amazarashi Acoustic Live「騒々しい無人」@東京ガーデンシアター 6/8 ライブレポート
6月8日木曜日。デビュー13周年となる6月9日の前日、有明でAcoustic LIVEが開催された。オンラインを除けば2017年「理論武装解除」以来約5年半ぶりである。前回はamazarashi”秋田ひろむ”名義、今回はamazarashi名義。何かを予感させる。
ライブ前〜冒頭
当日は雨が少し降っていたものの18時を過ぎ有明に着いた頃にはほぼあがっていた。湿度にベタつきを感じながら会場入り。今回は3F上手のバルコニー席だった。前にせり出した造りのためそれほどの距離は感じず、ステージや秋田の様子は表情まではわからないものの肉眼ではっきり認識できる位置だ。ステージは理論武装解除のときと同じく黒い幕が張られ、秋田の周囲を円柱状に取り囲んでいる。映像化が予定されているようで、ステージ前にはクレーンカメラを含めかなりの台数のカメラが設置されていた。既にナタリーからライブレポートが上がっているが、カメラマンのノモトさんの姿もあった。写真もあるので見て読んで貰えると長文レポートも楽しめると思う。
マスクなどの制限も外れ、満席の会場。19時を5分程過ぎた頃、照明が落ち、秋田ひろむが下手から登場。会場は割れんばかりの拍手に包まれる。ギター1本の弾き語り。8000人がステージ一点を見つめ、ただアコギを爪弾く音と優しく力強い秋田の声だけが会場に響き渡る。
ジュブナイル
LIVEツアーロストボーイズは迷える子ども達とかつて子どもだった人たちへと紡いだLIVEだったが、そこから旅立ち、背中を押すような1曲でスタート。amazarashiの楽曲は最近日常的に聴いていなかったからか、LIVEが恋しかったのか・・秋田の声を聴くなり涙で視界が歪む。秋田は一言ひとことを大切にゆったりと歌い上げる。裏声に抜けていく高音が何とも美しい。ラスト、”物語は始まったばかりだ”いつもよりも少し長い、伸びやかな声が会場を包む。LIVEの幕開けに相応しい1曲と言えるだろう。
ありがとうございます。
amazarashiの秋田ひろむです。
ありがとうございますの直後に拍手が広がり、秋田の名乗りはかき消されていた。
チューニングは短めにすぐ次の曲へ。
曲間や舞台転換のときはそこそこ時間が空くのがamazarashiの常だが、この日はかなり工夫されていて曲間が短く非常にスムーズだった。
たられば
秋田の足元に置かれた機材がシルエットを背後の紗幕に映し出す。歌詞は2フレーズを表示しては消えを繰り返していた。ギターと歌に力が入り秋田のシルエットは小さくなったり大きくなったりはみ出して消えたりと忙しない。
無い物ねだりの尽きない戯言としてポジティブな言葉が並ぶ。怒と哀を無くし喜と楽で生き、失敗も後悔もない自分の人生を生き直す。勿論成功だけで笑って生きていけることに越したことはない。でも知っているのだ。痛みの先に幸せが見つかることがあることも、光と影は表裏一体であることも。そしてすべてひっくるめて今の自分が自分自身であることも。たらればは、そんな自分の内面をあぶり出してくれる。
一つひとつ短いフレーズをゆっくりと、ウィスパーボイスに近いような秋田の語尾から息が漏れ、ため息にも似た切なさが漂う。後半ベースのように低く小さな音を刻みサビにかけてアコギをかき鳴らす様はもはやアカペラに近く、朗々とした秋田の声が会場を埋め尽くす。ただただその声の美しさに心が満たされていく。
ラスト、ギターヘッドから手を離しきゅっと音が鳴る。この音がとても好き。
少しのチューニングを経て秋田が話し始める。
今回も理論武装解除と同じスタイルで数曲ずつ話しながら進めるようだ。
MCはニュアンスです。
MC1
今日はせっかくなんで古い曲もやろうと考えてたんですけど…長くやってるとあんまり好きじゃなかった曲も好きになってきたりして…距離が離れた分見えてくることもあるのかなと思っています。次の曲もそういう曲です。
隅田川
秋田の背後で水面がゆらめき満開の花火が咲き誇る。amazarashiには数少ない、切なくまぶしい過去と今を揺蕩うラブソング。Youtubeに理論武装解除での弾き語り動画が公開されているが、今回の弾き語りと比べるとギターが柔らかくなったなというのと、より強く感情を込めるようになり変化を感じた。かなりゆっくりとした演奏で言葉一つひとつへ込める感情が重い分、遅すぎるのか高音が少々苦しそうだった。時の流れと共によりラブソングよりも過去としての想い出の美しさや懐かしさが際立つようになった。”明日また会える””いつでも会える”それがどれだけ貴重で大切か、”あの時こうすればよかった”と後になって気づく。そして取り戻せない日々を憂いては胸が締め付けられる。大サビの前の休符で大輪の花火が舞い上がり、自分の過去のしがらみや日常の小さな悩みもその歌声に溶けていくようだった。
理論武装解除の弾き語りver
MC2
ありがとうございます。
去年七号線ロストボーイズていうアルバム出したんですけど、ロストボーイてのは迷子って意味で…みんな大抵の人は繰り返しの毎日を生きていて、昔のわいだったらそこから抜け出せとか言ってたと思うんですけど、今のわいはそういう繰り返しの毎日を肯定したいって思いがあって、あのアルバムを作りました。それでわいも色々ね…体壊したり迷子だったんですけど、地元の友達に会ってそう思ったんですよ。それで高校時代を思い出して作った曲です。
チューニングの間やMC前後で咳払いがよく聞こえたので喉の調子が完全ではなかったのかもしれない。ただ喋り始めたあと再びチューニングし始め、下を向きマイクから少し遠いまま話を再開する新しいパターン。笑。太字は萌えポイントです。笑。雑談しているような口調がよかった。
ロストボーイズ
いい声だなぁ・・
一言で言ってしまえば感想はこれに尽きる。
とはいえそれではレポートにならないので続けるが、ロストボーイズツアーでは正面の幕が透過されamazarashiがついに観客の前に姿を表した!と衝撃と混乱と歓喜を与えた1曲である。笑。バンドverは秋田はギターに手を起き歌い上げ、井手上誠の恍惚としたギターに痺れる。CDverはまさに出羽ざらしといった雰囲気でノスタルジックに美しく仕上がっている。そして弾き語りになるともう一度その姿を変え、追憶と思慕、過去の自分、それを聴いている私達の過去までひっくるめて抱きしめ肯定し、背中を支えてくれるような温かさに包まれる。amazarashiの軸となる秋田ひろむの楽曲と歌唱が、ギター1本でこれだけ人を引き込むからこそ、バンドやCDアレンジのよさも際立つのだと断言出来る。
個人的にとてもよかったなと思ったのは、MCを挟んだが隅田川とロストボーイズが続いたこと。中高生時代、恋もしただろうし友達と馬鹿話で盛り上がったりもしただろう。青春の1ページを見ているようでくすぐったい。(青春とひとくくりにされることを秋田は嫌がりそうではあるが)そして青春の日々と割り切れない痛みだってあったはずだ。柔らかいオレンジの光もあったと思うが、ツアー同様真っ赤なライトも使われており、流した血の赤のように思えてならなかった。
人生はきっといつだってこの繰り返し。
大人も子どもも人生に迷いはつきものだ。
大人の方が闇に隠すのがうまくなるからこそ、立ち直るのが難しい。あんたへの青年が積み木で遊ぶ少年期の自分に救われたように、闇に押し込めた過去の少年少女と大人は表裏一体なのかもしれない。音の美しさや言葉の表現力、秋田の声の優しさが心に沁みいりほどけていく。
この切なくも温かな空気をまとって続いたのは予想外の選曲。
リビングデッド
リビングデッドを弾き語りで披露するとは思わなかった。冒頭のリズムをベースのように低いピッキングで音を刻みぞわぞわと生と死の間へ誘う。秋田は低音の音が取りづらそうだったが、Bメロに入ると調子を取り戻していた。リビングデッドはバンドサウンドでは盛り上がる1曲であり、赤や青などパキッとしたライティングのイメージが強い。が、今回は色を無くし死生観を強く表現したような白黒の世界。背面の紗幕には鎖で縛り付けられるように鎖に囲まれた歌詞が投影され、ステージからは客席へと白のライトが注がれる。最初は暗い客席に数本の光が射し当たった場所が丸く照らされた。下手側で黒いカーテンが照らされマジックでも始まりそうな雰囲気だ。NOMORE映画泥棒をイメージしてもらいたい。笑。曲が進むごとに光の本数は増え、ステージと共に客席までもが光の鎖に縛られる。この日の演出で一番美しかったのはさくらだが、個人的に目を引いたのはリビングデッドだった。
くそくらえのあと静寂が訪れるところは、弾き語りならではの余韻が広がりその後のサビの盛り上がりに鳥肌が立った。
いつもは確実に”騒々しい”演奏が魅力であるこの曲。秋田以外”無人”で色を失くした世界はよりリビング”デッド”感が強く伝わる。ゆったりとしたスピードで低音から中音域で歌いながら屍達を鼓舞する様は生への渇望がより生々しい温度を伴って伝わってくる。
MC3
自分が生きてる屍みたいとか、わいにとっては自然なことだったんですけど、でもまあそんな受け入れられないだろうって思ってて…でもいまではわかるんですよ。世界中に共感してくれる人たちがいるってこと。そう思うようになったきっかけの曲です。
僕が死のうと思ったのは
はーー泣くて。
中島美嘉への楽曲提供だけでなく韓国のアーティストからも愛され幾度もカバーされているこの曲。隅田川の前に秋田が自分では好きではなかった楽曲がだんだん好きになったと語ったが、この楽曲もそうで周りに愛されることで好きになっていったと理論武装解除でも語っていた。
秋田の左右にはカルマでよく使われたトーチに炎がゆらめいている(曲終わりに合わせて消えるはずが向かって左側が勢いよく全然消えなくて涙が引っ込んだ。笑)紗幕には歌詞の漢字だけを抜き取り浮かび上がらせる。冒頭「僕」「死」と表示されたのを見てニヤリとしたファンも多かっただろう。今回は作り込まれた映像や新しく変わったものもあったが、アコースティックだけに全体的にはシンプルな演出が多かったように思う。
バンドサウンドになると終盤にかけてかなり演奏が激しくなるが、この日は弾き語り。死生観を帯びつつも生へしがみついたリビングデッド。死に場所を探すということは即ち生きる場所を探すことだと秋田自身語っているが、僕死の世界は暗くてもそこに閉塞感はなく寂しさや絶望の先に光が灯る。自分にとって当たり前でただ自分のために歌い続けた秋田ひろむ。楽曲が受け入れられ広がり愛されそしてまた秋田自身もそれを受け入れ繋がっていく。
きっと誰しも心の中に負の感情や過去が存在していて、大人になればなるほどその感情を飲み込むのがうまくなる。何でもない振りをする。それは一種の諦め”であり、そういうものだ”と受け入れることであり、かつて苦しんだからこその成れの果てともいえる。そんなうちに秘めた想いに秋田は優しい光を与えるのだ。その負の感情ごと受け入れ肯定する。一つの希望があればいい、あなたに出会えたからこの世界を生きていくよと。光と影は表裏一体。光が射せば影ができ、影があるからこそ光は一層輝きを放つ。
ラスト、秋田はギターに手をおき、アカペラで歌う。会場を埋め尽くした8000人の目と耳、心、全身が秋田だけを見つめ、その声が会場に響き渡る。きっと多くの人が思っていたことだろう。”あなたの歌があるから生きていける”と。。
その思いは拍手の雨となって秋田に降り注いだ。
チューニングから音が大きくなり
光、再考・・!
と思いきやワンフレーズのみで季節へ繋がる。
最近この傾向が多いが、かつてワンルーム叙事詩とセットで歌われた奇跡が徐々に歌われなくなったことを思い出す。曲数の関係もあるとは思うが、光再考も季節の前口上と化してしまうのだろうか。amazarashi始まりの一曲。ぜひ季節の前座から再度独立を目指していただきたい。笑。
季節は次々死んでいく
これも背面は文字を中心とした演出。前半は漢字が表示されてはボロボロと下に崩壊し、後半は上に昇華したものだったように思う。漢字が分解されることで成り立ちがよくわかる映像で面白かった。このあたりから照明が激しくなり客席に強い光が回るように直撃し目潰し攻撃開始。笑。
リビングデッド→僕死と続き、季節の死から生き返る。ここの死から生へのストーリーの描き方が秀逸だ。歌い慣れているせいか秋田の声も安定していて聴きやすい。
のたうち回った過去と絶縁したくてもそんな過去も自分であるからこそ悩み苦しむ。抱えきれず自分が息絶えても光射さずともせめて歌だけでも残ればと。死体に花が咲き風でいいから届けばと。そんな中盤からラストにかけ生へと歩き出す。生きる意味、存在する意味、そこで思い悩むな歩みを止めるな。意味などあとから答え合わせして笑えればいい。そんなふうに死にかけていた季節が息を吹き返していく。
最後どうせ花は散りを後世花は咲きと咲いたまま輪廻に戻ってたけどそこはあの文字量ならご愛嬌。笑。死の寂しさを歌っても美しいが、生に向かい導く光が年々増していくなと改めて思う。
MC4
感動の↑(唐突になまり関東に聞こえて旅の小話が始まるかと思ったw)根本にあるものって何かなってよく考えるんですけど、例えば、、例えばーーハッピーエンドの物語に感動するとして、そのエンディングだけ見て感動するんじゃないと思うんですよ。そこに至るまでの…いろんなね、葛藤とか苦しみとか乗り越えるから感動するんじゃないかなと思って・・だから人間の共通言語って痛みなんじゃないかっていうわいの仮設です。
最後強引!笑
カシオピア係留所
チ。とのコラボで描き下ろしされた一曲。ステージには満点の星空がカラフルに瞬く。音源は声にハモリやエフェクトがかかったりドラムの音が心地よく心ときめくアレンジになっているが、弾き語りはとてもシンプルだ。だからこそ力を込めて歌う言葉から切なさ、優しさ、ぬくもり、そして大きな熱量が真っ直ぐと流れこむ。痛みを共通言語としたからか辛いを痛いと表現していたのが印象的だった。
終盤、”でも本当は⤵”と音源ではフラットな部分が感情を込めて弧を描くように降りてきていたのがとてもよかった。
さて余談だが、共通言語といえば高橋優「福笑い」が思い浮かぶ。高橋優も人見知りで負の感情が皮肉となって楽曲に綻ぶことはあるがどちらかというと前向きで人と繋がる楽曲が多い。似たような性格でもベクトルが外と繋がることで人との共感を見出した福笑い。内へと向かい葛藤、苦悩、痛みを人との共通項として見出したカシオピア係留所。このベクトルの違いがamazarashiと高橋優の違いなのかもしれない。どちらも自分の中に重ねられる部分があり、描き方の違いが面白いなとふと思った。
レポに戻ろう。
チューニングからのアルペジオ、1本足りなかったのか1音加えて弾き直していた。
そういう人になりたいぜ
いやだから泣くて。。
何年か前の弾き語り動画がYoutubeに上がっているが、それとはイントロの入り方が違い、CD音源のピアノ演奏に寄せているように感じた。
動画を見ながらどうぞ
amazarashi珠玉のラブソング。自分と向き合いこだわり、所謂協調性があるタイプではないだろう秋田を支えてくれた人々に手向けられた曲。きっと恋も愛も友情もすべて包括した歌なのだろう。感謝をしながらも”僕はいつまでたっても馬鹿野郎、僕の幸せは君の幸せではないんだ”と大切にしたいと思いながらも譲れない葛藤が描かれる。その譲れなさが原因で別れもあっただろう。ただ温かいだけではない、やはり秋田の言うとおり共通言語は”痛み”だ。痛みの上に立っているからこそ、その温みに涙があふれるのだろう。
秋田のポツポツと語るような言葉が胸にトスンと刺さってたまらない。
この曲を聴いていると地方都市のメメントモリに収録された”リタ”が思い出される。あれは利己主義の自分と利他主義の恋人の別れを描いたものだった。献身的に支えてくれた人であっても何かを選び何かを捨てるのならと別れを選んだ物語。全体を通して手放さざるを得ない後悔が溢れ、”君みたいになりたい”と歌う。その愛を分かっていながらも相手だけを選び取れない。自分の本質はそれ程変わっていないことが窺い知れる。きっとその時よりは人と繋がり感謝し関係を大切に出来るようになった。でも”人にとって大事なものが1個なら君だとは断言できない”のが自分なのだ。そしてそんな自分を受け入れ肯定し見守ってくれる人がいる。そうして今の秋田ひろむがあり、歌に魂を吹き込むことで多くの人の心へ届く。秋田の声は終始優しく慈しみ語りかけるようだ。
こんな風に想ってくれる人がたった1人でもいたら、例えいなくてもこんな風に歌ってくれる人がいるだけで、どれだけ幸せなことだろう。ありがとうという感謝の言葉の代わりに拍手の洪水がステージへと向かう。
しばしの間、ピアノの音が響く。
ひろ
下手後方が少しせり上がり豊川真奈美の姿が照らされる。いつもとは違うピアノに見えたのは距離があったからだろうか(鍵数が少なそうに見えた)秋田は豊川のピアノに身を委ねギターから手を離し、祈るようなポーズで丁寧に優しく感情を込めて歌い上げる。手持ち無沙汰になり後ろに回してみたり前にしたりもぞもぞと動いていた。笑。それまでかなりゆったり目に歌っていた秋田だったが豊川の存在の安心感からか序盤は若干走り気味だったように思う。
ひろは未来になれなかったすべての夜に、メッセージボトル、千分の一夜物語等自分と切っても切り離せない原点を紡ぐ際必ずといっていいほど歌われてきた楽曲だ。秋田にとって若くして失った大切な友は格別な存在なのだろう。ステージに一緒に立てなくても自分の一部としてストーリーを描く。豊川のピアノは切なげで優しく、コーラスは秋田の低音を取り男前な歌声で支える。
これからも夢の先で困難と向き合う時もあるだろう。でもその一つひとつが秋田を強くし、信頼出来る大切な人と共に歩み続けていってくれることだろう。長い長い拍手が会場に響いた。
帰ってこいよ
リリックビデオともボイコットツアーとも違う映像で、青森の風景がワンシーンごとに切り替わる。リリックは文章というより単語が時折浮かんでいた。青森ベイブリッジに”故郷”の文字が表示されていたのと、アスパムの風景が印象的だった。また横浜町やむつなのか漁港のシーンが多く、”今年も花が咲いたよ”の所では菜の花が写っていたように思う。より歌詞の世界をそのまま表現したような作りで青森の様々なブルーを切り取った世界だ。音源だとシンバルやドラムの繊細な音も魅力的な一曲だが、豊川のピアノが低音域から高音まで駆け回りながらどっしりと支え、ツインボーカルに近い強いコーラスで秋田の数音下や上の音を重ね、厚みを持たせる。秋田の声は優しく力強くそして感情的だ。まるで過去の自分に言い聞かせるようにサビでは声を張り上げ、心に突き刺さる。
リリックビデオ見ながらどうぞ
孤独と闘い、絶望から光へと手を伸ばし歩み続けてきたamazarashi。僕らは雨曝しだがそれでもと歌い続けることを諦めなかった地続きの物語。ここでは、そんな日々を振り返りながら同じような苦しみの中にいる人々へと手を差し伸べる。
暗いとか負け犬だとかそんな弱さをはらんだamazarashiは鳴りを潜め、今、想いを重ねる人々にエールを送る。
特に地元を離れ生活する人や孤独を抱えるとっては言いようのない感情が胸の奥から涙となって溢れてくるのではないか。”言葉で抱きしめている”この歌を一言で表現するのなら、私はこの言葉を選びたい。
MC5
次の曲は、、アマチュア時代によくやってた歌で…カフェとか居酒屋とか路上ライブとかでよく2人でやってた曲です。こんな風にあまざらし始まったんだなって思っていただければ、東京行って挫折した時のことを書いた歌なんですよ。こんなにたくさんお客さんが来てくれて皆さんの前で歌えて…あの頃の夢を今生きてます。さくら。
さくら
こんなん泣くなというのが無理でしょう。笑
秋田と豊川が優しく照らされ紗幕にはピンクのさくらの花びらがひらひらと舞う。終演後にもらったセットリストのポストカードには出典があまざらし名義で行われた千分の一夜スターライトになっているのがまたにくい。この千分の一夜は豊川復活のライブだったと記憶している。その前のツアー夕日信仰ヒガシズムとあんたへは、山本健太氏がサポートしていた。千分の一夜の音源を改めて聴いてみたが、比べると秋田の感情が本当によく前に出てくるようになったことが分かる。2015年当時は滑舌よく言葉が伝わるように気を使っているように感じた。言葉の一つひとつは千分の一夜の方が優しくはっきりとしていて聴き取りやすい。今の秋田は自分も周りも観客も一部として受け入れ、自分をさらけ出せるようになったのかもしれない。
サビでは豊川が今までにないハモリを魅せる。
これまで低音でのコーラスが続いたが、秋田のあとから”あーあ⤵あ⤴あーああー”と透明感のある美しい声で追いかける。東京で挫折し描いた歌を青森に戻って1人になりやがて豊川と共に始まったあまざらし。そんな軌跡を思いながらステージには桜が舞い散り、2人が音と声を重ねる。かつて破れた夢は形を変え、今に至り、これから先へと続いていく。
”ひろ”を失い、東京で挫折した日々、今では帰ってこいよのように光を与えるようにまでなったamazarashi。その原風景を紡ぐさくら。
終盤はさくらが強く色づき舞う様は花吹雪のようで、この日一番の美しさ。秋田は時折豊川の方を向き、ピアノのリズムに頷きながらギターを奏で歌っていた。失った人も時間も戻らない。生きている限り進んでいくしかない。切なさ、痛み、悔しさ、その上に立った今の幸せ・・一言では言い表せない日々の連なりが、歴史が秋田の最後のあーああー!!に込められていたような気がした。
チューニング音が響き、ステージ上から聴こえる音が増える。前回の理論武装解除では秋田ひろむ以外豊川しか登場ぜず、バンドメンバーは観客として見に来ていた。スポットライトが当たる。下手から中村武文、井手上誠、橋谷田真、ロックバンドamazarashiがそこにいた。豊川と同じくステージは1段せり上がり秋田以外が横1列に並ぶ。皆椅子に座り、中村と井手上は足を組んだアコースティックスタイルだ。橋谷田真はドラムではなくカホンを置き、パーカスとして登場。
理論武装解除はamazarashi秋田ひろむ名義だったが、今回は秋田ひろむ名義ではない。タイトルが騒々しい無人、伏線をここで回収してきた。
馬鹿騒ぎはもう終わり
秋田1人の弾き語りからあまざらしへそして今のamazarashiへ姿を変える。少しずつ音数を増やしながら、アコースティックを大切にして優しく穏やかに。やがて徐々に賑やさが増していく。心地良い低音のベース、艷やかな高音が美しいガットギター(かな?)、パーカスはツリーチャイムのシャララという華やかな音から低音まで普段と違う音の味わいに心が踊る。東京ガーデンシアターは収容人数8000人を誇る大きなホールである。2回の延期後何とか実現したボイコットツアー、コロナの影響もあり空席が目立った初日、その後回数を重ねる毎に徐々に埋まっていき、次のロストボーイズツアーでは多くの人が足を運んだ。そして、マスクや検温の制限も外れた今回、会場は満席だ。時代に翻弄された狂騒劇、amazarashiとして演奏するに相応しい選曲だったように思う。
秋田はメンバーが揃うとやはり安心したのか肩の力が抜けたようでリラックスした優しい歌声。歌詞の鮮烈さと反比例するようにサビ以外では淡々とした様子でうちに秘めた炎を燃やす。後半、井手上のギターソロでは秋田は後ろを向き音の行方を見守っていた。
それぞれの人生に戻るの
秋田と豊川のユニゾンが美しい。現実に引き戻され、別れを示唆するような一抹の寂しさがよぎる。
秋田のアルペジオから聞き慣れないピアノが響く。
スワイプ
横浜流星主演映画「ヴィレッジ」とコラボした新曲がここで登場。紗幕には時折歌詞の情景が映し出されながら、秋田から発せられる大量の言葉が記事のように流れていく。ステージからは強い光が客席を一周するように放たれ、目潰し攻撃に合う。笑。その様はさながら警察に取り調べを受けてライトを向けられるドラマのワンシーンのような、お前達はどうなんだと挑戦的にも思える光だ。
先の見えない絶望の日々、凄惨な事件、日々流れていくのは当事者達にとって切実な世界。ひと時ニュースとなり話題になっても情報飽和時代、日々淘汰され次の瞬間にはスワイプされ忘れ去られていく。この現代のスピードと報われなさ、閉塞感が秋田の時に淡々と無気力な、時に切実な歌声からやりきれない感情が伝わる。いつものロックバンドらしい激しさよりもリズムを刻むベース、線の細い独特なメロディーを描くギターアレンジ、パーカス(コンガかジャンベ?→ジャンベらしい)の音の混ざり合いが混沌とした世界を表現する。豊川のオクターブ上のユニゾンが美しく希望が見え隠れするが、希望はその手からすり抜けていく。
スワイプのサビは(不景気な〜暮れるまでをサビとして)最初から最後まで韻を踏んだ同じ言葉が繰り返される。それはまるでどれだけ大きなイシューであっても当事者以外にとっては同じもの、一度スワイプされてしまえば記憶の彼方と言っているようだった。
印象的だったフレーズはここだ。
次に続く不景気な〜は秋田が歌わず豊川が歌いあとから秋田が入ってくる。また、この泥沼〜の部分は音の運び、怒りややりきれなさを訴えるようにがなる部分がぼくら対せかいを思い起こさせる。
スワイプもまたぼくら対せかいのストーリー、やはり地続きなのだろう。
井手上のギターはエレアコだったように思うが、いつものように飛び跳ねたり縦の動きが出来ないからか左右に体を振り回す。座っていてもせわしない。笑。ラストはディレイエフェクターだろうか、歪んだ不協和音を会場に響かせフィニッシュ。不穏な空気感をまとったまま途切れることで、スワイプの報われなさが会場を支配した。
SONYの音響を味わえる新しいスワイプのMVがちょうど公開になったので置いておく。長文の箸休めにどうぞ(流星くん包丁ぶん回して重いけどw)
MC6
ありがとうございます。あと2曲で終わりです。
今新曲を作ってるんですが、苦戦してます…うーん、、今日なんかヒントもらえればいいなと思ったんですけど、、そういうのは終わってから分かるんで。また・・・頑張ってみんなでライブやれたら嬉しいです(拍手)夕立旅立ち
夕立旅立ち
“みんな”って演奏する側と鑑賞する側じゃなく1つのものとして輪に入れてくれた感じがしてとても嬉しかった。あれだけハッキリとしていた境界線はここまで踏み込んでくれるようになったのかと10数年の月日を思ってしまった。逃走経路探してライブやってたのにね。笑。
さて、、スワイプで絶望に叩き落とされた次に待っていたのは寒い寒い冬の青森の雪解けのような温かな光。井手上はマンドリンのような三味線のような高音の明るい音を響かせる。その手にはバンジョー。前回の理論武装解除では豊川と2人息を合わせてのあまざらしでの演奏だったが、今度は5人でカントリー調の世界をより華やかに軽やかにまるで草原にいるような音の広がりを魅せながら楽しげに奏でる。ステージからは再び強い光が放たれ目潰し攻撃に合うが(笑)今度はカラフルな世界。
うまくいかないこともあるだろう。立ち止まることも痛みに涙することも。それでも立ち直れないと思っても歩み続けた先でまた光が見えることもある。過ぎ去れば痛みすら思い出に変わり、そんなこともあったなと最後に笑えればいい。逃げていい。さあ行こう、きっと希望は見つかるよと笑顔で手を振り導いてくれるかのような明るさ。
スワイプの色彩のなさや孤独が北風と太陽のように塗り替えられていく。本当に同じ人が作ってるんですか?同じ人が演奏してるんですか?と問いただしたい。笑。
なんと言っても終演後話題をさらっていたのは、井手上誠のバンジョーだ。津軽三味線のような艷やかな音が放つ多幸感がたまらない。秋田はギター1本の弾き語りでこのAcoustic Liveを始め、豊川とあまざらしに戻り、今のamazarashiになり、そしてこれからも新しいことに挑戦しながら歩いていくから期待してろよと言わんばかりのアレンジだ。東京で挫折し青森に帰った時の絶望感や孤独は今もどこかで秋田の胸の奥にあり続けるのだろうが、それでも今の幸せを噛みしめるようにメンバーへと向き合い視線を送り音を重ねる。アウトロは皆でアイコンタクトをしながら音を合わせる。明るいamazarashiの世界もいいなと思わせてくれる時間だった。
ここで4人はステージを降り、再び1人になった秋田が最後の言葉を届ける。
MC7
ありがとうございます。
皆さんにとってamazarashiは沢山の中の1アーティストかもしれないですけど、わいにとっては勿論人生で。皆さんの人生とわいの人生がたまーーに交わるのがライブだと思っています。また・・次・・っていっても、、ね、今年じゃなくても来年じゃなくても10年後でも20・・年後でもいいんで、、また会えるのを楽しみにしています。それまで・・生き延びてください。
こっちにとっても人生ですが!?!笑。
ここ数年は”生きて会いましょう”が秋田の定番だったように思うが、今回は”生き延びて”と口にした。それはアンチノミーに繋げるためとも思うが、ライブを開催できるかどうかというフェーズを脱したという意味にも取れた。ライブに足繁く通うことが出来る人もいればそうでもないひともいる。活動期間が長くなればファンも歳を重ねライフステージも変わっていくものだ。多くの人にむけて、amazarashiはずっと歌い続けるから、いつになってもいい、会いに来てねと。お互い生きてさえいればきっと交わる日が来るはずだから。10年は想像できるけど20年先60過ぎたamazarashiはどんな姿でどんな言葉を紡いでいるだろう。それは生き延びて人生が交わるときまでのお楽しみ、といったところか。
アンチノミー
ラストはニーアオートマタとのコラボ曲、アンチノミーである。理論武装解除の時と同様後ろの紗幕は取り払われステージ上のライトがすべてつき明るいステージに秋田が1人で立つ。序盤の少し緊張感を纏った雰囲気はいつの間にか柔らかくなりとても穏やかに見えた。仲間との時間がそうさせたのだろう。
〜ないでくだいとそれに続くフレーズがパラドックスとなり繰り返される。感情を持つこと、選択すること、知性を持つこと、それをするなという。機械としてのバグなのか人として当然のものなのか、何が機械で何が人であるのか一体自分はどうあるべきなのか、そんな疑問を投げかける。勿論ニーアオートマタの世界を表現しているのだろうが、対象を人間として普遍的に捉えることも出来る。ChatGPTしかりRPAしかりAIで事足りるシーンが増え、何なら人よりずっと人間らしい回答をしてくることだってある。そんな中で人間でないといけないものとは何なのか自問自答を繰り返す。対人としていうなら、あなたのためと言ってレールを敷いたりルールを強いたりする人、こうであるべきという社会通念、理想と異なる自分へのフラストレーション。一体何が正しいのか時折分からなくなる。だからこそ秋田は歌う。
意味を捨て 意志を取れ 生き延びて
生きる意味ってなんだろう。
なんのためにここにいるのだろう。
そう思い悩むよりも、生きようとする心を大切に、生きたいと思うもののために生きよう。その理由がなんであってもいい、どうか生き延びて欲しい。amazarashiは歌い、音楽を奏で続ける。あなたの歩いていく道が、ほんの少しでも歩きやすくなるようにほのかな光を照らしてくれる。時に隣に寄り添い、時にその手を引っ張ってくれる。もう自分には必要ないと別れがくる人だっているだろう。それならそれで構わない。一度の別れが永遠の別れになるかもしれないし、別れが来てもまたどこかで交わるかもしれない。どんな未来であれそれを否定することはない。ただまた会えたら嬉しいと言ってくれる。
秋田は一音一音に最後の想いを注ぐように感情を込め力強く歌う。声が上ずるシーンも何度かあったか最後まで魂を歌に込めて会場へと飛ばす。最後は全体を見渡し、大きな声でありがとうございました!!amazarashiでした!!と口にした。amazarashiの秋田ひろむとして始まり、amazarashiとして帰っていく。これが理論武装解除と違い、秋田ひろむ名義ではなかった所以だろう。前回は豊川の登場について触れたが今回は紹介どころか一言も触れなかった。それはもう秋田ひろむも豊川真奈美もバンドメンバーも皆"amazarashiの一部だから"と言っているようだった。
まとめと感想
全編を通して、低音・高音が苦しそうな場面があったものの、終始感情豊かな歌声だった。ギター1本で色々な表情を描き魅了してくれ、豊川のピアノやコーラス、バンドメンバーの演奏も素晴らしかった。ライブの構成はまさに”騒々しい無人”というタイトルにぴったりだ。バンド登場が馬鹿騒ぎという辺りがまたよかったし、スワイプの暗さから明るい夕立旅立ちの流れも塗り絵のように色が描き換わっていくようで面白かった。
秋田はトークをしながら考え込んだり、〜なんですよと会話調になったりと以前よりずっとくだけた印象を受ける。気を許してる感というのかな。お客さんが沢山来てくれたこと、人生の束の間の交わりをこれからも待っていてくれることから見てもファンの想いはしっかりと届いているのだと実感させてくれた。
あと個人的によかったのは秋田の後ろに置かれた二本の集音マイク。紗幕に照らされ草原にポツンと立つツクシのような秋田少年のような雰囲気を醸し出していた。最後ライトアップした後後ろのスペースが大きく想像以上に秋田の近くにあったんだなとちょっと笑ってしまった。
新譜に悩んでいると言っていたが、何か掴めただろうか。少し時間が空いてもいい。じっくりと向き合って納得の行く楽曲を世に出して欲しい。ライブもこまめにやって欲しいのが正直な所だが、どんなペースでもamazarashiが歌い続けてくれるなら、可能な限り足を運びたいと思うし、その度に長文で(←)愛を叫んでいきたい。
どうか生き延びて、歌い続けて、歩み続けて、空高く羽ばたき、多くの人に届きますように。これからもamazarashiが描く音の世界が末永く続いていきますように。
素敵なライブをありがとう。
また会いましょう。
橋谷田真さんのツイッターより(掲載許可済)
曲中ポコポコと小気味よい音が響いていたのは右側のジャンベらしい。カホンのリズムも心地よくシンバルを手で叩いたり普段のライブでのドラマーとしてのかっこよさとはまた違った魅力で盛り上げてくれていた。時折歌を口ずさむ様子が楽しげでよかった。ぜひまたやって欲しい。
セットリスト
クジはB賞が当たった
バッジが100個あったがライブは100回を越えているらしい。もっと大々的に宣伝していきましょう!
さくらの出典が千分の一夜だったのでおまけ。
千分の一夜のセットリスト
読んでくれた方、ありがとう。
長文読破、お疲れ様でした。笑
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