amazarashi Live Tour 2023「永遠市」@東京ガーデンシアター 11/25 ライブレポート
amazarashi Live Tour 2023 「永遠市」が先日幕を閉じた。名古屋・東京のみ週末とツアーが決定してから初日まで期間がタイトだったせいか平日中心の開催となった。ファイナルの東京は体調不良で断念したため、今回は東京で1本、青森で1本の2本立てとしたいと思う。東京編には私的初日である名古屋の思い出も交え、「永遠市」という視点で楽曲を考察しながら、青森は東京との違いに触れながら通常のライブレポート形式の構成としたい。
まずは1本目、名古屋・東京編である。
初日大阪を経て、2日目である名古屋は初めての会場である、名古屋国際会議場センチュリーホール。東京はおなじみの有明、東京ガーデンシアターでの開催となった。名古屋は11月にしては暖かな陽気に包まれ、のんびりと熱田神宮をお参りしてから向かった。
原作『宇宙の漂泊者』
アルバムタイトルである「永遠市」は、ロシアの作家アレクサンドル・コルパコフの短編小説『宇宙の漂泊者』の第一章に登場する。昨年秋田ひろむが体調を崩し再起に向けて思いを重ねた一作であるが、一体どこからこんなマイナーな作品を見つけてきたのか。検索をしてもトム・ゴドウィン『宇宙の漂流者』ばかり出てきて単行本すら出ていない。SF短編集がいくつかHITする程度で、情報が公開されるや否やAmazonの数少ない在庫はあっという間に売り切れに。他で読めるのはいくつかの図書館と国会図書館程度だった。私は運良く1972年発行の千億の世界を入手した。内容に触れておこう。
主人公はルソフという青年。21世紀の初め頃(ちょうど今頃か)から星への探査が始まり、22世紀頃からアニヒレーションロケットが登場、そのロケットの中では四十倍の時間が遅れた。そのためロケットに乗って数百年後に戻ってきても少ししか年を取らず、過去の時間から来た人という意味で"相対性人"が登場する。やがてその人数が増え戻ってきた人の街は”永遠市”と名付けられた。ルソフもその一人である。そしてエリダヌス座のアルファ星への探検として一般のパイロットと一緒に旅立つが途中で怪物に攻撃されて遭難(ええ)、宇宙船に残っていて無事だったルソフがメンバーを連れ戻し仮死浴槽につけて保存(ベジータとかの回復装置みたいなイメージ)、宇宙を漂流しながら何とか594年後に地球へ帰還を果たす。その時永遠市は"偉人市"と呼ばれていた。
という30Pにも満たない短編のSF小説だ。ストーリーとして古さは否めないが"永遠市"という存在に秋田が想いを寄せたのは分かる気がする。人の中で取り残されたような感覚、永遠市という街で仲間に出会い、希望を見出し、同世代や家族を失った人々が新たな仲間の中でもう一度生き直す。そこに自分を重ねたのだ。同時期に出たSF小説を探すと、『人間を超えるもの』という短編集には地方都市のメメントモリで登場したアイザック・アシモフが出てきたり、amazarashiの作品にも古いSF映画や創世記から取ったであろう間抜けなニムロドという楽曲があったりと、秋田が好む世界なのかもしれない。
居場所のなさ、疎外感、虚無感を歌い続けた先で人に伝播し受け入れられ、"居場所がないと歌う場所"を得た。異邦人であることは変わらない、それでも過去の連なりが今の自分を作り、仲間を作り、永遠市という街を作った。社会とつながり、再び生きていくことを決意表明したかのような楽曲を引っさげてのライブがスタートする。
アルバム『永遠市』
永遠市のアルバムに漂うのは、華やかさや名曲というよりは、amazarashiとして歩んできた日々の先にある現在の風景だ。絶望、暗闇、葛藤、もがき、そしてそこに射す一条の光。今やamazarashiの楽曲の光は強さを増しつつあるが、過去の自分を振り返り、そこに新たな息を吹き込む。ライブのセットリストも古い曲を交えながら展開し、過去現在未来を生きる。秋田が、これは"映画じゃなく生活"と表現したように、そこに込められたのはとても繊細でパーソナルな温度だ。
紗幕演出について
今回は、ステージ奥の紗幕をLEDスクリーンに変え、表の紗幕も透過度が高く照明も明るいためステージ上がよく見える。映画のようなというよりは、一つのロックバンドとしてのライブ感が強く出ていた。秋田はこれまで黒っぽいトップス+サルエルスタイルが多かったように思うが、今回は明るめの色の柄物パンツを履き、胸元が少しあいた黒のシャツにハットにはキラキラしたチャームをつけて登場。オシャレっぽい衣装を着ながらも今までで一番と言っていい位ステージで暴れキックを繰り出し、バンドメンバーとぶつかりかけ、会場によってはこけ、水を倒しやりたい放題楽しそうにやっていた。笑
開演前の紗幕には旧ロゴのamazarashiの文字が浮かび、終演後は永遠市が浮かぶ仕様で、過去からの永遠市への旅路を思わせる心憎い演出だ。開演時間を少し過ぎて照明が落ちるものの名古屋はかなり明るい印象を受けた。東京は名古屋よりも照明が落ち、メリハリのある当て方でとてもよかったのだが、青森ではまた明るさが戻っていたので設備と人どちらが原因なのか謎である。
てるてる坊主
さて、今回のライブで大活躍するのはamazarashiのMVに初期から幾度となく登場してきたてるてるである。初期のamazarashiにとって、てるてる坊主は救いの象徴だった。雨よあがれと願いを込めて守り戦い葛藤を描いてきた。今回はそんなてるてるが奥のLEDスクリーンに閉じ込められ、揺れもがき壁をぶち破ろうと牙を向く。それは秋田の鬱屈としたやりきれなさなのか、体調を崩した中でのフラストレーションなのか。それとも私たち自身の姿なのか・・投げつけては流れる血文字のような演出もあり、冒頭2曲は完全にホラーである。面白かったのが、東京だ。ファイナルは見ていないので分からないが、地方はてるてる自身、手が生えたことに喜び興奮し暴れる様子が見て取れたが、東京は早々に手が生え、壁をぶちやぶる狂気が強く描かれていた。東京での秋田ひろむは緊張感をまといいつも闘い挑むような姿勢を崩さない。てるてるが強めだったのは、そんな心情を表現していたのだろうか。
俯きヶ岡
ステージにメンバーが入り秋田がゆっくりと入ってくる。イントロの打ち込みが流れ、ドラムが重なり、「いつかがまだいつかであった時・・」秋田がぽつりぽつりと感情豊かにポエトリーリーディングを開始する。俯きがちに揺れながら不穏な空気をまとったてるてるは奥のスクリーンに潜み、こちらをにらみつけ真っ赤に染まる。
俯きヶ岡の冒頭は、まさに地方都市青森のリアルが詰まった水槽が重なる。終盤は花は誰かの死体に咲くや穴を掘っている等を彷彿とさせながら、50年以上前のSF小説に現在を重ね、129億光年先の最も遠い星とされるエアレンデルに想いを馳せるその声は優しく切ない。永遠市をテーマとしたライブの幕開けにふさわしい一曲だ。
「 Live Tour2023、東京!ガーデンシアター!
青森から来ましたamazarashiです!! 」
永遠市がすっぽ抜けてしまい行間に若干の焦りを感じる始まりだ。
インヒューマンエンパシー
異邦人として生きる場所を求めて彷徨う、宇宙探査の旅が始まる。
インヒューマン=人ならざるもの
エンパシー=共感
Sympathy(相手に自分を重ねた共感、憐み)ではなくEmpathy(自他を区別した上で相手に寄り添う共感)であるところが何とも秋田ひろむらしい。「僕」ではなく「僕ら」として他者をひとくくりにしながらも、生きる場所や輝ける場所はそれぞれ別にあると歌う。昨今の優しく手を差し伸べてくれる(若者に向けたような)スタイルから、過去を俯瞰しながら独立した個としてそれぞれの人生で泥臭く生きろと叫ぶ。他者への救いではなく自分を奮い立たせるような空気が永遠市には終始漂っている。そこにまた自分を重ねamazarashiに共感するかどうかもまた個の自由という訳だ。真っ赤な照明から青にクールダウンしたかと思えば、サビの「今夜」でてるてるがスクリーンをぶっ叩き徐々にひびが入る。緩急豊かな一曲でオープニングとして会場に熱く火を焚べた。秋田の声はスロースターターということもあり上がりきらず歌いづらそうではあったがバンドの音がしっかりと支えていた。
下を向いて歩こう
ホラー2曲から場面は一転、足元の風景に歌詞が浮かび上がるamazarashiらしい映像スタイルに戻る。場面は青森や東京等様々な街の片隅、海。地方から上京しまた帰っていくような構成だったように思う。シャンシャンと聞こえるタンバリンの音が心地いい。マンホールであったり小さな路地、地方都市のような景色にオフィスビルが立ち並ぶ都会の風景。そこで生きる人の分だけ人生があると言わんばかりに沢山の景色が映し出される。前を見て、空を見るのもいい。けれど、足元を見なければ転んでしまう。下を向いて歩くというのは俯いて後ろ向きに見えるだろうか。周りのまぶしさに目をやられて苦しむよりも、光を背にほくそ笑みながら歩いていこうぜ。胸のうちに燃える炎は太陽が照らすことも、人から奪うこともできないと秋田ひろむらしい言葉で紡ぐ。 そんな秋田に呼応するようにドラムの橋谷田真は時に天を仰ぎながら全身でリズムを刻む。
光、再考や爆弾の作り方で始まったamazarashiの物語は、秋田ひろむが自身のために歌い、広がり、光を放つまでになった。怒りや憤りの初期衝動が言葉の力が人の心を突き動かすことを知っている。自分の轍がやがて糧になる。人の糧にすらなりうる。だからこそ下を向くことを肯定するのだ。 サビではオクターブ上で豊川のコーラスが重なり、下を向き必死で生きる姿に祝福のような輝きが舞い落ちるようで非常に美しかった。
「明日には大人になる君へ」がかすかに通り過ぎていく。 ありがとうございます!秋田が力強く声を上げた
口上
10数年の時をかけて
数百キロメートルの距離を超えて
数万文字の言葉を費やして
数万小節の音符を積み上げて
今日も音楽が鳴って
過去未来が錯綜する耳鳴りに
僕らは何を見るのか
これは映画じゃなく生活
Live Tour2023 永遠市
名シーンだけの人生ではいられない
名もなき日々を生きるすべての人たちへ
歌いに来ましたamazarashiです
冒頭上を見上げながら帽子を持ち上げ、ゆっくりと重ねた言葉が胸を打つ。
ディザスター
ゲーム実況者k4sen(かせん)さんをイメージして作ったディザスターが早くも登場。秋田には白のライトが当たり、周りは青に染まる。サビ以外は言葉を紡ぐことに集中していたように思う。背後のてるてるはクリスマスのMVよろしく、下半身が銃となりぶっぱなす玉が突き刺さりひび割れるような演出で、LEDスクリーンならではの鮮やかさ。 歌詞はamazarashiらしい持たざる者やお前じゃ無理といった負の言葉に対し、くそくらえと抗う言葉の詰まった一曲。ハードで絶叫するような曲調をイメージさせながら、Aメロの低さや淡々とした音の並びからは想像できない位サビはポップで明るくギャップが面白い。秋田から矢継ぎ早に放たれる言葉に、豊川の明るく美しい「ディザスター」の声が響く。音の高低のギャップが光と影のようにお互いを引き立て合う。
ここが紗幕に大きく映し出されていたのが強く印象に残った。
14歳
しばしの間。打ち込み音が響く中、ドラムにスポットライトがあたり、橋谷田真のドラムソロが冴え渡る。音の抜けが心地良い。続けて豊川にもライトが射し、ピアノが重なり、特徴的なイントロが流れ、14歳の懐かしさに包まれる。ここからは過去曲ゾーンに突入だ。 秋田の低い"才能不在"の声が響く。紗幕には草原の草が灰となって舞い、歌詞が大きく映し出されては文字もまた灰になって消えていく。背面は赤カーテンで表のみの演出だ。自分の不甲斐なさに打ちひしがれ、空っぽで仄暗い。希望はほとんど見えない。それでもただ歌を歌い続けることだけが自分の価値であり自分自身を支えているような初期のamazarashiらしい一曲。いつぶりだろうか。こみ上げる感情が雫となって頬を伝う。
14歳と超新星の繋がり
なぜこれを持ってきたのか。 原点の曲ということは勿論だが、ちょっと視点を変えてみたい。永遠市は宇宙探査の物語。小説には天文暦にも載っていない白色矮星ツウィキーという星が登場し、重力が引かれ合ったことで結果的に地球への帰還に一役を買う。そして14歳に登場するのは”あれはアレイの白色矮星、それで僕は燃やされてしまいたい” というフレーズだ。 天の川にあるこぎつね座の星雲M27がアレイ星雲である。質量の大きい恒星が水素を燃料に核融合し輝き膨れ上がり赤色巨星となる。周辺からガスが漏れ核融合が停止すると白色矮星となり、やがて冷えて星として最後を迎える。そこに他の星の力が加わり質量が更に増加していくと重さに耐えきれなくなり、超新星爆発を起こして星が吹き飛んでしまうらしい。
14歳は白色矮星のような終わりを思いながらそれでも好きな歌を歌い続け、10数年後、超新星としてただ一度きりの大爆発で目のくらむような光を放つ。amazarashiは「一生消えない1行を」と歌ってきた。100年先まで残らなくたって構わない。灰になれ超新星。その一瞬の輝きが残像としてでも残るならそれでいい。同じ灰を描いても流れた時の分だけ、その描き方が変わる。そして変化と同時に地続きである事を強く感じさせてくれるのだ。 超新星が歌われるのは後半だが、初期の仄暗さや空っぽさの象徴である14歳を今のamazarashiが歌ったことで、一層光が強くなった。アウトロでは演奏が激しさを増し、中村武文、秋田、井手上誠のギターベース三兄弟がシンクロするように縦ノリする姿が微笑ましかった。
無題
紗幕にはライブでは初登場だろうか、スターライトverのMVが映し出される。あえて新映像でなくMVを使ったのは、その映画と生活がテーマであるからだろう。小さなアパートで絵を書く若い青年と側で見守る彼女。その狭い世界がすべてで、"変わってくのはいつも風景"という言葉が突き刺さる。名古屋はここで涙腺が決壊してえらい目にあった。東京は最後の信じてたこと1回目で声が裏返っていたがそれも熱が入ってこそだ。
人から認められたいという思いは誰しも多かれ少なかれあっておかしくない感情だ。そして”売れる”ということの意味も考えさせられる。もっと売れたら、有名になったら、もっともっと自由に自分を表現したいと目を背けるような人の本性を描いた青年。それは見方を変えればある種、傲慢にも映るだろう。人の信用を失ったり、背を向けられるのは一瞬だ。売れたからこそ繋がる縁も届く声もある。そして売れた売れないで変わらないものだってあるし、同時に変わるものもある。有名になるということは、人に受け入れられるということは、迎合せざるを得ない瞬間もあるだろう。自由と不自由はいつも隣り合わせで、amazarashiもまたメジャー活動の中で変わった変わらないと言われながら活動を続けてきた。
無題はその情景描写が秀逸でありストーリーが目の前に浮かぶようでとても美しい。短編映画のようではあるが、その中に生きる青年と彼女にとってはリアルであり生活があるからこそすれ違う。曲間で秋田への照明が暗く落ち、秋田を挟む4人のメンバーにだけうっすらとピンクの照明が当たる。そして「信じてたこと正しかった」と秋田が繰り返すことで、仲間の支えで今があるような、amazarashiがバンドとして花開いていったような軌跡に見えて胸を打たれた。
口上
変わらないもの変わっていくもの
移り変わる景色の中で
大事なものだけはどうか失わないように
一生消えない傷跡や途方に暮れてなすすべもなくうなだれる長い夜も
つじつまを合わせるために僕は探している
(つじつま合わせは2回言っていたのでもう少し長い)
つじつま合わせに生まれた僕等 (2017)
場面は一転、秋田の口上へ連なるように豊川のピアノソロのイントロが始まる。時計の針がメトロノームの音を立てて紗幕に大きく映し出され、カチカチと時を刻む。虚無病ライブver.の映像である。ここであえて虚無病をもってきたのは、体調不良で休んだ期間と重なったせいだろうか。永遠市限定版付録のトランプにも虚無病のメンバーが登場している。 ”変わってくのはいつも風景”と歌った無題から報われなさや他人からの評価との葛藤に苛まれながらも愛を信じようとするつつじつまへの繋がりが何ともにくい。人生程度の差こそあれ、いいことばかりでも悪いことばかりでもない。様々な出来事の繰り返しで日々は続いていく。秋田の声は徐々に熱を帯びていき、朗々とした声が広がり、”つじつま合わせに生まれた僕ら”のロングトーンが会場いっぱいに響き渡る。
懐かしい楽曲が今のamazarashiを支え、心を揺さぶる。今の楽曲も勿論大好きで何だったら新譜が出ると新しい曲ばかり聴く位だが、ライブとして表に出た時、初期の楽曲の言葉の力に驚かされる。心の深い所を捉えて離さない、その揺るがなさに胸を締め付けられるのだ。今は今のよさがあり比べることにあまり意味はないが、それでもやっぱり胸の奥をくすぐる懐かしさがたまらない。 名古屋は飯にありつける人が飛んだものの終盤は慈愛に溢れた声が素晴らしく、東京は頭からラストまで感情豊かに歌い上げた。
スワイプ
さてここからは過去の旅から現在に戻り、今のamazarashiが光を放つ。 映画ヴィレッジの主題歌、騒々しい無人ver.もかっこよかったが、通常ライブでの演奏はひりついた熱をうちに秘めたような熱さ。秋田の言葉を伝えることを全面に出しながらも、それを支えるバンドの音は重厚だ。特にシンバルの乾いた金属音には胸が躍る。映像はこれまで以上にスワイプに徹したように画面が横に流れる様を強調したもの。不穏な空気、歪んだ音、秋田はマイクに噛みつきそうになりながら言葉に魂を載せる。 秋田が怒りすら感じさせるように「リライトできないシナリオ」とがなった後、「不景気な地方自治体」で豊川がメインに出るフォロー部分は健在でその柔らかさに癒される。
終盤の出口が見えた所で足元をすくわれる歌詞が何ともリアルだ。それを正面から描くところがamazarashiだと感じさせられる。そして自分にとっては色んな感情や葛藤で悩み苦しみぬいても他人から見れば意味はなく、大事件となって世間を驚かせたってつかの間、あっという間に消費されていくこの虚しさにスワイプという言葉はピッタリだ。 演奏は火をつけたように燃え上がる。井手上誠は恍惚とした表情でエレキギターをかき鳴らし、秋田もそれに呼応する。ベースの中村武文とあわせて真ん中3兄弟のソリッドな激しさと真っ赤な照明が刹那的で狂気を映し出す。 そんな騒々しさで会場を支配した後、しばしの間をおいて柔らかな空気が漂う。
君はまだ夏を知らない
冒頭は夏らしい明るいスカイブルーの照明に秋田のアコギと豊川の優しいピアノが重なる。紗幕には子供が描いたような絵が浮かびながら歌詞は割とかっちりした書体のミスマッチが面白い。背後にはてるてるが揺れている。秋田のリアルな生活を描いた一曲。愛おしむように慈しむようにあたかかい。秋田はギターに手を起き、語りかけるように言葉を紡ぐ。 苦しんだ過去があった、支えてくれた人がいた。自分のために歌った歌が人に届き繋がった。世界が広がった。仲間と新しい1歩を描く、永遠への確かな1歩。新しい出会いと別れを繰り返し日々はこれからも続いていく。
君をすべてから守れたらいいのにと思いながらも、君には君の世界があって、それはかつて自分が辿った道で。自分の足で歩くからこそ納得できるものがあることを知っているからこそのかすかな葛藤と温もり。家族愛を彷彿とさせるが、それだけではない、スタンドバイミーのような眩しさも併せ持つ。 後半背面のてるてるに雨が降りそそぎ雪に変わり、スノードームの歌詞が現れる頃にはキラキラとした雪の粒のような宇宙に投げ出されたようなきらめきが広がりとても美しい。ラストは秋田だけ照明が落ち見えない中で周りはオレンジのライトが温もりとなってステージを包んだ。
季節が留まり永遠ならいいなと思える幸せが秋田の生活そのものだと言葉にできるようになったこと。ただそれだけで心がほどけ緩んでいく。
口上
何かが足りない気がして
綺麗なものを探して
それでも何か足りなくて
永遠なんてないという諦め
だらこそ照らすことができる
感情があることを僕は知っている
月曜日
今回平日多めのツアーだが、何と月曜の公演が2回もあった。札幌と東京ファイナルだ。あえてそこに入れたのかそこしか取れなかったのか分からないが、月曜日に聴く月曜日もまた魅力的だ。行けなかったのが悔やまれる。過去のツアーでも割とやる頻度の高い楽曲だが、紗幕は漫画「月曜日の友達」を主軸としながら、秋田のシルエットが出たり出なかったり、白黒の線画が終盤一気に色づき絵がコマのように切り替わるシーンを含め何パターンも存在する。今回のライブは過去のものとはまた違ったもののように思えた。割と演奏は走りがちな印象を受ける曲だが、今回は少しゆったりとしたアレンジで歌いやすそうで、伸びやかな歌声だった。月曜日の楽曲自体ドラマティックなアレンジで繊細な心理描写をしながら日々の鬱憤とかつまらなさを空に向かって昇華させるような爽快さが魅力。そしてライブは楽曲以上に激しく騒々しい。
ここのスワイプー→君はまだ夏を知らない→月曜日の流れが騒々しい無人をテーマに行き来するようでセトリの組み方が秀逸だと思った。
永遠なんてないと知っているからこそ永遠でありたい想いが強く伝わる。こんな所もしっかりと永遠市のテーマにあった言葉選びになっている。だからこそライブのセットリストの中で違和感なく馴染むのだろう。 さて月曜日の熱さを引継ぎそのままの勢いで次の曲へ。
海洋生命
打ち込み音にドラムが重なり、歪んだエレキの音が熱を注ぐ。背面には、白黒の3D人間みたいな物体が溺れるようにもがく様が映し出される。どんどん数が増え回転していく様が面白い。 ライブで化けた一曲を選んでと言われたら間違いなくこの曲だろう。アンチノミーのカップリング曲であり、音源自体も意味不明な歌詞と(こら)噛みつくような吠え方が大好きな一曲である。正直MVPを上げたい位でホールであることとポエトリーリーディングで曲が短いことが口惜しい。ライブハウスで飛び跳ねたくなるような激しさでゴリゴリに攻めてくる。秋田は飛んでるのか蹴ってるのか踊ってるのか分からない程にギターをかき鳴らす。同時に井手上の恍惚とした歪みねじれる爆音がたまらない。
このあたりが同じ虚無主義を歌っても怒りとか報われなさをぶつけては一筋の光を見出していた過去との違いがはっきりとしている。強さも弱さも両方あっての人だからとたくましくなった。ディザスターでてるてるが銃でぶち壊そうとしていたのもきっとamazarashiが戦ってきた虚無主義なのだろう。
超新星
背面には熱をため込んだ白色矮星、丸い星がゆらゆらと白く燃える。海洋生命の熱を吸収し今にもはちきれそうだ。紗幕はライフイズビューティフルのようなリリック演出に近く目が楽しい。Aメロはロートーンでポエトリーに近い。滑舌よく言葉を刻みながら熱をこめ、徐々に溜まった熱をサビで爆発させる。眩しく輝いてを目が眩む残像をに間違い2回繰り返していたがそれもまたよし。 ここから次の自由に向かって逃げろは「超新星」というテーマもあって、ステージから客席に向かって無数の光が降り注ぎ、何だったら目つぶし攻撃も辞さない位の照明さんからの強い意志を感じた。笑。会場全体がかなり明るく名古屋は特に眩しかったように思う。amazarashiのライブがこんなに明るくていいのか?陽キャ転身?と戸惑う位には明るくて驚いた記憶が強く残っている。
永遠市というテーマから見ても、超新星の役割は大きい。映像もモノクロの超新星に照明が鮮やかに輝く色使いにときめいた。14歳でも書いたように超新星はやがて爆発し星としての最後を迎える。輝いているとしたらその終わりを迎えたその一瞬をとらえたものだ。失ったもの、手にして零れ落ちたもの、それを嘆くことなかれ。終わりはまた一つの始まりだ。と言わんばかりに、「どこまでも羽ばたけどこまでも羽ばたけ」の解放感というか空に向かって自由に言葉を放り投げていく感覚がたまらない。重力から飛び立っていくようなエネルギーと希望に満ち溢れている。
ここがもうamazarashiが歩んできた道と彼らに出会い魅入られた私たちとこの十数年を凝縮したようなフレーズでライブで聴けたのがとてもうれしかった。間違いなく深く深く突き刺さった。
口上
何もかも失っても構わないと始まった逃避行は
今日も続いている
僕にとっての自由とは
なりたいものになれるかどうかじゃなく
なろうと試みることができること
あの日から僕はずっと逃げている
自由に向かって
(ここも多分もっと長い)
自由に向かって逃げろ
場面は超新星が爆発しブラックホールのような真っ暗な宇宙に投げ出されたような世界。背面は真ん中から外に引っ張られ重力がかかっているようなもやもやが映し出される。キラキラと舞うのは雪か星屑か。超新星が燃え尽きた後、無になれば、そこから新しい何かが始まる。紗幕には秋田の歌に合わせリリックが奥から前にせり出してきたり、横から入ってきたり目がパチパチしてたり蠅の文字が集まったあと飛び散ったり、化け物屋敷の化け物が伸びたりと遊び心溢れる作り。当たり前に立ちはだかる阻むの文字が好きだった。モノクロの世界に照明がブルーや夕焼けのオレンジ等綺麗な色を添えていた。
こんなフレーズから始まるこの曲。甘酸っぱい青春ソングか!?とドキドキしそうになるが甘酸っぱいのはここだけである。笑。
この曲のよさはやっぱりこのフレーズに尽きる。「自由」の文字がそこどけと言わんばかりに入ってきてドンと主張するように表示されていたのもよかった。苦しみに痛みに耐えて我慢してつぶされてしまう位なら逃げるが勝ちというのは本当にそうだ。耐え忍んだから強くなるわけでも打たれ強くなる訳でもない。何も知らない他人の無責任な大丈夫なんて言葉に振り回されないように、逃げて自分を守ることもまた一つの術だ。
そして耐え難い痛みと逃げることについてamazarashiの楽曲を振り返ってみたい。 僕らは雨ざらしだがそれでも、とamazarashiは始まった。
こうして並べてみると、内から外に向かったフェーズから内と外が一つになったような印象を受ける。自分のために歌い、死ぬために生きて、生きる場所を求めて、雨ざらしのまま走り続けられるだけの強さを求めた過去。やがて過去の自分のように自身を否定する君を見つけて、そんな君に逃げようと手を伸ばす。そして自分の言い訳や弱さすらも晒して、いつかっていつだよそんなの本当にあるのかよ、ととどまり苦しみ続けるよりも逃げろと背中を押す。横に寄り添うでも前を歩いて導くでも手を差し伸べるでもない。僕らという言葉で他者との境界線を外し、自分を鼓舞するような言い方だ。逃げた先に自由や希望があるのか光が射すのかどうかは関係ない。終わらせることで自由や希望を新たに描けばいい、そんな強さを感じるのだ。 秋田のエモーショナルな歌声に負けない位客席には光が降り注ぐ。そしてわずかな間、勢いそのままにステージは真っ青に染まる。
空に歌えば
超新星→自由に向かってと続いた熱を受け取り疾走感で駆け抜ける。紗幕は透過され、背面のみの映像。ライブで幾度となく演奏されてきた曲だが、定番のライブ映像ではなく、メッセージボトルツアーの青森で初公開された時と同じブルーに黒抜きの歌詞が浮かぶ。この時はドラムの橋谷田真さんが体調不良で共にステージに立つことが叶わなかった。"永遠市"をテーマとしたこのツアーでその映像を持ってくるのはなかなかにくい。メンバーの姿は紗幕から透過してみるのではなく、シルエットとして投影される。光と影が一つになり、空にとけこむようだ。いつ見てもドラムの手数が多く大変そうだがスネアの抜けが心地よくバンドメンバー全員の熱がステージ上に飽和する。頷き合い目を合わせ音を重ねて、雨を冠としたamazarashiが真っ青に晴れた空を歌う。
ヒロアカとのタイアップで明るい曲調でありながらも、amazarashiらしいポエトリーをしっかりと入っている所がこの楽曲の大きな魅力だ。そして、雨ざらしになりながら孤軍奮闘し、雨雲だと思っていた暗さは実は世界の一部でそこしか見えていなかっただけ。閉じ込められていたんだ。だから逃げた。逃げて逃げて逃げた先で光を見つけて、空を切り裂いたらそのうえには蒼天が広がっていた。雨はあがった。という曲を自由に向かって逃げろの次に置くのはさすがだ。楽曲の歌詞の世界の繋がりにストーリー性を持たせる構成でとてもよかった。 アウトロで秋田が下手と上手に目をやりかき回してフィニッシュ。ありがとうございます!と声を上げ、大空に羽ばたく自由を手にしたような空気が漂う。
美しき思い出
イントロが流れる中、紗幕にはとある部屋の一室がモノクロで映し出される。ギターケースとボストンバッグ(ボストンな辺りも時代を感じる)が寄り添うように置かれ、ガランとした部屋。使われていないシンク、アンプ、新たな旅路へ向かう景色が映し出され壁には小さなポスター。カメレオンライフ「東京」のジャケットである。どうも映像がどんどん変わっているような気がしてならない。名古屋よりも東京、東京よりも青森でジャケットのビル群(西新宿?)が前面に押し出されていったように思う。名古屋はそこまで目立っていなかった(だからそれほど騒ぎになっていなかった)ような気がするのだがどうだろう。青森から上京し、そして再び青森へ戻ったかつての日々を歌う。定番の(といっても最近はあまりライブでやらないが)泡が溶けていくような映像は封印し、あくまでも秋田ひろむのスタートラインにフォーカスした映像で思い出を噛みしめるように静かに言葉一つひとつを大切に紡ぐ。その横にはカメレオンライフ時代を共に歩んだ中村武文の姿がある。秋田の歌声の次にベースが際立つアレンジになっている部分があるのもこうした背景を考えれば納得だ。彼は終盤、反芻するように上を見上げていてグッと来てしまった。二人はどんな気持ちで音を奏でているのだろう。
東京という大きな街の自由と不自由、居場所を作ることの難しさ。いいこともよくないことも抱えながら必死で生きる。楽曲から伝わるのは閉塞感と何とか生きようとギリギリでもがくいたたまれない程の切なさだ。友を失ったこと、東京でうまくいかずそれぞれの道を歩く友達、ライブのサポートという形で今も共にステージに立つ仲間、青森に戻り出会った仲間、amazarashiとなって繋がった仲間、沢山の出会いと別れがあり長い長い時を経て大嫌いだった東京も昔よりはマシになったか。でも今でも東京のライブはある種別物でいつも緊張感が漂う(私はこの緊張感こそが爆発的なライブを叶える一因にもなっていると思うので東京のライブが好きだったりする)忘れたくて忘れたくない、悲しくて美しき思い出。かつてがあってこそ、今のamazarashiがあるのだ。
東京は自分のうちにある怒りも悲しみも綯い交ぜにした複雑な感情を絞り出すように叫んでいた。それは東京という場所がそうさせたのだろうか。名古屋も青森もここまで荒々しくはなく、どこか泣き叫んでいるようで胸が痛くて仕方がなかった。
さてここで事件が起きる。
事件は名古屋で発生!!笑
いつもラスト2曲を残し、ありがとうございます。とMCに入る秋田だが、突如ありがとうも何もなく普通に喋りだす。もう感極まってしまって言葉がついて出てしまったようだ。
MC (名古屋)
なんか美しき思い出歌いながら、タケと目が合ったらなんかグッと来たじゃん・・笑(下北弁の「じゃ」と言ってる人もいた)(笑い出すひろむ、マイクに笑い声が漏れる豊川さん)なんかすごい走馬灯のような感じでぶわーってきました。今日はこれだけでいいものもらった気がします。名古屋、今年も来れてうれしいです!ありがとうございます。
このやりとりがあったせいか続くごめんねオデッセイではタケさんのベースの音がどこか弾むようで嬉しそうでとてもほっこりした。
MC(東京)
東京、ありがとうございます(後ろに水を飲みに行く)わい昔から・・色んな場所で目標は何ですかって聞かれると一生音楽を続けることですって答えてきたんですけど。最近になってようやくその入口に来たんだなって思います。永遠市っていうアルバムはそういうことを思って作りました。ひとつ前の七号線ロストボーイズはシンプルに名作作りたいなって思ってたんですけど、なんかそういうかっこつけたりとかほめられたいとか、そういうところからようやく離れられて音楽に向き合えてる気がします。あと残り2曲もそういう曲です。今日はありがとうございました。
口上
忘れたつもりでも不意によみがえる思い出
平坦な日々の連続に飽き飽きしながら
新しい光に背を向ける
今年もまた雪が降る
あの日から変わった自分と
あの日と変わらない自分が
二人胸の中で相対する
進んでも進んでも遠くなるような気がして
それでも逃れられない
自分という最小単位が
今日も僕をここに立たせている
ごめんねオデッセイ
さてラスト2曲。今回奥の紗幕がLEDスクリーンになったのはこのせいか?笑。歌詞に発光ダイオードが登場する一曲。アルバムでは前半に位置し旅への狼煙をあげる役目を果たしているが、ライブツアー「永遠市」では宇宙探査の旅(オデッセイ)の締めくくりとして自らへ問いかけラストのアンチノミーへとストーリーを繋ぐ。個人的には後ろに置かれる方がしっくり来る名曲だ。てるてるは暗闇の中に白く浮き上がり目を光らせ体には大量のプラグがぶら下がり刺そうとしてくる様はなかなかの狂気だ。そんなてるてるの周りを歌詞が浮遊しながら進む。
「永遠市」のアルバムでどの曲が一番好きかと言われたら、間違いなくこの曲だ。 長く言葉の詰まったポエトリーリーディング、サビは秋田のロングトーンが美しい華やかなアレンジ。ライナーノーツによればロストボーイズツアーが終わって出来た曲のようだ。秋田はギターを置き手を前に持ってきたり後ろに持って行ったりしながらポエトリーリーディングの言葉に感情を振り絞る。全身全霊で魂を吹き込む様は独白を彷彿とさせ、サビは雪深い青森の地で暖かな木漏れ日を、春を待ち焦がれるような切実さが漂う。
空っぽな奴ほど「詩」を書きたがるの空洞空洞を思い出す。これも詩と書いているが、発音は間違いなく「死」であり、楽曲自体にも生と死の狭間の空洞を描いている。
amazarashiと死生観は切っても切り離せるものではないだろう。タイトルをオデッセイ(冒険、旅の比喩)としたこともそうだが、歌詞にクーパーとマーフ、ラストにユリイカが登場する。クリストファー・ノーラン監督映画「インターステラー」の引用である。宇宙の漂泊者と似たテーマの10年程前の作品で、地球が終わりを迎え、居住可能な惑星を求めて宇宙探査に出る物語だ。AmazonPrime等でも見られるはずなので気になる人は見てみて欲しい。
ここがこれまでのamazarashiの歩みと重なって喉の奥が苦しくなる。諦めきれず歩き続けた結果としてかつて破れた夢を別の形で叶えたと言える今、そこに過去の仲間や日々を思い、1mmも後ろめたさがないとは言い切れないだろう。体調を崩したり立ち止まった時というのは、普段流れていく景色や過去として受け入れていたことも牙をむく。
ポエトリーで声がひっくり返っていたが、過去を振り返り、立ち止まり、また歩き出し、過去から自分が紡いできた言葉が自身を形づくり、時にそれに苦しめられ時に救われ、そして自分自身へと問いかける。まだやれるか胸を張れるかと自分を奮い立たせるような言葉に胸が震え、永遠市のライブはクライマックスへと向かう。
口上
10数年の時をかけて
数百キロメートルの距離を超えて
数万文字の言葉を費やして
数万小節の音符を積み上げて
今日も音楽が鳴って
過去と未来が錯綜する耳鳴りに
僕らは一瞬の夢を見る
永遠なんてないという言い訳を
それでも逃れられない自分という最小単位が
僕らをこの夜に連れてきた
あなたがふと我にかえったとき
途方に暮れてなすすべなくうなだれる長い夜
手持無沙汰に探ったポケットに
今日の音が今日の言葉が
ひとかけらでも残っていますように
夜の隅っこで泣いていたあなたへ
どうか どうか 生き延びて
アンチノミー
多分もっと長かったと思うけど、口上で泣き落としにかかる秋田ひろむの手ごわさよ。泣くて。笑。背面、プラグを大量につけたてるてるから、糸に操られるように動く機械仕掛けのロボットへバトンタッチ(終盤てるてるに操られているシーンも出てくる)ラストはニーアオートマタとのコラボ曲、アンチノミー。紗幕には歌詞が表示され天使文字に切り替わる作りになっている。 制御されていた時はまだよかった。”そういうもの”だと思っていたから。けれど歌が進むほどに意志を持ち始め、違和感を抱き、混乱し、自分が何のために存在するのか葛藤し、迷い、その感情に戸惑い、システムエラーを起こす。amazarashiの演奏と、秋田の歌声からきっとロボットは何かを受け取ったのだ。自分を操る糸を引きちぎり、冒頭のてるてる同様スクリーンのガラスをドンドンと叩き壊そうとする。 その様は、生きる意味って何だろうと考えながらも変わることは好まず、人に迎合し意志を持たず生きる屍のように生きる、現代の人々が重なる。
泣け、叫べ、息をしろ
そんな声が聴こえてくる。
どうか生き延びて、生きてさえいればきっとまた会える。どうか、どうかと祈るような歌声が響く。 美しき思い出、ごめんねオデッセイと(もっと言えばつじつま辺りから?)かなり力が入ってただけに秋田は若干力尽きたか音程の不安定さが垣間見えた。それでも最後の一音まで全身で音を届けようする姿勢は真摯で、豊川をはじめ他のメンバーも力が入る。 アウトロで膝をつきそうになるくらいギターに力を込めながら秋田はかき回し声を上げる。
ありがとう!(かき回す)
ありがとうございます!(もいっちょかき回す)
LiveTour2023 永遠市 東京!ガーデンシアター
ありがとうございました!!
秋田はいつものようにギターを置き颯爽と袖に消えていき、メンバーもステージを去る。終わってみるとやはり騒々しい無人という言葉がとてもしっくりきた。
感想
意外だったのはクレプトマニアとまっさらがセトリ落ちして、海洋生命が入っていたことだろうか。永遠なんてないと言いながら、一瞬の輝きのために残像として残ればいいと言いながら、それでも自分の歌が誰かの心の中へひとひらの勇気となって降り積もるように歌を届けてくれた。一生歌い続けるという言葉とともに。きっとそんな続く限りの永遠も願って「永遠市」と名付けたのだろう。居場所がないといえる居場所があるってかけがえのないことで、どこにもそんな場所がなければ口を噤むしかなくなり、言葉は奪われる。かつて武道館で実多がそうだったように。苦しいといえる、つらいといえる、大好きだといえる場所があること。それはきっととても幸せなことだ。
amazarashiの楽曲はあなたにとってどんな存在だろうか。ライフステージや自分を取り巻く環境ものも含めて響き方は変わる。出会いと別れを繰り返し、距離が出来てもきっと今の秋田ひろむならまた出会える瞬間が来ると思える。歌い続けてくれると信じられる。かつてのいつかもう満足したら消えてしまうのではないかという不安は過ぎ去った。頼もしくたくましくなったと思っていたら体調不良でツアーが延期になったりとこれからもきっと色々なことがあるだろう。それでも歌い続けてくれる限り、私の心にamazarashiの音楽が響く限り、足を運び続けたい。
ありがとう。ありがとう。大好きだよ。amazarashi。
次回、行けども行けども降り積む雪ばかり、タクシーが捕まらず遭難しかけた青森編に続く。
映像クリエイターさんまとめ
ファイナル後私が作りましたと告知してくれるクリエイターさんが沢山いたのでまとめてみました。
セットリスト
1.俯きヶ丘
2.インヒューマンエンパシー
3.下を向いて歩こう
4.ディザスター
5.14歳
6.無題(from Starlight)
7.つじつま合わせに生まれた僕等(2017)
8.スワイプ
9.君はまだ夏を知らない
10.月曜日
11.海洋生命
12.超新星
13.自由に向かって逃げろ
14.空に歌えば
15.美しき思い出
16.ごめんねオデッセイ
17.アンチノミー