こうすると、あたかも一時は嫌な感情が無くなったような気になるかもしれません。
しかし、抑圧されたネガティブな感情は無意識に蓄積されてしまっただけで、実際は無くなってなどいません。
人間であれば、誰一人例外なくネガティブ感情に悩まされることがありますし、あなたと同じく私自身も全く例外ではありません。
ですから、何らかのネガティブな感情で苦しんでいるとき、「自分だけが何でこんなつらい思いをしないといけないのだろう?」と被害者意識に陥るのではなく、他のすべての人も全く同じような体験をしているのだということを知っておいてください。
だからと言って、ネガティブ感情が襲ってきて、不安や心配で夜も眠れない日が続くとさすがに精神的にも肉体的にも辛いので何とかしたいと思うはずです。
その対処法として私が推奨するのは、身体の身体感覚に意識を向けて感じてあげる「インナーボディ瞑想」が有効です。
その手法については後述することにします。
業績評価はモチベーションを下げる恐れがある
ほとんどの会社では、毎年度末や半年毎に業績評価が実施されます。
評価方法は大体どこの会社でも似たり寄ったりで、年初に立てた業績目標に対してどれだけ達成したか自己評価し、直属の上司に提出する、というのが多くの場合のやり方ではないでしょうか。
業績評価が行われる目的は、働く側の日々の仕事に対するモチベーションを高めること、達成度合いから、自身の仕事のやり方を振り返り来年度に活かすこと、それから、会社が従業員に支給するボーナス額を決定すること、です。
「一年の計は元旦にあり」とはよく言われますが、仕事においても同じように、一年間の目標を定めることで、ただ漫然と日々の仕事をこなすよりも効率的に仕事を進めることができることがあるので、良いことだとは思います。
ただ、この業績評価も人間が作ったものである以上、やはり多々問題があります。
まず、問題の根本は、人間が人間を評価するということです。
不完全な人間が同じく不完全な人間を評価するわけですから、当然、評価結果も不完全なものとなり、もし評価をする側の上司が部下のことをパワハラしていたり、普段から良くない感情を抱いているような場合、評価結果は部下にとって極めて不利なものとなる恐れがあります。
結局のところ、どれだけ評価規定でいろいろと定められていても評価する側の「感情」が無意識に入り込むことを完全に避けることはできません。
一番良いのは、業績評価自体を無くすことです。
働く側が本当にやる気があって働く意欲があれば、言われなくても自分で目標を立ててがんばるでしょうし、むしろ他人からの評価が無い方が本人が伸び伸びと働くことができ、成果を出しやすくなるのです。
逆に、働く側が仕事に対する意欲が全く無く、ただお金が欲しいがためだけに働いているのであれば、業績評価というものは忌むべきもの以外の何物でもありません。
そのような意欲のない状態でどんなにがんばっても、無駄な努力に終わる可能性が高いだけでなく、「低い評価を受けて給料が下がったりクビになったりしたらどうしよう。」、などと無駄な恐れによって仕事の効率を逆に下げてしまう危険性すらあり得ます。
本来、会社側が雇用者を監視するというシステム自体がこれからの時代にそぐわないのです。
他人の評価は気にしなくてよい
他人は、良かれと思ってあなたのことを評価してくることがあります。
「あなたのこういうところは良いけど、ああいうところは良くない。」
「あなたはもっとこうすべきです。でも、ああすべきではありません。」
などなど、好き勝手に言ってくるかもしれません。
思い当たる節があれば、素直に改善するように心がければ良いのですが、問題は、相手が自身でも気づいていない思い込みや個人的信条、劣等感、怒り、などの個人的な見地から上から目線であなたに指摘してきた場合です。
ただ、いずれの場合においても、相手が何らかの指摘をしてきた場合、それは必ず相手の世界観という心のフィルターを通した意見だということです。
これは逆の場合もしかりで、もしあなたがだれかの言動を見て「けしからん」と感じた場合、そこには意識的にせよ無意識的にせよ、必ずあなたの心のフィルターと通過した情報であることは確実です。
あなたが「けしからん」と確信したとしても、他の人は全くそのように思っていないどころか、むしろ賞賛しているようなケースさえあり得ます。
それだけ、全く同じように見える事象でも、見る人によって感じ方は180度異なることが十分に考えられるのです。
それは、人それぞれ生まれ持った性格が異なり、生まれ育った背景や社会情勢、時代背景などがバラバラだからです。
極端な例を挙げると、2022年2月に始まったロシアとウクライナの戦争に関して、日本を含む西側諸国ではロシアのプーチン大統領が間違っており、ウクライナ人は戦争の被害者だ、という認識で概ね共通しています。
しかし、ロシア国内はもちろん一部の共産主義国などではロシアを擁護する国もあります。
ここで、どっちが正しい正しくない、と議論することは、太平洋戦争において日本とアメリカのどっちが悪いのか議論するのと同じぐらい意味が無いことです。
国の指導者たちですら異なった意見を持つのですから、ましてや、私たち一般人が自分は正しいけどあなたは間違っている、と言ったところで、一体その発言に何の意味があるというのでしょう?
会社で働くほとんどの人は、このようなことについて考えることはしないので、会社内で意見の衝突によって人間関係の問題が生じるのはある意味、エゴを基準とした人間社会における法則のようなものと言えるでしょう。
結局、何が言いたいかというと、あなたは他人の意見にそれほど敏感になる必要はなく、話程度に聞いておけば良いということです。
パワハラ上司への対処法
あなたが長年サラリーマンとして働いてきた方であれば、一度か二度はパワハラの被害者になったことがあるかもしれません。
実際、驚くべきことにパワハラを受けること自体はそれほど珍しいことではありません。
日本の会社では、コンプライアンスが浸透してきた今の時代であっても、まだまだパワハラと受け取られるような言動であったり、そういった問題が根深く残っているようです。
まず、パワハラをしてくる人の心理について考えてみましょう。
彼ら/彼女らは何故、他の人に対してパワハラをしなければならないのでしょうか?
まず、パワハラ加害者は一時的に「精神を病んでいる」ということが特徴です。
例えば、すぐに相手を怒鳴って怒りを抑えることが出来ない人がいるとしましょう。
本人は、「これは怒っているんじゃなくて、叱っているんだ。」と言い訳をするかもしれませんが、事実は単純に感情を抑えられずに怒っているだけです。
まず、怒りの感情が湧いた瞬間にそれを自覚することができない、すなわち、感情のコントロールができない、ということは、自分自身の心の動きを客観的に見ることができない情緒不安定な精神状態にあります。
つまり、心がエゴに支配されてしまっていて理性が働かなくなっている状態です。
また、誰かに怒りをぶつけるという行為の裏には、「自分をもっと認めて欲しい」「悲しい」という承認欲求と、それが満たされない悲しみが隠されています。
ですから、もしあなたがパワハラを行っている人物に遭遇したときは、「あの人は愛されることを必死に求めているんだなあ」と理解してあげることが大切です。
ここで重要なことは、仮にあなたがパワハラの被害者になって、同じように怒りの感情を抱いたとしても、同じような態度で接してはいけないということです。
同じような態度で接してしまうと、相手はますます感情的になり、より一層状況がこじれてしまいます。
そうではなく、自分自身の内側に湧いてきた怒りや恐れなどの感情を客観的に俯瞰して見る練習をするようにしましょう。
頭では分かっていても、いざ自分が被害者になってしまうと、途端にネガティブな感情に巻き込まれてしまって、気付いたら同じように感情的に応戦してしまっていたということはよくあることです。
こうなると、あなたの意識レベルが向上しないばかりか、相手と同レベルにまで引きずり降ろされてしまいかねませんので、普段から練習して自身の内面を観察する習慣をつけるようにしましょう。
今の仕事がつらい時の対処法
あなたは今やっている仕事にやりがいや喜びを感じていますでしょうか?
それとも、やりがいや喜びなど全く無く、ただ毎月の給料をもらうことだけを目的に日々苦しみに耐える絶望的な毎日を送っているだけでしょうか?
家族を養い生活していくためにはお金が必要だからという理由だけで、全く興味関心のない仕事を続けていたりしませんでしょうか?
私が東京で単身赴任してサラリーマンとして働いていたとき、いろいろな人に聞いたことがありますが、圧倒的に後者の理由で仕方なく働いているという人があまりにも多いことにショックを受けたことがあります。
毎朝、満員電車に揺られて通勤していましたが、周囲にいる同じサラリーマン風の人の表情はまるでゾンビのように感情を無くした死人のような顔をした人たちばかりでした。
会社のオフィスが品川駅の港南口方面にあったのですが、朝8時~9時になると、港南口の通路が通勤するサラリーマンの行列で埋め尽くされていて、追い抜かすことができないため、彼らと一緒にゆっくりと行列に並んで歩いていました。
そんな状況下でいつも感じていたことは、「何かがおかしい」ということでした。
一体何がおかしいのか、当時の私には具体的に答えることができませんでしたが、何とも言えない心の違和感を感じ続けていたことだけは確かです。
一つ言えるのは、「不自然で本来の人間の姿からかけ離れている」という感覚だったように思います。
さて、前置きが長くなりましたが、もし、あなたが今働いている職場が精神的・肉体的にとても苦しく、どんなに良くしようと工夫して頑張ってみたものの何も改善される見込みがないとき、あなたが取るべき行動は次の3つです。
① 無理を続けて今の職場に居続ける
② 思い切って転職するなどして環境を変えてみる
③ 内面から物事の捉え方を変えることで周囲の世界がどう変わっていくか試してみる
①は、狂気の選択と言えるでしょう。
しかし、①を選択したからといって、それが「間違い」ということではなく、たしかに苦しみが続く可能性は非常に高いですが、その苦しみを経験することによってしか得られない心の学びが必ずあるので、長い目で見るとメリットも数多くもたらされます。
②は、これら3つの選択肢の中でも最も自然で苦痛の少ない選択でしょう。実際、多くの人が②を選択するのではないでしょうか。
③は、これまでお話ししてきた集合的無意識の話に通じるところがあります。
この選択肢を選ぶことは、あなたがどれだけ集合的無意識について理解し、内面の状態が周囲の世界に投影されるのかを実体験として確認するのには格好の選択であると言えるでしょう。
今の職場を離れるべきサイン(体の声を聞く)
もし、今の職場で働くことが苦しくてたまらず、どんなに状況を改善しようと努力したにも関わらず状況が一向に良くならない場合、まずやるべきことはあなたの「心の声」に耳を傾けることです。
「心の声」と聞くと、何となく掴みどころのない感じがするかもしれませんが、落ち着いてリラックスした状態で職場のことをイメージした場合に、身体感覚がどのように感じられるかに意識を集中してみることです。
何とも言えない不快な身体感覚、例えば、胸が締め付けられて呼吸が浅くなったり心臓の鼓動が速くなったりする感覚だったり、みぞおちの辺りがギュ~と締め付けられるような感覚だったり、人によって感じ方は様々ですが、共通して言えることは、極めて心地良くない感覚だということです。
もし、職場のことをイメージする度にこのような不快な身体感覚を感じるのであれば、あなたの心の声は、今の職場に留まることを望んでいないことになります。
心の声が今の職場に留まることを望んでいないにも関わらず、お金の心配や将来の不安、社会的信頼が失われることに対する恐れ、といったエゴの衝動によって留まり続けようとするとどういったことが起きるか見ていきましょう。
これまで述べてきた集合的無意識の原理に通じることなのですが、周囲の人々や出来事などさまざまな事象が、あなたの心の声を映し出す鏡として、あなたに訴えかけてくることになります。
例えば、上司からパワハラを受けるようになったり、同僚などから怒りのメールを受け取ったり、やたらと粗探しをされて攻撃のターゲットになったりするようなことが度々起きるようになってきます。
ここで、参考までに私の体験談をお話しします。
私はとある外資系の医療機器メーカーに転職したのですが、与えられた業務内容に興味関心を見出すことができず、なかなか新しい業界での仕事を習得することができなかったため、
「私は上司や同僚たちから嫌われて会社をクビになるのではないだろうか。」
と、常に恐れに苛まれるようになりました。
そして、そういった仕事ができないと思い込んでいた自分に対して内心怒りの感情すら抱いていました。
そうする、どうなったかというと、優しかった上司が次第に私に対して厳しく接するようになり、露骨に怒りをぶつけてくるようになりました。
上司からの信頼を取り戻そうと夜遅くまで頑張れば頑張るほど状況は悪化していきました。
そして、その上司は、業務時間の貴重な時間と労力を使って、仕事をする代わりに私を貶めるために一生懸命努力するようにすらなりました。
上司というのは部下を育てるのが一つの役割であるはずなのですが、その当時の上司は、逆に私を何とかして貶めることに一生懸命になっていたというとても滑稽な状況になっていました。
当時の私にはなかなか理解ができなかったのですが、今では、それが周囲の人や状況などによって私の心の声が見事に映し出された現象であったことがよくわかります。
何度も申しますが、あなたが認識する世界は、あなたの内面を映し出したものです。
映し出された世界に関して、どう考えても内面に心当たりがない場合、普段表面上の意識に浮上することがない潜在的な意識に内在されたものが原因になっています。
あなたが自分自身のことを嫌っていると、あなたのことが嫌いだと表現する人や出来事に遭遇することになります。
あなたが自分自身に対して怒りを抱き続けていると、あなたに対して怒りを表現する人や出来事に遭遇することになります。
あなたが周囲の人に恐れを抱き続けていると、あなたを恐れさせる人や出来事に遭遇することになります。
結局のところ、重要なことは、常にあなたの本心である「心の声」を聞いてあげて、その声にしたがって行動に移すことです。
そうすることで、人生の物事は以前よりもだいぶスムーズに流れていくのを実感することになるでしょう。
仕事や家庭など、生活に直結することに対して心の声に忠実に生きることはいつも簡単に出来ることではないかもしれません。
そこには常にエゴの叫びであるところの、恐れ、不安、悲しみ、罪悪感といった感情が付きまとうことが多いため、なかなか心の声に従った行動に移すことは難しいと感じるでしょう。
しかし、エゴの叫びは、常に「未来」や「過去」という今現在どこにも存在しないイメージ(妄想)に基づいたものであって、根拠がありそうに見えて実は全く現実的でないことに気付いて下さい。
エゴという「最もらしい幻想」にだまされて、あなたらしい人生が歩めないということは憂慮すべきことであるだけでなく、あなたの精神と肉体を徐々に蝕んでいくことになります。
産業医のカウンセリングはあまりあてにならない
従業員が50人以上いる会社には従業員のメンタルヘルスを守ることを目的に、必ず一人以上の産業医を置かなければいけないことになっています。
何らかのメンタル的な不調を長期間感じる場合、主に人事や総務関連の部署を介して産業医との面談が設定されることがあるかと思います。
ポイントは産業医との面談を行うことによって、抱えているメンタル的な不調が改善されるかどうかということになりますが、大抵の場合あまり効果はありません。
これは産業医自体が悪いということではなく、メンタル的な不調自体が極めて個人的なものであるため、あくまで他人である産業医にはあなたの状況を的確に知る手段がないということです。
「無理をし過ぎないように」とか、「適度に休息や運動をするように」、「食事を十分に摂るように」といった極めて一般的なアドバイスに留まるケースがほとんどでしょう。
また、産業医の先生とつながりのある心療内科への紹介状を書かれることもありかもしれません。
いずれにせよ、会社の産業医は、あなたの心の問題を解決することはほとんどできないと言ってよいでしょう。
一番にアドバイスを求めるべき相手は、あなたの「心の声」なのです。
今の仕事が向いているか確認する方法
私たち一人一人はこの地球上で全く異なった役割(仕事など)があり、地球の全人口をざっくり80億人とすると、80億通りの異なった役割があるということになります。
これはパズルのピースのようで、誰一人が欠けてもパズルは完成しないのです。
つまり、あなたにはあなたにしかできない役割があってこの世に生まれてきています。
これをスピリチュアル関係の人は「魂の約束」とか言ったりしますが、本書ではその必要が無いのであまり深く突っ込まないようにします。
これを仕事に置き換えると、あなたにはあなたにしかできない仕事があるということです。
もしかしたら、サラリーマンの営業職として働くことかもしれませんし、研究開発職として働くことかもしれません。
はたまた、フリーランスで何かあなたにしかできない仕事をすることかもしれません。
それをどうやって見分けるかですが、基本的には、その仕事をやっていて心から楽しいと感じる仕事です。
ですので、もし今あなたがやっている仕事が何年やっていても全く楽しくならないのであれば、その仕事はあなたの魂の目的から外れている仕事です。
そして、魂の目的から外れた仕事をやると必ず現れるサインがあります。
今回、そのサインは大きく4つのステップがあり、ステップが上がるごとに状況がシビアになります。
それでは、その4つのステップについて見ていきましょう。
ステップ①
その仕事を始めたとき、周囲の人から「大丈夫?やめた方がいいんじゃない?」みたいな感じでソフトな感じのアドバイスを受けます。
しかし、大抵の人、特に、自分に対して厳しい人や真面目な人、はこの程度では全く動じません。
ステップ②
その仕事を始めて時間が経つにつれて仕事の負荷が精神的・肉体的に大きくなり、大きなストレスを感じるようになります。
しかし、もしあなたが頑張り屋さんであれば、「この仕事は向いてないかも」と思う代わりに、「今苦しいのは自分の成長のためだ」と自分に言い聞かせたりして、ますます苦しい状況に身を置き続けることになります。
ステップ③
これは本当によくある話なのですが、必ずあなたに対してパワハラを行ったり、何らかの精神的な嫌がらせをしてくる人が現れてきます。
分かりやすく言うと、要するにいじめや嫌がらせを受けるようになります。
ここでも、頑張り屋さんであれば、「せっかく入った会社をすぐに辞めるわけにはいかない。少なくとも三年は我慢しなければ。」といった感じで、自分自身に鞭を打って辛い環境に耐えようとします。
ステップ④
最後の段階までくると、精神的・肉体的な病気になったり、不慮の事故に遭ったりして、強制的に働けなくなります。
ちなみに、サラリーマンをやっていた頃の私は、この最後のステップまで進みました。
気づくのは早ければ早いほど良いですが、真面目で勤勉かつ頑張り屋の日本人は最後のステップまで進んでしまう人が多くいます。
以上、魂の目的からずれている仕事をやってしまった場合に起きる4つのステップを紹介しました。
どうしても合わない職場からは逃げ出すことも考えてみよう
あなたがサラリーマンとしてどこかの会社に勤めているとして、どうやっても今の職場に居続けることが耐えられないほど苦しいのであれば、別の職場に移るということを考えてみてください。
私が学校を出て会社で働き始めたころの時代では、どんなにその職場が苦しくても最低3年間は働くべきだ、といった社会通念のような共通認識がありました。
しかし、インターネットを介して多種多様な情報を入手できるようになった今の時代ではそこまで根拠の無い社会通念は、もはや何の意味も成しません。
むしろ、苦しくて仕方がない職場、つまり今のあなたに全く向いていない職場に居続けることは、あなたの精神的な健康にとって非常に有害であるばかりか、周囲の人たちにも良くない影響をもたらしてしまいます。
昔であれば、「逃げる」という悪いイメージがあり、それはすなわちあなたが負け犬であることを暗に意味していました。
しかし、この場合、決して「逃げる」のではなく、あなたが自身の人生に責任をもって、精神的・肉体的な健康のためにより良い環境を自ら選択していく、という意味になります。
会社はあなたの人生に責任を取ってはくれません。
社会はあなたに「こうするべきではない。ああするべきだ。」など、さまざまなことを言ってくるかもしれませんが、その社会のだれもあなたの人生に責任を取ってくれるわけではありません。
今の職場に留まるべきか、それとも離れるべきか。
それは、あなたの「心の声」が知っています。
心を静めてリラックスし、今いる職場のことをイメージした時の身体の感覚に意識を向けてみてください。
それは、ワクワクした心地良い感覚ですか?
もっと、がんばって成果を出してみたい、とドーパミンが放出されるような感じですか?
それとも、職場のことやそこにいる人々のことをイメージした途端、胸やみぞおちの辺りがキューと締め付けられるような不快な感覚がしますか?
また、絶望感を感じたり、その会社の将来に対して悲観的な感じになりますか?
心臓の鼓動が早くなって呼吸が浅くなるのを感じますか?
もし、前者であれば、今の職場に居続けた方が幸せでしょう。
しかし、後者であれば、今すぐにでも転職することを考えてください。今のあなたにとって、そのように感じる職場なのであれば、長く居れば居るほど精神が蝕まれていきます。
会社は劣等感のたまり場
ある特定の業種において特定の製品やサービスを提供している会社という場所で働くうえで知っておくべきことがあります。
それは、基本的に職場という場所は、人間の劣等感に満ち溢れた特殊な環境である、ということです。
その会社での仕事内容が好きで働いている人もいれば、生活に必要なお金を稼ぐためだけに仕方なく働きに来ている人もいるでしょう。
ただ、いずれの場合においても、働いている人の興味関心に100%合致していることは非常にまれなケースで、多くの場合、みんな何らかの不安を抱えながら働いているものです。
その場合、人間の心理的傾向として何が起きるかというと、大なり小なりの劣等感を抱えることになります。
人は劣等感が強ければ強いほど、それを認めたくないという思いが強くなり、同時に他人を比較評価するようになります。
自分より優れているから見習ってもっと自分も向上したいという前向きな思いや感情だけであれば良いのですが、残念ながら、人によってはあまりに強い劣等感を直視したくないがために、他人の粗探しをしたり、酷い場合、陰口などでその人の悪口を言ってしまう人もいます。
これが職場における人間関係の問題の一つの原因になることが往々にしてよくあります。
サラリーマンとしてある程度勤務されている方であれば、すでにお気づきだと思いますが、ランチの時間にその場に居ない人の悪口を言い合ったり、退社後に居酒屋で上司の悪口を同僚と言い合ったりしている人に遭遇したことが一度か二度はあるのではないでしょうか。
陰で悪口を言っている人の本心は、「自分のことを認めて欲しい」という切なる思いです。
その根底には、「自分は価値のないダメな人間なのではないか?」という根拠の無い劣等感があります。
ですので、もしあなたが職場でこのような人に遭遇した場合、あるいはあなた自身がそういうことをしていると気付いた場合、このことに気付いておくことが、人間関係を円滑にするためにとても重要になります。
職場は素晴らしい精神修養の場!
この世に生を受けた私たち人間の共通目的は、成長することであり、もっと言うと、「本来の自分とは何かについて思い出すこと」です。
人生を生きていて嫌な出来事が必ず起こるようになっているのも、そういった理由からです。
嫌な出来事を通してでなければ、人間というのは成長しないですからね。
ですので、あなたの人生において何か嫌な出来事が起こった場合、感情的には当然受け入れがたく感じますが、しばらく時間が経った後に、「あの時の嫌な出来事があったおかげで今の自分がいるんだ。」ということに気付いて感謝すらしたくなることがあるかもしれません。
そういう意味で、さまざまな異なる人が集う職場という環境は、あなたの人間性を急成長させることができる格好の精神の修養所なのです。(しかもお金までもらえる!)
例えば、職場にどうしても好きになれない嫌いな同僚や上司がいるとしましょう。
あなたにいつも意地悪をしてくる彼/彼女のことをあなたはどうしても許せないかもしれない。
出来ることなら、交通事故に遭って死んでしまうか、病気になって働けなくなって職場を去って行って欲しいと思うかもしれません。
しかし、実は、そういうあなたがどうしても許せないと思う人こそが、あなたの精神を向上させてくれる重要な人物なのです。
もし、彼/彼女に対する怒りの感情だけにまかせて相手に暴言を吐いたり何とかして貶めようとするのは、その時その瞬間だけは気持ち良いかもしれませんが、長い目で見て振り返った時に必ず後悔に苛まれることになります。
では、その憎らしい彼/彼女はあなたに何を教えようとしてあなたの前に現われてくれているのでしょうか?
それは、あなたが「赦すこと」を学ぶ機会を提供するためです。
重要なポイントは、「許し」ではなく「赦し」です。
「許し」という言葉は、相手が何かよろしくないことを行ったけれども、勘弁してあげるという意味です。つまり、相手は悪く自分は正しい、という上下関係が前提にあるのです。
それに対し「赦し」という言葉には、そもそも相手は何も悪いことを行っていないということを認める、という意味になります。この場合、「許し」と違い、相手と自分は同等の立場というのが前提になっています。
相手があなたに対して明らかに心を傷つけるような「悪い」ことをしたのに、それが起きていなかった、というのはどういうことでしょうか?
ここで先にお話しした集合的無意識のことを思い出していただきたいのですが、周囲の世界はあなたの心の内側を投影して映し出した世界です。
つまり、あなたに「悪い」ことをした相手は、あなたの隠された内面、あなたが見ないようにフタをしてきた、罪深いと信じている自分自身の一面、をあえて表現して見せてくれているということになります。
そして、そのあなたがずっとフタをして抑圧してきた「罪悪感というのは実在するものではない」幻想に過ぎないのです。
幻想であり実在するものではないのですから、あなたが見たくない抑圧してきた思い込みを見せてくれた相手が行った「悪いこと」も実在するものではない、ということになります。
ここに「赦し」の真髄があります。
つまり、「赦し」というのは相手に対して行うことではなく、何を隠そうあなた自身に対して行うことなのです。
あなたは。これまで「自分は罪深いダメな人間だ」と信じ込まされてきました。しかし、それは真実でも何でもないただの幻想ですよ、とあなたに教えてくれる存在が、まさしくあなたが毛嫌いしているその嫌な同僚だったり上司だったりするわけです。
第二章 仕事の選び方
興味関心が持てることを仕事にする
一度、近所のハローワークに行ったときのことです。
そこで一枚の大きなポスターを目にしました。
そのポスターには仕事を見つけるためのプロセスみたいなことが書かれていました。そのプロセスの一番目の言葉に目がとまりました。
「1.自分自身を知ること」
これを見たとき、「時代は変わったなあ」と感じました。
一昔前だったら、このような発想は出て来なかったでしょう。
下手すると、自己啓発セミナーや新興宗教だ、と怪しまれていたかもしれません。
しかし、怪しいことでも何でもなく、実に当然のことだと思います。
そもそも、自分が自分自身のことを分かっていないのに、どうやって仕事を選択できるというのでしょう?
なので、この「自分自身を知ること」という言葉には、当たり前だと感じると同時に、古い価値観を心の片隅に持ち合わせていた私にとって、とても感銘を受けました。
では、仕事を探すうえで自分自身を知ることとは、言うまでもなく、自分がどんなことに興味関心を感じるのか、ということについて考えることです。
私が新卒で就職活動を行っていた時代における仕事の選び方は、今とはかなり違ったものでした。
当時主流であった仕事を選ぶ時の基準は、いかに規模の大きい会社(いわゆる大企業と呼ばれる会社)に入社できるか、ということでした。
大企業に入社さえすれば、その後の仕事人生は安泰で給与も比較的高く、結婚もしやすく、老後は年金で悠々自適に暮らせる、という社会的な固定観念が色濃く残っていた時代でした。
ところが、この本を執筆している2023年時点で、そのような社会的固定観念はほぼ無くなってしまいました。
過去_20_年間で事情は大きく変わり、大企業に入社したところで一生勤められる保証はどこにもなく、転職をするのが今では当たり前になりました。
私自身、このこと自体はとても良い変化だと感じています。
この変化があったおかげで、今の若い人は昔の若い人に比べて、より自分が本当にやりたいと思える仕事を躊躇なく選択できるようになったわけです。
実際、仕事というのは人生の時間の大部分を費やすわけですから、本来であれば、いつの時代であっても、仕事を選択するときは、興味関心があって心から本当にやりたいと感じることを基準にするべきだったのですが、インターネットも無かった昔の時代は得られる情報量も非常に限られており、新聞やテレビ、学校の先生、親などから入ってくる非常に偏った情報に流されてしまう傾向が強かったのです。
ただ、今の時代であっても、給料の高い低いにこだわる人は多いようです。
もちろん給料は高いに越したことはありませんが、それだけを基準に仕事を選んでしまうと後々大変な苦労を強いられることになりかねませんので、注意が必要です。
転職で基準にしてはいけないこと
仕事を選ぶ時の基本は、その仕事に興味関心を感じるかどうか、ということを述べましたが、今度は、就職から少し話を進めて、転職をするときの仕事選びにおいて、「基準にしてはいけないこと」について述べてみたいと思います。
1.転職エージェントに勧められたから
転職エージェントがさまざまな理由をつけて転職を勧めてくる一番の理由は、あなたを転職させることで、転職先の企業から、あなたの理論年収の1/3程度の報奨金がもらえるからです。
つまり、本当にあなたの幸せを考えて転職を勧めているのではなく、自分の会社が儲かるからです。
彼らが必死にあなたに転職を勧めてくるのには、課せられたノルマを達成しなければならない大きな理由があります。
外資系エージェントの場合、決まった期間に最低何人以上転職させること、といったノルマが課せられます。
このノルマを達成できなければ、会社を解雇されたりする場合があるため、担当エージェントもかなり必死になるわけです。
2.年収が今の会社より高いから
年収が高くなること自体は別に問題ありませんが、もし、その会社の仕事内容に興味関心が無いにも関わらず、お金に対する執着心だけで転職をすると、次の会社に移っても遅かれ早かれまた転職することになる可能性が非常に高いです。
3.今の会社の人間関係に不満があるから
本書の最初の方で述べたように、多くの人が人間関係の問題が原因で転職しています。
これには、
「別の環境に変えることで、今の煩わしい人間関係の悩みから解放されるはずだ。」
という期待と思い込みがあります。
しかし、実際にこれが原因で転職するとどうなるかと言うと、大抵の場合、また似たような人間関係の問題で悩まされるようになります。
例えば、上司が嫌いでたまらず転職した場合、移った会社でも同じような最悪に見える上司に遭遇することになります。
理由は、本書を読み進めてきた読者の方であればもうすでにお分かりかと思いますが、あなたの内面が周囲の世界に投影されるため、あなたの内面が変わらないまま職場を変わっても、見える現実は、ほとんど同じものになります。
悪いことに、もし、あなたが癒されるべき感情や思い込みをそのままにして抑圧してしまった場合、あなたの心の声はあなたに気付いてもらうために、ますます周囲にあなたのことを攻撃したり指摘してきたりする人たちで溢れかえってくることになるでしょう。
それでも、気付かなければ、遅かれ早かれあなたは転職を何度となく繰り返す羽目になってしまいます。
ちなみに、私は約20年間のサラリーマン生活の中で転職したときは先に挙げた3つのの理由で転職したことがほとんどでした。
そして、結果はどうなったかというと、言うまでも無く、転職を何度となく繰り返すこととなり、転職を繰り返すたびに状況はますますひどくなる一方でした。
サラリーマン最後の年は、体と心を病んでしまい、結局、働けない状態にまで追い込まれてしまいました。
大事なことなので、もう一度書きますが、就職や転職などで仕事を選ぶ時は、
「本当に心から自分がその仕事をやってみたいと思っているかどうか」
という判断基準を絶対に忘れないようにすることが大切です。
ただ、もしあなたが、先に挙げたような転職の理由としてお勧めできない理由で転職を繰り返したとしても、何も後悔する必要はありません。
何故かと言うと、私たちはみんな、この地球上に体験によって学びを得るために生まれてきたからであり、転職するかどうかということは究極的な見地から見ると、あまり重要ではないからです。
もちろん、就職や転職をするに際して、
「本当に心から自分がその仕事をやってみたいと思っているかどうか」
という判断基準は、あなたが長くその業界で働きたい場合、有利になります。
会社をクビになる意味
勤めている会社をクビになることには必ず意味があります。
それは、あなたにとってその会社はこれ以上居るべき場所ではないということです。
言い換えると、あなたにとって、もっとあなたが幸せになれる場所があるということです。
人生において起きることに無駄はなく、起きるべきことは寸分の狂いなく起きるようになっています。
会社をクビになることは、あなたに強烈な怒りや絶望感、自己否定感、将来に対する不安などの感情をもたらします。
そのため、クビになった直後はその事実を受け入れることが出来ず、まるで人生が終わったかのように感じることもあるでしょう。
これは極めて自然な反応です。
しかし、事実は、あなたがこれまで以上に素晴らしい職場や働き方が手招きして待っている、ということなのです。
私たちは将来のことが分かりませんから、クビになった直後は、ネガティブな将来のイメージばかりが頭の中をよぎり、夜も眠れなくなるほどの苦しみを経験することすらあります。
しかし、頭の片隅で必ず覚えておくべきことは、そういった人生のあらゆる転機と呼ばれる出来事は、すべてがより人間的に向上し、幸せな人生を送ることが出来るようになるための準備段階である、ということです。
まさに、人生の転機は、あなたの人生にとっての「ビッグチャンス」なのです。
あなたの天職の見つけ方
どうすれば天職に巡り合えるのか?
その方法論について書かれた本や、それを教える自己啓発的セミナーは無数に存在しています。
それだけ、私たちは、今の嫌いな仕事を離れて、楽しみながら一生できる天職を見つけたいと思っているということです。
結論から言うと、やり方はとてもシンプルで、
「あなたが心から興味関心を感じること」
を始めることです。
もし、今の会社で取り組んでいる仕事内容に興味関心を感じるのであれば、それがあなたの天職になりうるでしょう。
もしあなたが自分はサラリーマンとして働くことに明らかに向いていないのであれば、それは、サラリーマン以外にあなたに合った働き方があるということを意味します。
明らかに向いていない仕事を続けると貴重な人生の時間を苦しみに費やすことになります。(もちろん、その中から学ぶことを考えるとそれはそれで素晴らしいことです。)
重要なことは、最初からお金を稼ぐことを第一目的にしないことです。
好きなことを続けていればいつの間にか必要なお金が入ってくるようになる、というのが最も自然な流れでしょう。
このとき忘れてはいけないのが、「あなたの心の声に耳を傾ける」ことです。
あなたの心の声はあなた自身のことについて何でも知っています。
あなたが思考を使っていくら考えても分からないことも、あなたの心の声はすべて知っているのです。
心の声を聞くためには、頭の中のおしゃべりを少なくしていくことです。あなたの頭の中は止むことの無いおしゃべりでいっぱいになっているかもしれません。
このことを確認する良い方法は、瞑想してみることです。坐禅を組んでみるのも良いでしょう。
心を落ち着けて座った時、あなたの頭の中はどうでしょうか?
おしゃべりが止むことなく流れ続けているのではないでしょうか。
この頭のおしゃべりと何年間もの長い間一緒に生きてきたのですから、急に止めることはできないでしょう。
そして、瞑想してみると分かるかと思いますが、それら頭の中のおしゃべりのほとんどすべてが全くもって意味の無いことばかりではないですか?
心の声を聴こえやすくするためには、この「あたまの中のおしゃべり」と止めるか、少なくとも、俯瞰して見ることができるようになることが重要です。
近年、マインドフルネス瞑想というものが流行っていますが、これは頭の中のおしゃべりに気づくためのとても良い方法です。
頭の中のおしゃべりを無くすことで、あなたはより敏感に心の声を聴くことができるようになり、人生は以前よりも断然スムーズに流れるのを実感することでしょう。
では、この思考を止めるにはどうすれば良いのでしょうか?
この方法については後の章で詳しく述べることにしますので楽しみにしてくださいね。
苦しみの人生のはじまり
私は生まれつき人見知りな性格で、学校ではいつも独りぼっちでした。
日本の学校では学期末になると、通知表なるものが学校から各家庭に渡されます。
その中では、各科目の総合的な評価だけでなく、担任の先生から見たその生徒の学校での生活の様子などが書かれています。
私の通知表には毎回のように次のようなことが書かれていました。
「積極的に友達を作ろうとせず、いつも一人ぼっちでいることが多く見られます。もっと積極的に発表したり友達を作って遊んだりするようにしましょう。」
事実、私は人見知りな性格が発展して対人恐怖症で悩んでおり、他の人に話しかけるなどと言うことは恐ろしくてできませんでしたし、ましてや授業中に手を挙げて発表するなどもってのほかでした。
今の時代でもある程度そうかもしれませんが、私が子供だった時代は、みんなと同じことができて協調性があり、何事にも積極的であることが教育においては重要とされていました。
しかし、私はそういった教育現場が求める人物像とはかけ離れた子供でしたから、先生からの「評価」が概して低いものでした。
つまり、私が生まれ持った性質と当時の学校教育が求める人物像とのギャップは、私の心に劣等感を植え付けるのに充分なものでした。
このようにして私の中の劣等感はますます強くなっていき、思春期になって周囲と自分を過剰に比較するような年頃なると、あたかも「自分はいつも自分に満足していて幸せな人間なんだぞ」といったようなニセの振る舞いによって周囲に自分をアピールするようになっていました。
この頃から徐々に、私はニセの作り上げられた自分を演じて生きるようになってしまいました。
心の中は孤独感や疎外感、劣等感などでいっぱいであったにも関わらず、周囲には、あたかも「私はいつも心穏やかに落ち着いていて人生のすべてを知っている」というフリをして自分と他人を欺いて生きていました。
そういった中で、私は本当の自分が何者なのかについて考えることをやめ、心の声が何を訴えているのか聞くことをやめてしまい、本当に自分が求めるいることを考えなくなってしまいました。
向いていない仕事を20年間続けてわかったこと
当時の大学生は、4年生になるか修士課程2年生とみな一斉に就職活動を始めるのが一般的でした。
私の場合4年生になって時点で何の仕事をしたいのかが全く分からず、また、当時の私のような人間が会社に入ったところでうまくやっていけないだろうことは何となく予想がついていたので、特に目的も無く修士課程に残りました。
修士課程2年生になると、周囲の人たちは就職活動を始めるわけですが、私は、興味はなかったにも関わらず、「学校を出たらなるべく良い会社に入ってなるべく一生勤め上げるのが正しい生き方だ」と思い込まされていましたので、周囲の人と同じように就職活動を行いました。
そして、卒業後にとある電線メーカーに研究開発エンジニアとして働き始めましたが、当然このような性格ですから、周囲と馴染むことが出来ないばかりか、常に対人恐怖症によって上司が恐く、強い自己否定感ゆえに自分のやることなすことに全く自信がなく、とても精神的に辛い日々でした。
仕事に関しても、「こんなことを毎日やっていて一体自分の人生に何の意味があるのだろうか?」と自問自答するばかりで、成果らしい成果は全く出せませんでした。
そんな感じで職場に馴染めなかったわけですが、それでも無理して_5_年間働き続けました。
その会社を辞めたとき、すでに自分はサラリーマンという働き方に全く向いていないことに気づいていましたから、次は自分で何か新しい仕事を始めよう、と思っていました。
しかし、ちょうど会社を辞めて2か月後に結婚したことと、サラリーマン以外に何をやれば良いのか分からなかったことが原因で、結局またサラリーマンに戻ることになりました。
それから、数回の転職を繰り返すことになるわけです。
サラリーマンとして働く以外にお金を稼ぐ方法を知らないだけでなく、自分で何とかして知ろうとしなかったこともあり、結局トータルで20年間サラリーマンを続けることになりました。
そして、最後の20年目、ついに心身共に病気になり、これ以上働くことができない状態となりました。
いわゆる「強制終了」という状態です。
一般的な感覚では、仕事を失うと。
「大変だ! これから一体どうやって生きていけば良いのか?」
と、焦る気持ちになると思いますが、当時の私の本音は、
「これでやっと楽になれる」
でした。
向いていないサラリーマンという働き方を20年間続けたことにより、精神的にもかなり苦しい経験をたくさんしましたが、それ以上に体験によって得られたことの大きさに満足しています。
苦しかった経験をさせてもらえたことに感謝していますが、私は、多くの人に私と同じような経験はできるだけして欲しくないと思っています。
よく「人生は学びの連続だ」という言葉を聞くことがありますが、たしかにその通りだと思います。
苦しみの経験は、学びにとって極めてうってつけの経験です。
楽しい経験からでは、本当に大切なことを学ぶ機会はそれほど多くはないでしょう。
だからと言って、私のおばあちゃんが口を酸っぱくして言っていたように、「人生の苦しみは勝手でもするもんじゃ」とは、決して思いません。
基本的なスタンスとしては、いかに楽しく人生を過ごすことができるのかを考えて行動に移すのが賢明でしょう。
でも安心してください。
たとえどんな生き方を選択しようとも、苦労というものは必ず向こうからやってくるようになっています。
私のおばあちゃんが言っていたように、わざわざ苦労を買い求めに行くようなことはしなくて良いのです。
どんな人の人生にも必要な苦しみが絶妙なタイミングでやって来ます。
あなたは、苦労がやって来るたびに、「ああ、今度はこう来たか」と、宇宙の采配を畏敬の念とともに受け入れ、ただ淡々と目の前にあることをこなしていくだけで良いのです。
自分自身を知るということ
あなたが覚えておくべきことは、どのような理由で就職あるいは転職しても、大抵の場合、何らかの苦難を体験するようになっているということです。
そして、この苦難こそが、実は、私たちの本心本音の部分が最も望んでいることなのです。
何故かと言うと、人間は苦難を通して多くのことを学び自分自身についての気づきが深まり、成長することができるからです。
これこそが、私たちがこの地球という星にわざわざ生を受けた理由の醍醐味とも言えるでしょう。
仕事に関係なく、人生ではだれしもが何らかの困難な出来事を経験しますが、これに関しては何一つ心配することはなく、安心してもらって大丈夫です。
なぜなら、「あなたが人生で乗り越えられない試練は絶対に与えられないようになっている」からです。
仮に、乗り越えられない試練を体験したいと望んでも、それが与えられることは絶対にありません。
人生で苦難や苦労を体験するようになっている大きな理由は、すなわち、
「自分が『何者』であるかを知ること」
に他なりません。
あなたは自分の姿形を確認するときどうしますか?
そう、鏡を見ますよね?
同じように、あなたが自分自身のこと、つまり、あなたの内面の思考や感情、自分がどういう人間なのか、ということを知るためにも鏡を見ることが必要です。
それが、この場合、あなたの周囲にいる人々になります。
あなたの周囲にいる人々は面白いようにあなたの内面を映し出して見せてくれます。
これこそが、会社という不特定多数の人がいる場所で働く醍醐味といっても過言ではありません。
家の鏡で自分自身の姿形を見ていて、好きなところもあれば嫌いなところもあるでしょう。
職場にある鏡でも、同じように好きな自分と嫌いな自分を見ることができます。
ただ、厄介なのは、職場の鏡で自分自身の内面を見たとしても、それをすぐさま自分のこととして受け入れることができない、ということです。
もし、それが難なくできるのであれば、あなたはもはや会社という場所にはいないかもしれません。
どうしても、最初は、到底目の前に現れた嫌な人のことを自分自身のことだと受け入れることはできず、その目の前に現れた相手のことを非難することになります。
そして、このことがどこに行っても繰り返される人間関係の問題の大きな理由の一つなのです。
ですので、職場であなたの周りにいる嫌な人、例えば、いやがらせのメールを送ってくる同僚やあなたの粗探しばかりをする上司、陰であなたに関する悪い噂話をする人、ランチであなたを仲間外れにしようとする人、などなどあらゆる種類の「嫌な人」に対してあなたが取るべき行動は、次の三つです。
① 他人は変わらないとあきらめてもう気にしないこと
② 相手の嫌な態度は自分の内面のどの部分を映し出しているのだろうと推測すること
③ 湧いてくる怒りや恐れ、絶望などのネガティブな感情を身体感覚として感じてあげること
特に、②は、他人があなたの内面を鏡をして映し出してくれている貴重なチャンスを逃さないために是非毎日取り組むようにしてみてください。
例えば、毎日あなたに憎しみのこもったメールを送り付けてくる同僚がいて、あなたは毎日のように怒りと恐れを感じていたとしましょう。
これまでであれば、
「自分は何も悪いことをしていないのに一方的にこんな嫌がらせを続けてくる彼/彼女が許せない。何とかして復讐してやりたい。」
と思っていたかもしれません。
しかし、この本を読む機会のあったあなたは、自分自身の内面を探るための良い機会ととらえることで、彼/彼女に対する接し方を変えることが出来ます。
もしかすると、彼/彼女は、幼い頃のトラウマ的な体験が原因で、心に強い自己否定感を抱えて苦しんでいるのかもしれません。
そして、「無意識の内に」あなたであれば、彼/彼女は自身の自己否定感を癒してくれると感じていて、あなたのことを相対的に自分より低い位置にもってくることで、自身の強烈な自己否定感に何とかして対処しようとしているのかもしれないのです。
もし、そのような場合に、あなたがこれまでのように、相手からの嫌がらせに対して同じような嫌がらせをもって対応しようとすると、この問題はずっと続くことになります。
このようなケースの場合、あなたの取るべき行動は、全く本心でなくても彼/彼女のことを具体例を示しながら褒めてあげることです。
最初は、怒りと復讐心に満ち溢れながらこのような行動を起こすことに非常に大きな抵抗を感じるかもしれません。
しかし、最初の一回目の行動が成功すれば次からはだんだんと楽になります。
同時に、(実はここが最も重要なのですが)嫌な相手を褒めてあげることで、あなた自身の自己否定感を癒すことにつながるのです。
第三章 幸せな生き方について
結論から言うとあなたは絶対に大丈夫です
この章の最初に、まず大切な結論を先に述べさせていただきます。
それは、あなたの人生でたとえどんなことが起ころうと、
「あなたは絶対に大丈夫。必ず何とかなる。」
ということです。
なぜ、そういうことが言えるのか?
本章では、その理由について詳しく見ていくことにしましょう。
耐えられない試練は絶対に起きない
あなたがこの地球上に生まれてきた理由は何でしょうか?
それは、精神(魂)を成長させるためです。
そうでなければ決してこの地球上に生を受けることはありません。
精神(魂)が成長するために絶対に必要な条件は何でしょうか?
それは、「辛い経験」です。
もし、人生において何の苦もなく楽な経験しかできなかったら、精神(魂)をさせることはできないのです。
あなたの人生において時々耐えがたいほどの辛い出来事が起こるのもそのためです。
たとえどんなに耐えがたいほどの辛い出来事であっても、必ずセーフティネットも一緒にせっとになって付いてきます。
新約聖書に書かれてある通り、「神は耐えられない試練を与えることは決してない」のです。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(新約聖書 コリント人への手紙一10章13節)
あなたは、これまでの人生でさまざまな辛い経験をしてきたはずです。
時には、「もうこれ以上耐えられない。いっそのこと死んでしまいたい。」と思ったことがあるでしょう。
しかし、今この瞬間、あなたはこの本を読んでいますね。
つまり、「耐えることが出来た」「何とかなった」わけです。
しかしながら、思考というものは放っておくと「未来」という、今現在どこにも実在しない頭の中の妄想に意識が飛んでしまい、漠然とした不安や恐怖が襲ってきます。そして、あたかもその頭の中の妄想が現実であるかのように錯覚してしまう傾向があります。
これは単なる妄想であり根拠のない思い込みに過ぎないと、何度自分に言い聞かせても、一度湧いてきた将来に対する不安や恐れは、生々しい感情やそれに伴う不快な身体感覚を伴うため、どうしても真実であるという感覚を抱いてしまいます。
この思考の働きこそが、あなたを「今ここ」から離れさせ、人生を不幸だと感じさせる極めて大きな要因の一つなのです。
しかし、百歩譲って今あなたが不安に感じている「不幸な将来」が実現したとしても、あなたは必ずそれを乗り越えることができるようになっていますので安心してください。
何が起きても絶対に大丈夫
まず、私たち人間は集合的無意識と呼ばれる意識の深い領域においてつながりあっています。
私たちは物理的には分離して見えますが、意識においては深い部分でつながり合っているのです。
シンクロニシティが起きたり、引き寄せの法則が働いたりする場合があるのは、このことと深い関係があります。
ここで、この地球上には一つの意識しか存在しないとイメージしてみてください。この意識は、個人個人に備わっている自我意識ではなく、全人類が共有する普遍的な意識です。
あなたは自我意識をもった存在であると同時に、普遍意識をもった存在でもあるのです。
まず、この普遍的な一つの意識が人類の根底にあって、あらゆる些細なことから世界を揺るがすような大きな出来事に至るまでが、無数の「縁」の複雑な絡み合いによって生じています。
仏教ではこのことを「縁起」と呼ばれます。
人類共通の普遍意識の最大の目的は、「幸せになること」です。言い換えれば、「すでに幸せであることに気付くこと」です。
つまり、普遍意識そのものでもあるあなたを含む人類全体は、幸せになることを望んでいるのであり、その結果、縁起の法則によって、あらゆる物事は自然とあなたが幸せになるように導かれるわけです。
これが、何が起きても絶対に大丈夫な理由です。
ですので、あなたは、将来のことを一切心配する必要などなく、今この瞬間をただ淡々と生きていれば自ずと幸せになるように出来ているのです。
人生は良くなるようにできている
信じられないかもしれませんが、人生は基本的に必ず良くなるようにできています。
そのように設計されていると言っても良いかもしれません。
生きていると誰しも必ず意に沿わない嫌な経験をすることがあります。
肉親との死別、事故、病気、失業、破産、離婚、孤独、人間関係の問題、などなど人生を苦しくさせる出来事にはさまざまなものがあります。
だれしもがこれらの経験を通して、心に激しい痛みを感じ、長い間その苦しみに耐えることを余儀なくされることがあります。
そういった時、私たちは、「なんて人生は苦しみに満ち溢れているのだろう!」と感じます。
時には、「もうこんな悲惨な人生はこりごりだ。」と感じることもあるでしょう。
そんな時に、人生は良くなるようにできている、なんて言葉を聞かされたところで、慰めの一つにすらならないかもしれません。
しかし、トータルで見て、人生が必ず良くなるようにできている、というのは紛れもない事実です。
何度も申しますが、生きていると誰しもかならず嫌な出来事に遭遇します。
なぜ、人生で必ず嫌な出来事が起こるようになっているかというと、あなたがこの地上に生を受けた目的が、さまざまなことを体験することだからです。
人は、実に、体験することを通して多くのことを学ぶことが出来ます。
体験することで、私たちは必ずそこから何かを学び取ります。
この学びを深めることで、人生に対する洞察力が否応なしに深まることになり、より意義のある人生を送ることが出来るようになるのです。
人生が良くなるというのは、決して楽になるということとイコールであるとは限りません。
もちろん、さまざまな経験を積み重ねることで、同じ出来事が起きても心が動じる度合いが軽くなり、より楽に生きる術を身に付けることができるでしょう。
さらに多くの経験を通して洞察力が深まることで、人は「自分とは何者だろう?」と自己探求を始めるようになります。
悟りに関することなどの学びの場などでは、人生の経験を積み重ねた、比較的高齢の方が多いのもそのことを物語っています。
この「自己探求」が、実は、人生の一番大きな目的だったりします。
人は、自己探求を通して、自分とは何者なのかということについてより深く学ぶことになり、この学びが人生をよりよく生きるための大きな手助けとなるのです。
あなたの人生を不幸にするもの
あなたの人生を不幸にするものは何でしょうか?
それは、お金が足りないことや、健康問題、家族関係の問題、職場での人間関係の問題、仕事の問題、などなど人よってさまざまです。
これら一つ一つについて議論することはページの都合上できませんので、ここではすべての人に共通していることについて取り上げてみることにしましょう。
まず、私たちを不幸にする大きな要因を二つ挙げてみましょう。
その二つは両方とも心理的なものであり、「あなたの内側にあるもの」です。
① 今すでにそうであるものに対する抵抗
② 将来に対する根拠のない予期不安
①は、過去に対する後悔や現状否定、②は、将来に対する恐れ、であり、両方に共通するのは、意識が「今ここ」に存在していないということです。
唯一実在する今この瞬間という現実から目を背け、思考で過去や未来という妄想に浸っている限り人は決して幸せになることはできません。
私たちの自我(エゴ)は常に思考を働かせて、頭の中でイメージした過去や未来のことについて考えをめぐらすことで自身を防衛することができると信じています。
例えば、将来のお金のことについてあれこれと考え計画することで、不安から解放され安心した未来を築けると確信しています。また、思考を働かさず、今ここに安らぐことは、まるで将来一文無しになって人生が破滅するかのように錯覚してしまい、考えざるを得ない状況になってしまうのです。
ところが、何とも皮肉なことに、将来のお金のことについてあれこれと考えたり計画を立てたりすればするほど不安や恐れは増していくという結果になります。
そして、さらに悪いことに、将来に対してあれこれと思考することによって生じた不安や恐れをモチベーションとして、全く興味関心の無い仕事に就いたりして、結果、仕事に対して興味関心が無いという本心本音に従う結果を自ら招き寄せることになることすらあります。
また、今すでにそうであるものに抵抗することは、さまざまな心理的ストレスを生じさせます。
「今私の身に起きていることは何かの間違いで、何とかして私の人生から取り除かなければならない。」と思って今目の前にある現実から目を逸らそうとすればするほど、問題(のように見える現象)はますます厄介なものに感じられるようになります。
実際のところ、ほとんどすべての問題だと思っている現象は、起きるべくして自然と起きているだけであり、それに抗おうとせずに淡々と生きていれば自ずと消えて無くなるものです。
それは、雨が降っていてもいずれ止んだり、雲が時間と共に消えて無くなるようなものです。
「何とかしなければ」と不安や恐れの意識を強化することで、現象はますますその力を強めていくように見えてしまいます。
乱暴な言い方をすれば、問題と感じられる現象は、意識の上で放っておくのが一番で、ただ今この瞬間にできることだけを淡々とこなすことしか私たちにはできないのです。
どうしても将来に対する不安や恐れが無くならなくても全然大丈夫です。
むしろ、不安や恐れを無くそう無くそうと頑張るほどそれらはますますあなたの心をくるしめることになるでしょう。
そのような場合は、先に述べた新約聖書の言葉を思い出してください。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(新約聖書 コリント人への手紙一10章13節 新共同訳)
マインド(思考)があなたを不幸にする
あなたが不幸であると感じるとき、あなたのマインド、すなわち思考が働いています。
思考が、今ここに存在しない、頭の中でイメージされた過去や未来という幻想を、あたかも現実であるかのように錯覚したときに、人生の不幸が始まります。
不幸だと感じるとき、思考が作り出す意識は常に今ここでないどこか別のところに行っています。
一番多いのが、未来に対する心配です。
「将来仕事がなくなってお金が足りなくなって人生が破綻するのではないだろうか?」
「私は一生結婚できなくて生涯孤独に苦しむ人生を歩むことになるのではないだろうか?」
「会社をいつかクビになって家のローンが払えなくなったらどうしよう?」
「私のような人間は、一生うだつが上がらないろくでもない人生を歩むのだろう。」
「老後に生活資金が足りなくなって生活できなくなったらどうしよう。」
などなど、将来の心配をし始めるとキリがありません。
思考は、必要な時にだけ用いれば良いのですが、多くの場合、私たちは常に何かを思考しています。それは、もはや頭の中のおしゃべりです。
頭の中のおしゃべりは止まることを知りません。
なぜ、こうも私たち人間の思考は止むことが無いのでしょうか?
まず、人間の正常な成長段階において言語機能が自然と発達するように遺伝的にプログラミングされているという生物学的理由に加えて、学校教育の現場で、考えることがいかに重要かについて何度も教えられるということがあります。
また、私たち人間は、何か嫌なことが起こってネガティブな感情が湧いてきたとき、できればその感情ダイレクトに感じたくありません。
そのために、思考でさまざまなストーリーを頭の中でおしゃべりすることによって、なるべく感じたくないネガティブな感情にフタをしてしまうという傾向があります。
その防衛本能ゆえに思考優位になってしまうと推測できます。
このため、私たちは普通に生きていると思考優位になってしまい、その思考によって未来に対する不安や恐れが生み出され、不幸を感じるという流れになるわけです。
では、私たちは思考の生み出す妄想から逃れることができず、一生不幸のまま過ごさなければならないのでしょうか?
いえ、もちろんそんなことはありません。
後の章で思考を止めるエクササイズについて詳しく解説します。
外側の世界に期待してはいけない
あなたの「外側の」世界に幸せは存在しません。
幸せは、常にあなたの「内側に」存在するのです。
外側の世界、例えば、たくさんのお金、高級車、プール付きの豪邸、会社で出世すること、美味しい食事、などなど、挙げればキリがありませんが、それらすべてあなたの外側の世界からもたらされる物事は、決してあなたに永続的な幸福を与えたりはしません。
それらは一時的な幸福感をもたらしはしますが、遅かれ早かれ時間が経つにつれて、もっと欲しいという欲望が生じ始め、それらが手に入らなくなった瞬間、怒りや不足感、いらだち、恐れなどの不幸を感じることになります。
しかし、内側の幸せは決してあなたを裏切るようなことはしません。
内側の幸福を求めることは、あなたを永続的な幸せへと導いてくれることでしょう。
20世紀から21世紀初頭ぐらいまでの人類は、内側の幸福よりも外側の物質が人生を幸せにしてくれると信じる人がまだ大多数で、特に、お金という物質をどれだけ人より多く保有するかが人生における「成功」の条件とされてきたのです。
しかしながら、21世紀初頭ぐらいまでの人類に特徴的であったこの物質至上主義は、決して私たちを幸せには導いてくれないということに、次第に多くの人々が気づき始めました。
どんなに物質的に必要最低限のものしか持っていなくても、心が平安で喜びや愛に満ち溢れているのであれば、その人は幸せな人であり、「成功した人」なのです。
逆に、どんなに物質的にこれ以上ないほど満たされていても、心が不安と恐怖、絶望感で満ち溢れていれば、その人は間違いなく不幸な人です。
これは妬みでも何でもなく、ちょっと想像すればだれでも分かることでしょう。
外側の世界は決してあなたを永続的な幸せに導いてくれません。
逆に、外側の世界に執着すればするほどあなたは間違いなく不幸になるように導かれます。
外側の世界に幸せが無いことは、毎日世界で起こっているニュースを見聞きすれば容易に想像できるはずです。
大人の言うことを聞いてはいけない
極端な例ですが、戦争を起こして罪なき人を大量に虐殺しているのは常に大人であり、子供が戦争を起こした事例は一つもありません。
社会でさまざまな悪事を働いたり、私利私欲のために人を騙したり、他人に迷惑行為を行うのも大人だけです。
これは、大人が成長するにつれて「理性」を持つようになった結果です。
どんなに凶悪な犯罪者であっても、子供の時は純真無垢で家族や友だちを愛し、どんな状況でも楽しむことを忘れない存在だったのです。
そんな純真無垢な子供も、学校で大人である先生たちから教育を受け、大人である親たちからしつけられるにつれて、だんだんと子供らしさは失われてしまいます。
これは、別に私たち大人が全て悪いというわけではなく、人間の精神的・肉体的な成長に伴って誰しもがたどる道です。
では、なぜ大人になると、自分は不幸だと感じたり、悪いことをしたりする人が出てくるのでしょう?
一つの大きな原因は、成長に伴って肥大化するエゴ(自我)です。
エゴ(自我)は、人類が恐怖から身を守り、生き延びるために遺伝子レベルに組み込まれた生存本能の働きです。
子供の時は、ある意味動物たちと同じように、先のことなどを考えたり心配したりすることはなく、生活は大人たちが守ってくれます。
また、子供たちはまだそれほど分離意識が発達しておらず、基本的に自分と世界は同じ一つのものであり、誰とでも親しくすぐに打ち解けることができます。
その安心感ゆえに、子供たちは先のことなど心配することなく、今この瞬間を一生懸命楽しむことに全力を注ぐことができるのです。
ところが、私たち人間は子供から大人に成長するにしたがって、エゴ(自我)が発達します。
発達したエゴは、分離意識という幻想を強め、自分と世界は分離した別のものという世界観に代わってきます。
まるで世界から完全に切り離された自分が一人でポツンといるような感覚になるのです。
この分離した世界観は、全く自分と切り離された別々の存在と認識する他者と比べたり、争ったり、奪い合ったりするようになります。
また、自分は世界から分離して切り離された存在であるという思い込みによって、自分の力で何でも手に入れて生きなければ命が脅かされるかもしれない、と思い込むようになります。
つまり、分離意識によるエゴの発達は、同時に「恐れ」の発達をも意味します。
この「恐れ」によって、私たち人間はさまざまな滑稽な争いごとを創り出したり、わざわざ自分を不幸にさせる考え方をするようになります。
「人生は競争であり、競争に勝たなければ成功することができない。」
「より多くのお金をもつことで、私は幸せな人生を手に入れることができるはずだ。」
「私は他人と比べて劣った価値の無い存在だ。」
「生きるためにはお金が必要で、お金を得るために人生の大半の時間を費やさなければならない。」
「もし将来お金が無くなって人生が破綻してしまったらどうしよう。」
「どうすれば私は人より抜きん出ることができるだろう。」
「私というちっぽけな存在は無力で生きる価値など無い。」
「人生は苦しみに満ち溢れている。こんな人生、生きてても意味が無い。」
「有名になればみんなが私のことを称賛して褒めてくれるに違いない。」
などなど、私たちの思い込みは尽きることを知りません。
これらの考えは明らかに「狂気」ですが、私たち大人は、それが狂気的な思考であることは露知らず、むしろ逆に自分たちは正しいことを考えていると信じ込んでいるのです。
これらの狂気的な考えが極端に行き過ぎると、時に人類は戦争という残虐で愚かしい行為を平気で行うようになるのですから、まさに狂気以外の何物でもありません。
このような大人たちが作りあげた今の社会を見て、あなたはどう感じるでしょうか?
そこはパラダイスですか?
自分軸で生きる
人生を幸せで有意義なものとするために欠かせないことは、「自分軸で生きる」ということです。
これは決して自分勝手に生きて良い、というわけではありません。
他人の意見に流されて自分を見失うのではなく、あなたの本心本音が何を望んでいるのか、ということに常に最大限の意識を向けて生きていくことです。
他人や社会の同調圧力などに流されて自身の「心の声」を無視して生き続けると、将来必ず後悔することになります。
私が学校教育を受けた時代では、みんなと一緒であること、みんなと同じことが出来るようになること、が重要視されていた時代でした。
現在のように、生徒一人一人の個性を大切にするような時代背景ではなく、みんなが同じように社会の決められたレールの上を歩んでいくことができるか、ということが教育現場においては重要だったのです。
日本という国が、製造業の発展に伴って経済的な高度成長を続け、1991年にバブル経済が崩壊するまでであれば、このような画一的な人間を作り出す教育方針はある程度うまく機能していました。
それまでは大量生産、大量消費によって国家の経済がうまく回る仕組みになっていました。
現在ほど機械化がそこまで進んでいない工場で大量生産を続けるためには、ロボットのようにみんなと同じように、しかもなるべく早く働くことができる人材が求められていました。
まさに、当時の日本の学校教育は、企業で効率的に働くことができる人間を育て上げることが目的でした。
しかし、大量生産、大量消費によって国の経済がうなぎ上りに発展する時代は当然のことながら終わりを迎えることになりました。
それが1991年に起こったバブル経済の崩壊でした。
それ以降日本経済は10年以上もの長い間低迷を続けることになり、それまで終身雇用が当たり前で合った日本企業でもリストラが行われるようになり、失業率も大きく増加し始めました。
景気の低迷と同時に、日本のメディアでは自国に対する悲観的なニュースばかりが流されるようになり、日本人が日本人であることに誇りを持てなくなったのです。
当時通っていた大学の教授には、日本や日本人のことを否定し、欧米諸国は文句なしに素晴らしいと言う人が多くいました。
こういった暗い社会情勢に追い打ちをかけるように、阪神淡路大震災や、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、ますます膿だしのようなことが起こりました。
たしかに、そのような社会状況の中では、悪い面ばかりが強調されて見えてしまうのは仕方なかったのかもしれません。
しかし、すべての物事にはコインの表と裏があります。
表面的には、日本という国にとっては試練のように見えることが立て続けに起こりましたが、違う視点から見れば、それまで当たり前とされてきた、集合的無意識の固定観念が音を立てて壊れ始める良いきっかけになりました。
それまでの全体主義的な生き方から徐々に個性を大切にする生き方を見直す動きが少しずつですが見られるようになってきました。
学校では一生懸命勉強して良い点数を取り、良い大学に入り、良い会社に入って定年まで働き、定年後は年金をもらいながら余生を過ごす、といった典型的な人生のレールというものが疑問視されるようになったのです。
人々は自身に問い始めました。
「人生はもっとバラエティに富んだものであって良いのではないか?」
つまり、他人軸で生きるのではなく、「自分軸」で生きる時代の始まりだったのです。
社会の「脅し」を見抜く
社会、すなわちあなたが認識する世界は、あなたが持っている「恐れの度合いに応じて」、さまざまな「脅し」をかけてきます。
もし、あなたがお金に関連する何らかの恐れを抱き続けていると、世界はさまざまな「媒体」を用いて、お金に関わる脅しをかけてきて、ますます恐れが強化されるようになります。
「媒体」というのは、例えば、あなたの家族や友人、職場の上司や同僚、テレビCM、Youtube動画の5秒広告などが挙げられます。
それらの媒体は、あなたに次のような脅しを何度もかけてくることでしょう。
「このままだとあなたはお金が足りなくなって大変なことになるよ。」
「ちゃんと働いてお金を稼がないと人生が路頭に迷うことになるよ。」
「今のままのパフォーマンスだと会社をクビになって一文無しになるぞ。」
「50歳を過ぎると仕事が全然ないよ。」
「何の努力もせずにわずか3日で1億円を手に入れる方法をこっそり伝授します。」
「株で5億円を手にする究極の手法を今だけ無料で提供します。」
「潜在意識を書き換えてお金のブロックを外すことで億万長者になれる量子力学的手法。」
「あなたも本講座を受講すればアセンションして自由になれます。」
この場合は、お金に関わる恐れに対して各種媒体が訴えかけてくる一例ですが、要するに、どのような恐れであっても、世界があなたに訴えかけてくることは、
「あなたは今のままでいてはいけない。」
という、自己に関する「現状否定」です。
現状否定はエゴの得意分野です。
そして、エゴがあなたに見せるものはすべて幻想であり、まやかしに過ぎません。
何故なら、エゴの本質は「恐れ」であり、この恐れはすべてウソだからです。
私たちは、常にエゴのトリックを見破ることを心がけている必要があります。
でなければ、あなたは、人生で見たり聞いたり体験したりすることによって、あっという間に不幸のどん底に突き落とされるからです。
エゴは極めて狡猾であることを覚えておきましょう。
しかし、逆に、エゴが見せるトリックを通して、あなたは自分がどのような恐れを幻想として抱いているのかを知ることができるようになります。
死ぬときを念頭において生きる
多くの人は死ぬときに次のようなことを後悔すると言われています。
① もっと健康を大切にすればよかった
② 自分のやりたいことをやっていればよかった
③ 夢をかなえることにもっと力を尽くせばよかった
④ 感情に振り回されなければよかった
⑤ 仕事ばかりでなくもっと趣味の時間を持てばよかった
⑥ もっと旅行に行って、会いたいに会いに行けばよかった
⑦ もっと恋愛をしていればよかった
⑧ 自分の生きた証が残せればよかった
⑨ 信仰など心の支えになる教えを知っていればよかった
⑩ もっと感謝の気持ちを伝えていればよかった
この結果を見てあなたはどう感じますか?
この中に、「もっとお金を稼いでいればよかった」というのはありますか?
別に、お金を稼ぐことがいけないというわけではありませんが、人生において重要なことはもっとそれ以外のところにあるということです。
今働いている職場が苦しいからと言って、今すぐ辞めるようにとは言いません。
人それぞれ事情があるでしょうし、安易に私の意見を押し付けるようなことはしたくありません。
ただ、本当に幸せな人生を送り、死ぬときに「私の人生は幸せだった」と心から言える人生を送ってもらいたいのです。
残念ながら、多くの人は若い時はお金を稼ぐことにほとんどの時間を消費し、心からやりたいことをやって自分の人生を楽しむということをやっていません。
一度しかない人生なのに、これは非常にもったいないことだと思いませんか?
未来について考えすぎると不幸になる
私たちの社会では、人生について夢を持ち計画を立てることが大切であると教えられます。
世に出回っている成功哲学や自己啓発的な本やセミナーでは、まず、叶えたい願望を具体的に描き、それに向かってやるべきことを一日レベルでなるべく細かく計画することが推奨されます。
それを実践することが、成功、すなわち幸福への唯一の方法だと教えられるわけです。
しかし、多くの人が途中で挫折し、「ああ、やっぱり自分には才能がないからダメなんだ。」と自己否定感に陥り、ますます願望から遠ざかると言う悪循環を繰り返すことになります。
そして、また違う成功哲学の本を読んで実践しようとしたり、別の自己啓発セミナーに参加しては一時的に成功するかのような気分になったりして、結果また挫折する、ということを繰り返してしまいます。
なぜ、途中で挫折してしまうのか?
それは、あなたの描いた願望が、本心から望むものではないからです。
例えば、何年何月までにこれだけのお金を手に入れる、といった願望を描き、それに向かって計画を立て始めて行動に移し始めたとしても、途中で挫折してしまう場合、あなたの本心は大金を手に入れることではないのかもしれません。
大抵の場合、なぜ大金を手に入れたいかというと、大金を手に入れることができれば、それによって「心の幸せ」を手に入れることができると思っているからです。
つまり、本当に欲しいのは「心の幸せ」なのであって、お金というのはそれを実現させてくれるに違いないと信じ込んでいる手段にすぎないのです。
では、なぜ「心の幸せ」を手に入れたいと望むのでしょうか?
それは、今この瞬間において、あなたは「自分は幸せではない」と信じ込んでいるからに他なりません。
人間はだれしも、すでに持っているものを欲しがろうとはしません。
いつか幸せを手に入れようと願望を抱いて計画を立て行動に移したところで、それはまるで「馬の鼻先にニンジンをぶら下げる」ようなものです。
なぜなら、幸せになりたいと願望を抱く時点で、あなたは「自分は今幸せではない」ということを宇宙に対して高らかに宣言していることと同じであり、宇宙はまさしくあなたが宣言した通りの現実を与えてくれるようになっているからです。
仕事で業務をこなしたり旅行の計画を立てたり、夕食のおかずの献立について計画を立てることは大切なことです。
しかし、「不足感」から願望を抱くことは、大抵の場合あまり良い結果をもたらしません。
「不足感」からもたらされる結果は「不足感」です。
そこには常に「何かが足りない」という不足のエネルギーが働いています。
未来について考えたり計画を立てたりするときは、あなたの内側で感じられるエネルギーを意識するようにしましょう。
もし、内側のエネルギーに意識を向けたときに、「もし失敗したらどうしよう」といった何となく居心地の悪い感覚を感じるのであれば、未来についての考えや計画の根底にあるのは「恐れ」です。
「恐れ」は現状否定の感覚を強め、未来について考えようとすればするほど、あなたはますます不幸になっていくでしょう。
このようなときに大切なことは、あなたの中の未来という妄想の世界に飛んで行ってしまった意識を今ここに取り戻し、今この瞬間にくつろぐ練習をすることです。
まずは、今この瞬間あなたの肉体を維持している身体の驚くべき機能に感謝しましょう。
それ以外にも、雨風をしのげる家が与えられていること、毎日生命を維持するのに必要な食料が与えられていること、家族や大切な友人が健康でいてくれていること、トイレで気持ち良く排泄ができること、シャワーで汚れた体をきれいに洗うことができること、などなど、普段あまりにも当たり前すぎて気付かない数々の恵みに意識的に気付いてあげましょう。
現代社会は、「不足」や「恐れ」というエゴが見せる幻想によって築き上げられており、学校教育ではいかにこれらのエゴの幻想に打ち勝つことが大切であるかということが教えられます。
「もっと良い点数を取って良い高校に進学し、良い大学を出て良い会社に入れば、あなたは幸せになれる。」、と教えられます。
そのように教育することによって、エゴ、すなわち恐れという幻想、が作り上げている資本主義社会のシステムでうまく機能してくれる「人材」を育て上げるのが学校教育の大きな目的の一つです。
この資本主義社会システムの中で生きていると、より多くのお金を所有することがより幸せな人生を送る唯一の手段であると錯覚してしまいます。
その社会システムの中で、お金儲けに関わる多種多様なビジネスモデルが企業によって際限なく作り出され宣伝され、エゴによる恐れに満たされた私たちは、次々とそれらを追いかけ続け、「際限のない幸せを追い求める人生ゲーム」を続ける羽目になってしまっています。
今こそが、このエゴのゲームから脱出するチャンスなのです。
人生はゲームのようなもの
子供の頃、よく家族や友人と一緒に「人生ゲーム」というボードゲームをして遊んだことがあります。
ゲームだと分かっているので、ゴールまでのプロセスで何が起こっても、深刻になることはなく純粋に楽しむことができたものです。
しかし、本当の人生となるとそうはいかない。
本当の人生はリアルなものだから、私たちは細心の注意を払って、勉強し、資格を取り、就職し、お金を稼いで、がんばって生きなければならない、と思って毎日を一生懸命生きています。
しかし、このリアルだと感じているこの人生もボードゲームの人生ゲームと同じく、ただのゲームにすぎません。
あまりにも精巧にできた3Dゲームを、私たちはゲームであると認識することはできません。
その時その時に湧いてくるさまざまな思考や感情が、このゲームにさらなるリアル感をもたらします。
過去の記憶を思い出しては、「あの経験は正しかったけど、あの経験は間違っていた。私はあの時もっとこうするべきだった。」と、思いを巡らし、さまざまな感情が揺れ動き、あなたの頭の中でその記憶というイメージはリアルなものとなります。
同時に、未来について想像しては、「もし、将来身体が弱って働けなくなったり、一文無しになってホームレスになったらどうしよう。もっと幸せな人生を送りために私はこうするべきなのではないだろうか。でも、できなかったらどうしよう。」と、思いを巡らし、さまざまな感情が揺れ動き、あなたの頭の中でその未来という妄想はリアルなものとなります。
しかし、ちょっと考えてみれば分かるように、存在するのは今この瞬間だけしかありません。
あなたが何かを創造できるのも唯一今この瞬間だけしかないのです。
ところが、多くの人が、唯一実在する今この瞬間に気付くことなく、過去や未来のことについてあれこれと考えをめぐらしては幸せを感じたり不幸を感じたりして、それが人生であるかのように思ってしまっています。
人生がゲームであると思えず、深刻に捉えすぎて不幸になってしまうのは、エゴによる恐れによって、あなたがまるで世界から分離してしまった孤独な存在であり、すべてを自分一人の力で何とかしなければ人生が破綻してしまうと信じ込んでいるからなのです。
実際のところ、あなたは最初から世界から分離などしておらず、言うなれば世界があなたそのものでもあるのです。
世界があなたそのものなのですから、あなたがこの世界から見捨てられるようなことは決してありません。
あなたが本当に必要とするものは、常に必要なタイミングで与えられます。
必要なものが必要なときに与えられるのに、学歴や職歴などは一切関係ありません。
あなたは、ただ、あなたそのものである世界に全てをゆだねてその時その時を生きていれば良いのです。
どうか、焦ることなく今にリラックスして、すべては必要があって最善になるように導かれていることを意識的に信じるようにしてみてください。
第四章 思考を止めるエクササイズ
思考を止める瞑想によって得られるもの
お待たせしました。
本章では、思考を止めるエクササイズを紹介します。
前の章でお伝えしましたように、思考を止めることで、心の声が聴きやすくなります。
この場合、「聴く」というよりも「直感的に感じる」という表現の方がより的確でしょう。
心の声に従うことで、これまでのように思考であれこれと考えて思い悩むことなく、自然とその時に必要な行動がとれるようになります。
また、これまでは思考によって、過去の出来事を後悔したり、未来のことを心配することに多くの時間を費やしてきたかもしれませんが、思考を止めることでそのような無益な苦しみをする必要がなくなります。
あなたは何も考えずにただ「今ここ」に在ることができるようになるのです。
より、正確には、あなたはこれまでもずっと「今ここ」を生きてきました。
今まで一度たりとて、過去を生きたり未来を生きたりしたことはなかったはずです。
過去や未来はあなたの頭の中にある幻想です。
あなたはその幻想をあたかも現実に存在するかのように錯覚して生きてきました。
しかし、これからはそれらの幻想から離れて「今ここ」という唯一の現実にしっかりと根を張って生きることができるのです。
これまでもあなたは常に「今ここ」から離れたことはなく、無意識の内にきちんと必要な時には必要な心の声を聴いて生きてきました。
ですので、これまでの人生を決して悲観的に捉える必要はありません。
「人生では、すべて寸分の狂いなく必要な起きることが必要なタイミングで起きるようになっているのです。」
あなたが今この瞬間にこの本を読んでいるのも決して偶然などではありません。
ここであなたは一つ気になるかもしれません。
「もし思考が無くなったらバカになるのではないだろうか?」
いえ、心配しないでください。
あくまで無駄な思考が無くなるというだけで、必要な時にはこれまで通り思考を使うことができます。
これまでは、必要が無い時でも思考が止まることは眠っているとき以外無かったかもしれませんが、思考を止める方法を習得することで、必要な時だけ思考を使えるようにコントロールすることができるようになります。
しかも、無駄な思考を無くして頭の中のおしゃべりを止めることににょって、頭に余計なエネルギーを注ぐことが無くなるため、あなたの頭は以前より格段にシャープになります。
そして、無駄な思考が止むことで身体の声が聴こえやすくなり、思考を使って考えなくても自然と最適な行動を取ることが出来るようになります。
思考を止めることで、私たちはだれでも唯一の現実である「今ここ」に生きることができるようになります。
「今ここ」の世界には、未来という頭の中の妄想に対する根拠の無い恐れも無く、過去という頭の中の妄想に対する後悔や悲しみも存在しません。
「今ここ」という真実に生きることによって、あなたの身体は愛と喜び、平安のエネルギーに満たされ、周囲の世界に存在するすべての被造物(それは道端に咲く小さな雑草かもしれません)を、大いなるあなたの一部としてダイナミックに感じることが出来るようになります。
残念ながら、まだ多くの現代人が、思考過剰という一種の精神病によって、恐れや焦り、怒りなどのネガティブな感情に支配されて生きています。
今こそ、思考を止める瞑想によって、これらのネガティブな感情から解放されるときです。
もちろん、多くの自己啓発やスピリチュアル関連の本などで書かれているように、一回行っただけで楽に幸せになれるなどということは、口が裂けても言えません。
何を習得するにしてもそうですが、ある程度の練習は必要です。
しかし、お金は一銭もかからず、一日_30_分程度だけこの思考を止める瞑想に時間を費やすだけで、早ければ数週間、遅くても半年程度であなたは無駄な思考から解放され、今ここという「現実」を生き始めることができるようになるのです。
エクササイズ 実践してみよう
まず、姿勢についてです。
特にこうでなければならないという条件はありませんが、できれば椅子などに座って上半身を垂直に起こした状態がベストです。
これは、呼吸に意識をおいた瞑想になります(ここでは呼吸瞑想と呼ぶことにします)。
ポイントは、「背骨」と「丹田」と呼ばれる下腹部を意識することです。
丹田とは、ざっくり言うとお臍から指三本分下側辺りの下腹部にあたります。東洋医学においては、丹田だけでも上丹田、中丹田、下丹田など細かく分類されますが、ここでは全く意識する必要はありません。
要は、お臍の下側にある下腹部のことだと覚えておいてもらえれば大丈夫です。
次は、呼吸の仕方です。
息を吸う時は口からでも鼻からでもどちらでも構いません。
息を吸う時、次のようにイメージしてください。
口あるいは鼻でゆっくり息を吸うと同時に、首の下側辺りにあった直径5センチのボールが、背骨の内側を通って、下側に移動していき尾てい骨まで下がっていきます。
このとき、同時に呼吸で吸い込んだ息が丹田に溜まっていくように、丹田を膨らませます。
思いっきり息を丹田に吸い込み、ボールが尾てい骨の内側にあるのを確認したら、その状態を5秒~10秒維持します。
その後、ゆっくり息を吐きだすと同時に、ボールを背骨の内側に沿って上昇させていきます。
このとき重要なポイントは、頭のイメージでボールを上下にさせるのではなく、「実際に」ボールが背骨の内側に当たりながら移動していく「感触」をなまなまと感じることです。
つまり、頭を使わずに100%肉体の感覚に全意識を向けるのです。
息を吸い込んでボールを尾てい骨の内側に移動させたとき、全意識を尾てい骨の内側から丹田に向けるようにします。
このとき、一瞬頭がクラッとする感覚があるかもしれませんが、それは意識が身体に向いていて、とてもうまくいっているサインです。
深い呼吸に慣れたら、丹田に息を溜めて尾てい骨と丹田を意識する時間を長くするようにしましょう。
息を吐くときは、吸うときほど慎重になる必要はありません。
呼吸瞑想を行うタイミング
ここで紹介した呼吸瞑想を行うタイミングについては、特に決まりはありません。
理想的には、家で一人になれる場所と時間を確保して_15_分間~_30_分間(もしくは気が済むまで何時間でも)行うのが良いのですが、朝通勤する電車の中や、歩いているとき、仕事中、お昼休み中、買い物中、ベッドで寝る前、など、いつでもどこでもできるのが特長です。
行う時間も、数秒間~数分間のわずかなすきま時間だけでもかまいません。
この時、吸う息とともにボールを尾てい骨まで下げ、丹田を膨らませた状態で、尾てい骨から会陰の辺りに全意識を集中させるようにすることがポイントです。
※会陰の場所は、肛門と性器の真ん中、つまり上半身の一番下の位置にあたります。
大切なのは、たとえ短い時間でも、繰り返すことで日常生活において「習慣化すること」なのです。
この呼吸瞑想のエクササイズが習慣化できると、それまで頭、特に目の奥辺りにあった「私という感覚」が、胸の辺りに移動しているのを感じることになります。
第五章 ネガティブな感情を癒すインナーボディ瞑想
インナーボディ瞑想から得られること
前章では、思考を止めるエクササイズ(呼吸瞑想)を紹介しました。
本章では、同じく重要な「感情を癒す」というエクササイズを行います。
このエクササイズを「インナーボディ瞑想」と呼ぶことにします。
前章で思考を止めるエクササイズを実践することで、思考を止めることができたとしても、ネガティブな感情まで無くなることはおそらく無いでしょう。
むしろ、思考を止めることで、それまで頭のおしゃべりを続けることによって、あえて感じないようにフタをしてきた「心の痛み」をより痛烈に感じるようになって余計に辛く感じることがあるかもしれません。
しかし、それは極めて自然なプロセスですから安心してください。
私たちは、小さい頃から感情、特にネガティブな感情、を抑圧するように教えられてきました。
「男の子なんだから泣いてはいけません。」
「長男/長女なんだからしっかりしなさい。」
「男はどんなに辛いことがあっても泣いてはいけない。」
「人前ではどんない辛くても明るく振舞わないといけない。」
などなど、さまざまな制約を外部から課されたり、自分自身で課してきたかもしれません。
それは、人間社会でうまくやっていくための社会性というものを保つために、築き上げられたものであったのかもしれません。
いずれにせよ、極めて多くの人が何らかの形でネガティブな感情を抑圧したまま生きています。
もしそうでなければ、毎日ニュースで見聞きするような悲惨な事件は起きないでしょう。
それほどまでに、思考と同じように、感情というものは私たちの人生に非常に大きな影響を与えています。
感情が人生の幸不幸を左右すると言っても過言ではありません。
私たちは、幼少期から、感じることがあまりにも辛い感情は無意識の内に抑圧して、あたかもなかったかのように振舞う傾向があります。
しかしながら、無意識に抑圧してしまったネガティブな感情は、癒されない限り意識の底に残り続け、あなたの人生に気が付かないうちに影響を及ぼし続けます。
これはほぼすべての人に共通しています。
ネガティブな感情を全く抑圧していない人はいません。
なぜなら、まず、私たちはみな、不完全な両親のもとで育てられるからです。
幼い子供たちは、ネガティブな感情を感じないように無意識の奥に抑圧してしまい、それらを無かったことにしてしまいます。
これらの抑圧された感情が大人になってからの人生において、さまざまな面で悪影響を及ぼします。
例えば、「自分は価値が無くて誰からも愛されない人間なんだ」という自己否定感を抑圧してしまった人は、大人になって結婚するときに、「お前は価値が無い人間だ」と言うようなパートナーに惹かれるようになるのです。
心理学では、これを「シナリオ人生」と呼んだりします。
今のあなたに必要なのは、抑圧されたネガティブな感情を癒してあげることです。
それは、怒りや悲しみ、恐れ、自己否定感、絶望感、といった、心地良くない感情の全てです。
これら心地良くない感情は時に私たちの人間関係を破壊することがあります。
エックハルト・トールは、このネガティブな感情のエネルギーを「ペインボディ」と呼んでいます。
このペインボディは個人に属するものから、集合的無意識において全人類共通に属するものまで多種多様です。
そして、これらペインボディは、人間同士の争いごとから国家間の戦争や殺し合いにまで影響を与えています。
これからの新しい時代は、私たち一人一人がペインボディ、すなわち「心の痛み」を癒すことで、今までよりも自然に、楽に幸せに生きていくことが求められています。
もうこれ以上国家間同士で戦争などのように、誰も幸せにならないようなことをしている場合ではありません。
エクササイズ 実践してみよう
前章で紹介した思考を止めるエクササイズ(呼吸瞑想)と同じように、インナーボディ瞑想に関しても、特に決まったポーズがあるわけではありませんが、理想的には椅子に座るなどして上半身を垂直にするのが良いです。
別に横になっていても、電車の中で立っているときでも、歩いているときでも、仕事中でも、買い物中でも、いつでもどこでもできるのが特長です。
やり方は非常にシンプルで、簡単に言うとただただ内側を意識するだけです。
内側というのは、身体感覚のことです。
もし、何か嫌なことがあって、胸やみぞおちの辺りがギュ―と締め付けられるような不快な感覚を感じるのであれば、その感覚そのものに全意識を集中させ、積極的に感じてあげます。
緊張していて心臓の鼓動が早くなっているのを感じたら、心臓の鼓動だけに全意識を集中させます。
特に目立って意識できる身体感覚が無い場合、ボディサーチを行います。
ボディサーチとは、頭のてっぺんから足の裏まで、意識をゆっくりと移動させていき、順番に身体全体感覚に意識を向けていくことです。
例えば、次のようなところを見てみましょう。
・目の奥の感覚はどうですか?何か詰まったような感じはありますか?
・口の周りに力が入っていませんか?
・呼吸はいつもより浅くなっていませんか?
・背中から肺にかけての感覚はどうですか?
・心臓の鼓動はどうですか?
・胃の辺りに何かムカムカする感じはありますか?
・手のひらがピリピリしませんか?
・足の裏がピリピリしませんか?
日常生活の中で人と接する機会が多い方であれば、時に、人との会話の中で抵抗を感じたり、不快な気分を感じることがあるでしょう。
それは嫌な感覚ですが、むしろインナーボディ瞑想においてはその嫌な感覚を積極的に「利用」するようにしましょう。
恐れや怒り、嫉妬、不安、後悔など、私たちが日常でよく感じることがあるこれら不快な感情には大抵の場合不快な「身体感覚」を伴います。
インナーボディ瞑想では、この「不快な身体感覚」を積極的に利用するのです。
何か嫌な感情を感じる出来事があったら、インナーボディ瞑想をする大変良い機会であると捉えましょう。
第六章 社会のあらゆる「ウソ」に気づく
私たちが人間社会と呼んでいる世界には、「ウソ」が蔓延しています。
本章では、それら「ウソ」をいくつかピックアップしてみたいと思います。
「ウソ」には、ちょっと考えれば明らかにウソであることが分かるようなものから、結構巧妙に私たちの意識に刷り込まれているウソもあります。
これらのウソに共通して言えるのは、狂気的であるということです。
あなたは、この狂気に騙されないために、これらの人間が勝手に創り出したウソを常に見抜く習慣をつけておかなければなりません。
でなければ、あっという間にメディアから垂れ流されるさまざまな情報を無意識に信じてしまい、それらはあなたに恐れを抱かせるのに十分な力を持っているからです。
今回10個のウソを挙げてみましたので、早速一つ一つ見ていきましょう。
① 「社会は厳しい」というウソ
② 「好きなことでは食べていけない」というウソ
③ 「頑張らなければ成功できない」というウソ
④ 「社会人はこうあるべき」というウソ
⑤ 「成功すれば(お金持ちになれば)幸せになれる」というウソ
⑥ 「仕事は苦しくて当たり前」というウソ
⑦ 「自分は大した人間ではない」というウソ
⑧ 「お金が無ければ幸せになれない」というウソ
⑨ 「世界は分離している」というウソ
⑩ 「人類は破滅に向かっている」というウソ
① 「社会は厳しい」というウソ
まず、社会は厳しくありません。
そして、こういった議論を展開する時は、最初に言葉の定義をしっかりと理解しておく必要があります。
ここで言う「社会」とはそもそも具体的に何でしょうか?
広い意味で見れば、家庭や学校も社会であり、そもそも家庭こそが社会の最小単位のようなものですよね。
①の場合で使われる「社会」は、主に、「会社」のことでしょう。
そして、言わんとすることは、会社は厳しいぞ、ということです。
たしかに、会社組織に入ると、いまだに熾烈な出世競争にさらされることがありますし、自分がどんなに頑張ってもそれが必ずしも報われるとは限りません。
最悪、使えないと判断されてクビになるようなケースさえあります。
こういった特殊なケースだけを取り出して見れば、たしかに「社会は厳しい」のかもしれません。
しかし、それは特殊なケースであり、一般的な「社会」ではないということを覚えて多く必要があります。
② 「好きなことでは食べていけない」というウソ
好きなことを仕事にして食べている人は世の中にたくさんいます。
インターネットが無かった昔の日本では、まだ高度成長期からバブル経済に至るまでの慣習が色濃く社会に残っており、良い大学に行って良い会社に入ることが目指すべき主流な生き方とされていました。
しかし、時代は大きく変わり、日本企業でもかつてのように終身雇用という制度は無くなりました。
今の時代は、無数の働き方があり、昔のようにサラリーマンとして働くことが主流ではなくなってきており、今多くの本来の人が自分に合った働き方や生き方をするようになってきています。
この時代の流れはこれからもっと加速していくでしょう。
③ 「頑張らなければ成功できない」というウソ
頑張らなくても成功できます。
まず、ここでは「成功」を「自分に合った生き方をすること」と定義しましょう。
かつてのように、ビジネスで大金を手に入れることで物質的な豊かさを得ることはできても、心の豊かさにはつながらないということに多くの人が気づき始めたため、「成功」の意味が従来のお金から心の豊かさへと変化してきています。
次に、「頑張る」ということについてですが、何か自分が本当に達成したいことがあって、それに向かって努力するのはとても良いのですが、自分が全く興味関心の無いことに対して無理に頑張ろうとすると、決して良い結果になりません。
ここで言う成功すること、すなわち、自分に合った生き方をするのに努力は必要ありません。
やるべきことは心の声に従って淡々と行動していくことだけです。
④ 「社会人はこうあるべき」というウソ
これは最初の①と関連しています。
まず、「社会人」というのがどういった種類の人なのかをまずしっかりと定義する必要があります。
こういう使われ方をした場合の「社会人」とは、おそらく「会社員」のことなのでしょう。
たしかに、会社によっていろいろなルールがあって、社員はそのルールに従わないといけないでしょうし、また、それ以前に、日本では暗黙の了解という同調圧力があって、会社員は_9_時までに出社して、終業後は上司が帰るまで部下は帰れない雰囲気が残っている職場もまだまだ多いようです。
ちなみに、私が最初に入社した電線メーカーでは、夜_11_時、_12_時まで残ってサービス残業をするのが「当たり前」とされていました。
私はその「当たり前」とされていることにどうしても納得ができず、一度夜の_9_時に帰宅したことがあったのですが、翌朝の朝礼で「みんなが夜遅くまで頑張っているのに_9_時なんかに返っているやつがいる!けしからん!」と名指しで注意されたことがあります。
しかし、コンプライアンスが普及した今では会社がそのようなことをすると、会社側が世の中から叩かれるようになりました。
結局のところ、「社会人はこうあるべき」という考えは、時代と共に変化していくもので普遍的なものでも何でもなく、単に人間のエゴが創り出した妄想に過ぎないということです。
⑤ 「成功すれば(お金持ちになれば)幸せになれる」というウソ
成功しても(お金持ちになっても)幸せにはなれません。
たしかに一時的に物質的な安心感はもたらされると思いますが、心の幸せまでお金で手に入れることはできません。
何故なら、どんなにお金があっても、心が未来という頭の中のイメージに捉われると、心配や不安、恐れなどが生じるようになり、それはすなわち不幸な状態だからです。
たとえ外的状況がどうであっても、心が唯一存在する「今この瞬間」ではなく、未来や過去といった頭の中の妄想に飛んで行ってしまうと瞬く間に心配や不安に捉われるようになります。
要するに、幸せは物質に依存しないということです。
⑥ 「仕事は苦しくて当たり前」というウソ
向いていない仕事を無理して続けていると、当然苦しくなります。
しかし、向いていない仕事を続けた場合という条件において当てはまることで、世の中を見渡せば、好きなことを仕事にして楽しく働いている人はたくさんいます。
この言葉も、日本が高度成長期からバブル経済が終わるぐらいまでの時代に言われていた言葉ではないかと思われます。
当時は、サラリーマンという働き方が主流でしたから、当然中にはサラリーマンに向いていない人も数多くいたはずで、そういった人にとってはサラリーマンとして働き続けることは苦痛以外の何物でもなかったと思われます。
⑦ 「自分は大した人間ではない」というウソ
「自分は大した人間ではない」という言葉には全く根拠がなく、ただの思い込みにすぎません。
もし、あなたがこのように感じているのでしたら、幼い頃から思春期にかけて、何らかの形でありのままのあなたを否定されて傷ついた経験があるのかもしれません。
この世に価値のない人間など一人もいません。
もし本当に価値がないのであれば、そもそもこの世に生まれてきていなかったはずです。
すべての人にその人独自の価値があり、パズルのピースのようにピッタリ当てはまる役割があります。
あなたに与えられたあなただけの役割は、あなたの心の声が知っています。
⑧ 「お金が無ければ幸せになれない」というウソ
⑤に関連する話ですね。
⑤のところで説明したように、幸せになるのに物質的条件はあまり関係ありません。
大切なのは、あなたの心が頭の中の過去や未来ではなく、唯一の現実である「今この瞬間」に在ることです。
⑨ 「世界は分離している」というウソ
世界は分離していません。
物理的には分離して見えますが、すべての存在は集合的無意識の領域において一つにつながっています。
あなたの無意識下における思いは相手の無意識に伝わっています。
「何となくあの人とは波長が合わない」と言う場合、無意識下においてお互いの思いが伝わり合っているということです。
まだエゴが発達していない幼い子供たちは分離意識が無く、自分と世界が一つであることを誰から教わることも無く体感的に知っているのです。
全ては同じ一つの存在であることを心の底から知っているから、エゴの発達していない幼子たちは、いつも至福の中で生きています。
悟りを目指している人たちにとって、あらゆる修行をすることは、この幼子のような状態に戻ることが目指す境地なのです。
⑩ 「人類は破滅に向かっている」というウソ
今人類は急速に目覚めの方向に向かっています。
実際、多くの人が瞑想に興味をもって取り組み始めています。
一昔前でしたら、瞑想と言うと何だか怪しいカルト宗教のように思われていた一面がありましたが、今では誰もが簡単に行えるようになりました。
たしかに、日々のニュースを見聞きしていると、行き過ぎた資本主義社会が崩壊に向かっていると思わされるような事象が頻発しています。
それ以外にも、老後の不安を煽るようなニュースも頻繁に目にしますし、多くの人はそのようなニュースを見聞きする度に自分の将来に対して強烈な不安や恐れを抱いてしまうのも良く分かります。
この本を執筆している2023年現在、未だにロシアとウクライナの戦争は続いており、ロシアからヨーロッパ諸国へ天然ガスの供給がストップしたために光熱費が高騰し、ウクライナからの小麦の輸出が制限されるようになったことなどが起因した食料価格を含むあらゆる物価の上昇も続いています。
プーチン大統領が核兵器の使用を示唆するような発言もあったり、第三次世界大戦が引き起こされるのではないか、という懸念も強まってきています。
世界は、ロシアや中国と対峙する西側諸国の分断が大きくなってきています。
このような世界情勢を見ても、まるで世界が破滅に向かっているかのように思ってしまうのも無理は無いのかもしれません。
歴史学者によると、現代の世界情勢は、第二次世界大戦の前に非常によく似ていることが指摘されています。
仮に、ロシアが核兵器を使用するような事態が起こって第三次世界大戦が勃発するようなことがあっても、人類が破滅するようなことは決して起こらないでしょう。
むしろ、「災い転じて福となす」ということわざがあるように、すべての物事にはコインの表と裏があります。
世界が大きな分裂を経験している中で、同時に人々の目覚めのスピードは加速しています。
世界が混乱しているからこそ、集合的無意識の領域において、私たちが無意識のうちに平和を望むエネルギーも増大しているように私は感じています。