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amazarashi Acoustic Live Tour「騒々しい無人」2024@東京ガーデンシアター(11/12) ライブレポート

終演後の僕のベストライフリリースと横浜アリーナライブ告知

10/1大阪を皮切りにスタートした、Acoustic Live Tour騒々しい無人2024が、11月12日東京ガーデンシアターにて短い幕を閉じた。福岡で15周年何かやるかもと話していた通り、最終曲終了後は突如秋田が拡声器を持ってポエトリーリーディングから歌唱に入る映像が流れ、2025年4月29日、電脳演奏監視空間「ゴースト」@横浜アリーナの開催が告知され大きな歓声があがった。2018年に開催された新言語秩序の続編で、amazarashiとしては最大規模のライブ開催であり、今からとても楽しみだ。Skream!の紹介記事
そして終演後セットリストのポストカードと同時に渡されたのは「僕のベストライフ」デジタルシングルを翌11月13日リリースする内容。一見優しそうなタイトルだがとんでもない。

独り言のように低く冷たいポエトリーリーディングには昨今の楽曲に多くあった過去もすべて許容し肯定する温もりはなく負の言葉が続く。僕の生き方、そして死に方。マジョリティとマイノリティの対比という言葉では割り切れない葛藤と対立が描かれ、サビでは「僕は大嫌い」という負の言葉と「君のベストライフ」という陽の言葉を繰り返し、光と影が濃くなりやがてすべてを飲み込むようなディストピア感を強く演出する。コンセプトライブの狼煙を上げるにふさわしいインパクトの強い一曲といえるだろう。そしてこの曲を聴く前と後とでは久しぶりにセットリストに入った曲の印象も変わってくるという心にくい演出になっている。では騒々しい無人2024を振り返っていこう。最後に公式画像と映像クリエイター紹介もまとめてあるよ。

仙台・名古屋編はこちらから                                                             


ツアーの振り返りと座席

今回は全国五か所のみでの開催。私が行った仙台で2000人、名古屋で3000人キャパから考えると東京ガーデンシアターは8000人規模でかなり大きい。普段のバンドスタイルでのツアー時はそれほど意識しないが(割と座席運がいいせいもある)、弾き語りとなると、もう少し傾斜のある見やすい会場で見たいというのが正直な所だ。というのも、有明はアリーナがほぼフラットで傾斜がなく背の高い人が前に座ると小柄な人は視界を奪われ、大型の照明もついているためバルコニーからは場所が悪いと見切れたりと相性があまりよくない。そういう意味では理論武装解除をやった舞浜のアンフィシアターは劇場だけにすり鉢上になっており、どこからでも見やすい作りでよかった。

前回会場の大きさが気にならなかったのに今回気になったのは、座席の位置だ。前回はかなり前の方(いわゆるオーケストラピット部分)で目の前のステージしか見ていないため気にならなかったが、今回アリーナ後方で全体を見渡してみると、会場の大きさが強く印象に残った。あと紗幕に投影している光も視界に入り、前とは違った景色が広がる。3回目でセトリも分かっているし、映像演出も大体雰囲気はつかめているはずなのに、始まってみれば「こんなんだっけ??」の連続である。笑。今回のツアーも含め前回の騒々しい無人がバルコニー席だったことを除けば(ガーデンシアターではアタリの席だが)幸運にも比較的前方が多かった。想像以上に自分がステージの中ばかり見ていて、全体が視界に入っていないことがよく分かった。後ろで見るのもたまにはいいなあと思いながら、じゃあ前を捨てて後ろをとるかといわれると前に行きたいし、やはりamazarashiのライブで座席はなかなか悩ましい問題だ。

アンチノミー

平日開催ということもあり、ギリギリに入ってくるスーツ姿の人もチラホラする中、開演時間を少し過ぎた所で照明が落ち、秋田を大きな拍手で迎える。下手からゆっくりとステージに向かって歩いてきた秋田はギターに腕を通し、上の方を見上げた。他の会場よりも秋田が明るく照らされているのが分かる。準備に取り掛かる秋田をここまでじっくり見たのは3回目で初めてだった。撮影部隊が入り中央や前方に機材が置かれ、ステージ横にはクレーン車も配置されている。行けなかった人は映像化をお楽しみに。地方の狭さや温かさとは違った、8000人が集う縦にも横にも大きな会場。全員の視線はステージの一点を見つめる。プレッシャーもあるだろう、チューニングにゆったりと時間を使い、秋田は一つひとつの言葉を丁寧に表現しながら、歌へ感情を注いでいく。

地震か事故かで分断された道路や廃墟の色を失った線画が紗幕に広がる。前にいるとあまり感じないが、後ろに下がると気づくのは紗幕のデカさである。地方とは全くサイズ感の違う巨大な幕に驚きつつも、歌詞が出ては、漢字が大きく表示される様が印象的だ。特に「世界」「証左」の文字が画面に広がる様は、退廃的な雰囲気を加速させとてもよかった。後半、映像は色を取り戻した実写になるが、廃墟や分断された道路からは線画よりも虚無感が強く伝わる。「生き延びて息をするんだ」と呼びかけながら、「すぐ帰る」が遺言となり、この場所で朽ちていった命を思わせる。

屍として生きる、感情を殺して生きるということは、それに至るまでに傷ついてきたからであり、きっとそれが自分を守る手段であったはずだ。積み重なれば自分が感情豊かな人間であったことも忘れてしまう。色を失った世界を生き続ける人々へ「人として憤れ」と歌うその声は、”生きろ”という言葉に聞こえてくる。秋田は途中マイクから一歩下がりアコギをかき鳴らす。スナフキンのような姿でとてもかっこよかったので、ぜひ映像でまた見たい。ラストのサビである涙声離せないの声がとても優しい。最後は「amazarashiの秋田です」と告げて東京ファイナルのライブがついに幕を明けた。

エンディングテーマ

エンディングテーマは、2016年1月からスタートしたツアー世界分岐二〇一六で、唯一演奏された楽曲である。5周年記念のツアーということもあり、かなり異例のツアーであったことを覚えている。東京2DAYSと中野追加公演前、つまりツアー中にアルバム世界収束二一一六をリリースしたことで東京からセトリが入れ替わり、映像化された中野サンプラザ追加公演に至ってはライブ終盤にやっていた収束を頭にもってきてセトリの順番を大幅に変えるという・・暴挙に出た。笑。ツアー終了後数か月で映像がリリースされたが、8年経っているだけに今見ると秋田の歌声が幾分若いのが分かる。そして今の方がずっと感情表現が自由になったように思う。

秋田に青い光が当たる。それは流してきた涙か、空の青さか。映像は秋田の回りにかぶらないよう左右に横断歩道のような白線に黒字の歌詞が映りエンドロールのように上にあがっていくが、後半は縦に変わる。「生きて」の文字が中央に大きく表示されていたのが強く印象に残っている。エンディングテーマ、それは自分が生きた証だ。

さて、なぜ今エンディングテーマなのか。ライブが始まって2曲目に「僕が死んだら」と歌われるこっちの身になって欲しい。辞めるのか?いやあんたロストボーイズや永遠市ツアーで散々一生歌い続けるとか言ってたのにと言いたくなる訳だが(笑)それでもここに置いた理由があるのだろう。永遠市の限定版にはライブDVDとしてリリースされた0.7(ねえママの映像が中心の作品)のBDがついている。人に受け入れられることを“受け入れる”ことが、過去の自分を否定してしまうのではないかと葛藤していた心情が語られている。今のamazarashiの象徴であるアンチノミーから、過去に戻り、原風景から描いていくとき、青森に帰った頃の“終わりから始まった僕ら”に焦点を当てる。

失って諦めて諦めきれずに自分のために歌い続けた。手に入らないからこそ何かを必死に追い求め続ける、その渇望を幸せというなら自分は幸せのはずなのに、胸の痛みが取れない。すでに怒りや満たされなさを原動力としたamazarashiの世界は一つの終わりを迎え、次に向かい始めている。だが、どれだけ経験を重ねても受け入れることに慣れても、失うことや諦めることには等しく痛みを伴うもの。慣れている、気にしないというならそれは傷つき過ぎて鈍感になっているだけだ。けれど幸せ自慢も不幸自慢も意味がない、両方あっての人なのだ。

自問自答し続けた秋田が描くのは、終わりを起点とした、あなたへのありがとうのストーリーだ。今までありがとう、それは人生の終わりの1ページであると同時に、これからに繋がる終わりで始まりの時間にも思える。感情豊かなその声は会場に響き渡り、胸の奥に火を灯した。

仙台は割と即MCに入っていた記憶があるが、東京はチューニング時間をたっぷりとっていたのが印象的だった。

MC1

わいはロック少年だったから、前向きなメッセージとかストレートな表現に影響を受けてきた人間なんだけど、でもそういう綺麗事が自分を縛ってしまうことがあって、特に心が疲れているときは好きなバンドも聴けなくなった時期がありました。でもせめて自分の歌位は自由に息ができるものであって欲しいなと思って作った歌です。

心がねじれた→疲れたになった位で概ね内容は変わらず。

リビングデッド

秋田に赤の照明が当たり、低音のギターが響く。心なしか刻む音がゆっくり目だったような気がしたがどうだろう。“自由に息ができるように”と作られたリビングデッドは、武道館ライブ「新言語秩序」開催に先駆けリリースされた作品でテンプレート言語に置き換えられた検閲済みMVが存在し、検閲解除済みのMVも「あなたの人生は希望に溢れている」と洗脳されるショッキングな内容だ。騒々しい無人の続編としてセトリに入ったのかと思ったが、横浜アリーナのゴーストへの布石なのかもしれない。「後悔も弱さも涙も声高に叫べば歌になった」そう歌うように、負の感情を火にくべ後ろを振り向かずふと空を見上げる。その空は爽やかな青だろうか。いや多くの人々の様々な感情を燃え上がらせた炎は複雑な色に染まり、不穏に輝いていることだろう。まるでそんな雰囲気を出すように、照明は赤から緑、ピンク、紫と多様な色が使われ秋田の歌が燃えていく。

自由でありたいと自分のために歌った歌は、ギリギリの闘いを続けながらも生きようと足掻く人々の背を支え、力を与える。決して応援歌というほど明るくはないのに、いっちょやったるかと背中を押されるような感覚があるのは、秋田の言葉と声の力だろう。弾き語りはとにかくギターがかっこいい。ミュートと解放を繰り返すギターに心躍り、パワフルな秋田の歌声に大きな拍手が会場を包んだ。

ロストボーイズ

寂しげだが温かみのあるオレンジのスポットライトが秋田の頭上から降り注ぐ。背後もオレンジに照らされ、ステージはロストボーイズらしい温かな空気が漂う。秋田の優しい「ロストボーイ」の声に呼応するように明るかった照明は消え青が強まる。それは夜の帳が下りてきたような美しさだ。リビングデッドで火にくべられた報われない思いは煙となって空に舞い上がり、燃えカスが地面に落ちる。真夜中の空にはそんな沢山の不満や悲しみが溶けている。闇の中にずっといると自分が思っていたとしても、十年の月日のうちに変わっていくものもある。“襲われる「あの頃良かったよな」振り解く「まだまし今の方が」”秋田の声が通り過ぎていった過去を呼び起こす。引きこもりから外に出て夢を掴んだ秋田だってまた迷子になるのだ。

日々悩みながら生きる人々へ「泣かないでロストボーイ」と紡ぐ言葉は揺れ動く心をそっと支える。決して強くはない。だから闇が強ければ負けてしまうし本人に決断は委ねられている。それでもロストボーイと叫び続ける姿は「一緒に生きよう」と言っているようで涙がにじむ。やがてステージは赤く染まり、夜の帳から朝焼けが訪れ、また新しい一日が始まる。この曲は照明がとにかく美しく、歌詞や空気感にあわせて色が切り替わりとても癒された。照明さんに拍手。最後ロストボーイズらしい青で終わったのも寂しげでとてもよかった。

後ろのカーテンがゆっくりと開く。その大きさに会場のデカさを実感する。

MC2

amazarashiがデビューして14年目で、来年は15周年だし何か出来たらいいなと思ってるんですけど、振り返ると、初ライブがデビューしてから1年目くらいで。渋谷でやったんですよ。その頃はまだバイトとかしてて、レコーディングだライブだって東京来るようになって…もともと引きこもりだったから東京に面食らって。やっていけるのかな?とか思ったりしてたんですけど。渋谷でライブやって逃げるように喫煙室行ってタバコ吸ってたらamazarashiのTシャツ着てる人がいて。ああ青森の田舎の片隅で作ってたものがこんな都会にも届くんだって思って。ああもっとちゃんと頑張らなきゃなって思ったのを覚えています。そういう時期に作ってた歌です。

ワンルーム叙事詩

秋田の両サイドと上から青い光が降り注ぐ。当時の孤独感を際立たせるようでとてもいい始まりだ。初ライブの際ファンの姿を見て頑張らなきゃ!と思って作った歌がワンルーム叙事詩だったらちょっと面白いが(笑)初ライブ前にリリースされた初期作品なのでタイミングは逆だ。ちなみに1stライブの「この街で生きている」のセトリには入らず、次の「千年幸福論」で歌われた。紗幕には線画で描かれた窓のカーテンが揺れている。カーテンの下には影が落ち、そこに歌詞が投影されるスタイルだ。サビでは背後に描かれる色を失った炎がゆらゆらと燃え、文字もそれにあわせて揺れている。「雨にも負けて、風にも負けて、雪にも夏の暑さにも負けて」部分では文字に対して、雨が降り風や雪が降り、太陽が照らす演出がとてもよかった。映像にはあまり色を使わずに照明は赤いランプが点灯したり、ピンクや青に推移していくなどコントラストがとても印象的だ。

末法独唱、そしてツアーではメッセージボトル以来の演奏だが、自問自答し生きようともがいていた時期の初期衝動の一曲。その言葉の力に圧倒される。何もかもが焼けて、焼け野原になって、たった一人で、それでも燃え上がる炎は更地から新たなスタートへのかがり火となる。こうして並べてみるとリビングデッドとよく似ていて、ワンルーム叙事詩ももしかしたら当時の秋田にとっては”自由を求めた世界”だったのかもしれない。誰に何と言われようとしがみついても生きてやる、負けたくないという気持ちがして私はこの曲が大好きだ。秋田の声は、前半こそ優し気だがサビになると高火力で一気に燃え上がる。メッセージボトルの頃より今の方が荒ぶった歌い方だ。さらに10年経ったらどんな歌い方をするのだろう。年を重ねてからまた聴いてみたい。

MC3

それで・・しばらくして2年半位でようやく飯とか食えるようになって、音楽だけで。青森のむつって所に住んでてすんごい…県外に出るまでに3時間とかかかっちゃうから青森市っていう中心の所に引っ越したんですよ。古い一軒家で…勿論防音とかなくて裏は山で何もなくて。窓あけっぱで音楽やれるような家で。そこへ引っ越してから一曲目に作った曲で、その時の決意とか覚悟が詰まっていると思います。

応援歌のくだりがなくなり、仙台の時と近い内容になったが、青森の片隅とか端っこからむつめっちゃ遠い!!に解像度があがって面白かったです。笑。

ジュブナイル

自分に向けて歌った歌というが、歌詞には「君」が存在する。秋田の言葉通り外に向けて走り出したことが伝わるように、ステージのライトは客席へ降り注ぐ。ジュブナイルは2012年のねえママに収録された楽曲であるが、ライブで“負け犬の歌なんて言わせない”と言っていた頃で、内から外へと世界が繋がり変化していったちょうど過渡期であったと思う。懐かしい楽曲ではあるが、ライブでの登場頻度は比較的多い。それが引っ越し先での1曲目に作った決意の曲で自分への応援歌のような存在なら思い入れが深いのだろうなと分かる。こんな風に当時のことを振り返りながら話をしてくれると曲のバックグラウンドを知ることが出来てとても嬉しい。紗幕の演出はごくシンプルで背後に白文字の歌詞が浮かび上がる。照明も明るくはなく、闇の中で“歌”という武器を手に輝く秋田ひろむという存在が浮き彫りになるようでとてもamazarashiらしい姿だった。サビに入り暗闇が宇宙に浮かんでいるような景色へと変わるが、星々は瞬かない。地上から夜空を見上げているのではなく、宇宙に投げ出されたような感覚だ。

仙台、名古屋と同じ箇所でまた息が続かず声が少し裏返りきつそうな所もあったが、東京は力でねじ伏せてコントロールしようとしている感がありなんかグッと来てしまった。「物語は始まったばかりだ」部分はほかと同じくやっぱりよく伸びていて歌いやすさとかも関係しているのかもしれない。仙台はそんな飛ばして大丈夫か?と心配になる位歌っているうちにテンションがあがったのか荒ぶりが目立ったが、東京は最大限丁寧に調整しようとしている感があって、やはり東京は闘う場所で、自由になれる場所ではないんだろうなあと思った。まあプロの方やライターさん何かも見に来るし、地方の方がプレッシャーは少なくリラックスできるだろう。東京ももっと好き勝手やっていいんやでという生温かい目でいつも見ている。笑

秋田は、足元のスイッチャーを若干激しめにカチカチし、チューニングタイムに入る。

そういう人になりたいぜ

豊川が登場し、ピアノが響く。豊川の頭上にはうっすらと白い光が射す。仙台名古屋ではもっと秋田の方へ光が広がって見えたのだが角度の問題だったようで、アリーナ後方から見ると秋田は影のようになりステージ全体はかなり暗い印象を受けた。低音のピアノが響く中、秋田はギターに手を置き、言葉を紡ぐ様は割と新しい楽曲のはずなのに初期のamazarashiを見ているようだ。闇の中から君という光へ手を伸ばす様に胸の奥へ歌声が突き刺さる。ラストの大サビの前、はっきりと豊川の方には向かないが後ろに目線をやりかすかに頷き、サビに入っていく様が見て取れ、一人の弾き語りとは違った仲間と音を重ねる楽しさに身を委ねているように見えた。声のしっとりとした優しさに癒されていたら、「そういう人になりたいぜ」と叫ぶような熱を放つ。全身で音を刻む様がとても躍動的で、紗幕破ってこっちに飛んできそうだなと思ってしまった。歓迎しますけど。笑。

別れが描かれるラブソングだが、そこにあまり悲壮感はない。とても静かな別れだ。相手の選択を止めることはできないが、自分なりの精一杯の愛が「君の気が狂っても」から先のメッセージだろう。他者に優しくありたい、大切にしたい気持ちはあれど、まだまだ自分の気持ちで精いっぱい。だから周りを思いやれる君に憧れを抱いたのだ。ラストは秋田が豊川と向かい合い、静かに音が闇に溶けていった。

上から白い幕が下りてくる。

MC4

今日はせっかくなんで最近やりたくてもやれていない曲をやろうと思うんですけど、次はアマチュア時代の代表曲で、当時毎回やってたんで最近飽きてやってなかったんですけど、歌いたくなったので、歌います。

どんどん古い曲歌いたくなって欲しい。笑

光、再考

今度は最初から豊川の方に体を向けてスタート。最近は季節は次々死んでいくの冒頭にワンフレーズ使われるだけだった光、再考。なぜやらないのかと思ったら飽きたからと打ち明けられるとは思わなかった。それは仕方ない。他にもそういう曲があったら教えて欲しい。笑。歌詞は上下左右バラバラに白黒で紗幕に出るようなイメージだったが、中央には白い小さな光の球がじわじわと大きくなっていく。サビは歌詞の周りに雷が走っていたり、モノクロではあるが、紗幕映像はシンプルながら凝った作りで面白い。しかし照明は継続して暗いままだ。

あまざらしに戻った二人は時折目線を送り合いながら秋田が闇の中もがいた日々を奏でる。仙台・名古屋・東京と見た中で一番あまざらしに近く荒々しかったのは仙台だ。東北の空気がそうさせたのかもしれないが、東京は比較的落ち着いていて過去を俯瞰し、噛みしめるような雰囲気だ。飽きるほど重ねた音だからこそ二人の息はぴったりで共に歩んだであろう日々を想い、そして自分自身の苦しかった日々が否応なしに重なる。

音楽に救われたという言葉はあまり好きではない。好きではないのだが、失ったものや痛みに蓋をし見ないふりをして気づけば大切な感情が日常から零れ落ちていく。大丈夫と人に嘘をつくのに慣れて、人の中で笑って、でも誰にも言えない自分の気持ちを叫びたくなる瞬間もある。今の自分にとっては通り過ぎた景色だ。今も苦しい訳ではない、それでもその時の自分の痛みがなくなるわけでもない。今現在苦しんでいる人、過去苦しんでいた人、生きづらさを感じている人、特に不満はないし幸せだと思うけど違和感がある人・・世の中には沢山の人がいて、そんな人の心に抱えた小さな影に大丈夫だよとそっと手を添える。光をぺかーっと照らして明日は明るい!自分を信じよう!!みたいな光ではなく、影に寄り添って光の方へ一歩一歩進んでいく。あまざらしやSTAR ISSUE時代程の荒々しさは今の秋田にはない。だが確かに地続きで、多くの人と出会い別れ迷いそれでも歩み続けたからこそ出来る豊かな表現力は、秋田の轍が作り上げた輝きだ。

中央の白い球はやがてはじけ宇宙空間に投げ出されたような景色が広がり、最後の最後の方になってやっと星がかすかに輝き始めた。きっと光が見つかったのだろう。

幕が上がる。

令和二年

秋田のチューニング音が響く中、ドラム(パーカス)の橋谷田真、ギターの井手上誠、ベースの中村武文がここで登場し、amazarashiは5人になる。前方で見ていた時は横一列に見えたのだが、後ろから見ると思ったより秋田が前に出ていて一列後ろに4人が横並びしているような感覚だ。2022年ロストボーイズの青森公演からメンバー間の距離が以前より狭くなったので、横を向かなくても全員を視界に入れやすくなった。今回は秋田が少し前に出ているため、私の席からは井手上が完全に秋田の背後霊状態でチラチラとしか見えなかったが、それを除けば意外と全員よく見えた。(大体20列目中央辺り)

紗幕には線路や電車が映り、海沿いの街を車窓から眺める前半と、都会の風景の後半(有明周辺の景色もあった)が投影される。狂騒の令和二年から今まで、そこで生活する人々には奪われた日常やあるいは命があり、その中で取捨選択しながら共に生きた新しい日常があったはずだ。豊川の力強くもきらめくようなピアノの音に、橋谷田のカホンの音が重なり、日常の景色を見ながら聴く令和二年は時間をゆっくりと戻していく。橋谷田のバスドラとはまた違った深いドンドンと地響きのような音に乗る井手上の線の細いギターはアコースティックならではの心地よさ。

秋田は後半観客に背を向け、メンバーの方を見る。特にベースの中村と目配せをして嬉しそうに頷いている姿が印象的だ。面白いなと思ったのは、紗幕映像は全面に映すのではなく、メンバーにかからないような工夫がされていたことだ。中村だけは背が高いせいではみ出ていたのがかわいかったが。笑。ステージも明るく映像もバンド演奏する姿もしっかり楽しめる。音も華やかでメンバーも楽し気だ。けれどそこで描かれる楽曲の世界は、多くを失い閉塞感で満ち溢れた悲しみの令和二年。その対比がなんとも切ない。“先は見えない「けど大丈夫」僕に嘘をつかせた令和二年”秋田の声が胸の奥に閉まった痛みを揺り起こす。家族を失った人、面会に行きたくても制限でろくに顔も見られない、結婚式・入学式・卒業式・卒業旅行に修学旅行など楽しかったはずのイベント、学校の授業に就職活動、仕事(これは図らずもWEB面談やテレワークが進みいい面もあったが)そして音楽、映画、旅行といった芸術や娯楽も含めればきりがない。当たり前がどれほど大切で尊いものだったか、今では多くのものが元に戻ったが、戻らないものもある。

人と時間だ。

戻らないものを抱えた人にとって、折り合いをつけようにも受け入れるのが難しい気持ちもある。ただ秋田の声を聴き、amazarashiの音楽を聴き、「残念だなあ」の嘆きに共鳴していると、ほんの少しだけ心が軽くなる気がする。

令和二年、あなたにとってどんな時間だっただろうか。

後ろの幕がゆっくりと上がっていく。

パーフェクトライフ

ねえママ以来11年振り!と沸き立ち、令和二年の後ろに置かれることで閉塞感から解放され未来への歩みを感じた。はずだったのだが、僕のベストライフがリリースされてみるとまた違った景色が見えてくる。対比として使われているのだろうと思うが、終演後の情報に飲み込まれるのは後に置いておいて、まずは久しぶりのパーフェクトライフについてだ。

本当になぜここまでやらなかったのか不思議でならない。別にコンセプチュアルな曲でもないし、とても美しい曲なのにとは思うが、アルバムの表題曲でもなくレコ発ツアーのセトリに載せるには少し知名度が弱いか。逃避行、奇跡、デスゲーム、真っ白な世界、数え歌、初雪・・あまりやらない曲を考えたらきりがない。これだけ楽曲が増えれば仕方ないのだろう。と自分を納得させる。

冒頭の特徴的なピアノの音に、隣の人はとても驚いたようで息をのんでいる様子がうかがえた。ピアノの音の粒が水面に落ちてきたかのように、紗幕には波紋が広がり、テナードラムかティンパニのような太鼓っぽい低い音が重なる。秋田の声は優しく穏やかで大きな傷も小さなすれ違いもすべてを温かく包み込んでいく。歌詞は白線に浮かび上がり、ステージには仄かな明かりが射す。やがて背面には流れ星が瞬き、歌詞の文字は欠け不完全な形で表示されていく。中盤秋田は後ろを向き仲間の演奏に頷き共に音を重ねられる喜びをかみしめているようなシーンも見受けられた。ベースの中村は横に大きく揺れ楽し気にリズムを刻む。令和二年の奪われた日常と選択せざるを得なかった新しい日常にパーフェクトライフが続くと、失ったものもあるけれどいいことだってあったと肯定したくなる。日々を生きていかなければいけない中で、何かを否定し続けるのは簡単なことではないから。不完全なりの生き方を肯定するamazarashiの11年振りの演奏は、確かに私たちの心に届き、もう少し頑張ってみようと思わせてくれた。

この街で生きている

背後の紗幕には地方都市のメメントモリで使用した映像が登場、長閑な田園風景や青森市内の空撮映像、秋田の地元横浜町の風車の景色が映り、その傍らには秋田少年が何かに想いを馳せるように佇んでいる。時折歌詞が映り画面が空色に染まったり、山々の稜線が描かれるとamazarashiメンバーがシルエットとして浮かび上がる。秋田は冒頭豊川の方を見つめている。豊川のピアノで演奏されるこの街は実に11年振りだ。後ろの映像が明るく皆どこにいるかはっきりと見えるからこそ、かなり距離感が近いことが分かる。いつもより狭いかもしれない。橋谷田のカホンのリズムが心地よく胸に沁みる。ベースの中村はここでも音を楽しむように横に大きく揺れ、シルエットすらかっこいいってどういうこと??と多くの女性陣の心を鷲掴みにしていたはず。笑。井手上はアコースティックだけにいつもの狂気じみた派手な演奏はないが、時に艶っぽく時にノスタルジックに繊細な音を奏でる。サビではツリーチャイムの優しい音が風のように通り抜け、オレンジから赤へと照明が移り変わり、夕焼け色にステージを染める。

令和二年、パーフェクトライフ、この街で生きていると続くことで、amazarashiの楽曲がコロナと共に生きてきた、私たちの生活に根差したすぐそばにあるとよくわかる。世相をそのまま表現するが、極端に卑下も称賛もしない。淡々とそばにあるものとして描く。そのくせ見つめる視線がとても温かいから私は秋田ひろむが書く曲が好きなのだ。変わっていくもの、変わらないものの中で、喜びも悲しみも沢山の感情をすべて抱えたまま、それでも生きていくとただ受け入れ肯定していく。懐かしい楽曲であるはずが、今のamazarashiそのものの世界で、その揺るがなさに気づかされる。こうして時折でいいから古い歌を今のサウンドで聴かせてくれると嬉しい。

穴を掘っている

もう驚かない!3回目ともなれば心の準備はできている。つもりだが、何度見ても不気味。笑。パーカスの橋谷田真が任せてもらった、と終演後発信していたが、森に迷い込んだような音を奏で、その姿は影となって紗幕に大きく映し出される。やがてジャンベの音が一定のリズムを刻み、井手上のギター音かミキサーからの効果音か分からない歪んだ音が延び、豊川のピアノイントロに繋がる。途中井手上が橋谷田の座席近くの所から何かをとったり戻したりしている姿が気になった。ピックだろうか。前方では大きなクレーンカメラも動き紫に染まった紗幕はなんとも不穏な雰囲気が漂う。歌詞が投影されながら泡に溶けるような演出も印象的だ。前半曲が進んでも中村の姿は暗いままでしばらくするとライトが当たり、アップライトベースを弾く姿が浮かび上がる。仙台と名古屋もこれだっけ?なんかもっと違う形だったような気がするのだが、残念ながらご本人はSNSをやっていないので分からず。

サビでは、木の根に取り囲まれたように歌詞が表示されるが、つまり穴に埋まっている姿を上から見ているか、埋まっている人が上を見上げているかどちらかだ。虚無病のストーリーがちらつくが、もしかするとこれもまたゴーストをにおわせているのかもしれない。「絶望を連れてくるのは希望」と歌う秋田だが、光再考の詩では“触れたいものなど無いと言うのならそもそも君が絶望する事もなかっただろう。絶望なんて手を伸ばした人にだけ訪れる通り雨みたいなものだから”と綴っている。希望が絶望を連れてくるなら何も望まなければいい訳で、「僕は僕を諦めたぜ」と続くのだ。奪われ傷つきその繰り返しが「選ばざるを得なかった」「人間嫌われ」という表現になっていくのだろう。諦めた方がいいと言いながら、穴を掘り続けるのはなぜか。穴=墓で本当に終わりなのか。諦めきれないのではないか。死のうも生きようもきっとほんの僅かな差できっかけは些細なものである気がしてならない。

秋田は感情が乗せやすいのか、丁寧さもありつつ時に荒ぶりながら熱を放出する。声の力で相手をねじ伏せて魔王になりそうな歌声だなとか考えていたら、終盤無音状態のタイミングが訪れる。東京では、終わったのかと思い拍手をする人がパラバラ発生、ステージも一瞬動揺したように見えたが、爆発的な熱量をもって「どうせ僕だって悪人」で大きな盛り上がりを見せる。少しだけ残念だったのは、休符明け直前、秋田がトントントンとギターボディをゆっくり叩きタイミングを合わているのを名古屋で見たのだが、それが拍手に紛れて聴こえなかったことだ。近くで見た人はやっていたかどうか分かるかも。溜め中の拍手は逆に今まで起きなかったのが不思議な位の長さだから(体感的には6-7秒位?10秒まではないが5秒以上は確実にある)あれだけ人数がいれば起きても仕方のないハプニングだったと思う。逆にそれが起爆剤になり演奏にも熱が入り、曲が終わる瞬間も大きく盛り上がっていたので結果オーライだ。

あと白い鳥が飛んでいたのは吐きそうだだと思っていたが、穴を掘っているだった。無音状態の少し前位。諦めたと言いながら自由や希望を諦めきれないようでとてもよかった。

(閑話休題)パーカッションについて

色々な挑戦を続けるamazarashiのライブの中でも、かなり異色の演出となったのが「穴を掘っている」橋谷田真さんのパーカッションだ。終演後ドラムセットを公開してくれたがかなり面白かったので共有したい(掲載許可済み)3枚目の写真

カホン、ドラム(多分テナー?)ジャンベ、ツリーチャイム、ウドゥドラム(壺みたいなの)、各種シンバル(クラッシュ/クラップ/スプラッシュ/ライド/ハイハット辺り?)、スレイベル(鈴)、ギロ(貝みたいなの)、ミキサー、ほうき?等機材が沢山。穴を掘っている以外でもかなり手数が多かったのでもうドッペルゲンガーを疑っています。笑。素晴らしかった。

吐きそうだ

豊川に薄ピンクの柔らかな照明が当たる中、イントロのピアノが鳴る。凛として力強い豊川の音にカホンの響きが重なり、心地よい。「生きる意味とはなんだ」と秋田は自問自答しながらメロディともポエトリーともつかない低音が続く。東名仙と聴いて結構印象が変わったのがこの曲だ。仙台や名古屋と違い、秋田の管を巻いている感が少ない。恐らく会場の音響のためで割とパキッと音が聴こえ、グダグダ感があまりない。そして秋田の低音ボイスと対照的に高音の繊細なギターが抜けていくことで閉塞感がない。井手上が持っているのはギタレレだろうか。なんとなくサイズの小ささとナイロン弦の音の細さを感じた。二人が対照的に引き立てあっていてとてもよかった。

かなり言葉が詰まっている曲だけに秋田はサビに入り遅れ、察した豊川のコーラスが前に出てカバーをする。豊川の声は透明度が高く明るいため、吐きそうだの悲壮感は薄くなったもののたまにはこんな日があってもいい。後半は秋田が豊川に任せながらついていくような歌い方をしていた。秋田と豊川の歌声とギターの音に心躍りながら、紗幕にはピンクや青の靄のような演出がなされ、混沌を表現する。終盤後ろの幕には落書きのような絵が表れ、思考の混濁を表現する。“「後悔はない」という後悔を引きずり重い足を歩かせる”のフレーズは令和二年からここまで続いた日々を思わせる。作られた時期は確かに別々であるのに、並べてもストーリーが違和感なく成立するのがamazarashiの楽曲の魅力だ。

そしてここを皮切りに矢継ぎ早に放たれる“正論”こんなにまくしたてられたら言葉に酔って吐きそうになるのも当然だ。相手を思いやることなく正論を振りかざす者、あなたのためなんて言いながら正義を気取る者、正しくあろうとすれば損をしたり傷を負うことも多い世の中だ。生き抜くためには二日酔い位でちょうどいい。

まっさら

秋田は再び客席に背を向けバンドメンバーを見ながら、ギターボディを叩き曲入り。ハワイアンミュージックぽいギターを奏でる井手上と、ツインギターで音を刻む秋田はここでも嬉しそうだ。永遠市ツアーでセトリ落ちしたまっさらが令和二年から忙しなく動いた感情をゆっくりと落ち着かせていく。この瞬間だけは騒々しい無人から永遠市の旅に戻ったようだ。背後の紗幕には山々の稜線が広がりその上には宇宙が広がる。ここでも稜線でバンドメンバーが隠れないよう配慮され、紗幕に投影された映像の向こうや前にamazarashiがいるのではなく、バンド演奏と一緒に映像世界を表現する方向に変わってきていると分かる。

地方都市のメメントモリのリタやボイコットのそういう人になりたいぜではまだまだ自分のことだけで精いっぱい、この人は多分変わらないと前回書いてその考えはあまり変わってはいない。だが、ロストボーイズ・永遠市を経てより“君”に寄り添い、大切なものや守るべきものが増えていったであろうことは伝わる。まっさらから感じるのは泣きじゃくって真っ赤な瞳の君を見守りながら君と僕の境界線はぼやけ、“僕ら”が生まれ変わるまっさらな明日を思う温かい目線だ。豊川のオクターブ上のコーラスは吐きそうだに続いてここでも美しいが、先ほどの混沌と対照的に今度はもっと寂しく目が覚めるような冷えた朝の空気が漂う。音数が少なめで秋田の声が会場を包み、ゾンビ達も人間に戻りそうな清廉とした空間が広がった。

秋田はギターを持つ手を大きく上げた後下に下ろしてフィニッシュ。横にカーテンが広がり、大型照明が下りてくる。

MC5

騒々しい無人東京ファイナル、ありがとうございました。あと2曲になるんですけど、次の曲は最近好きな曲ですごいシンプルだし何でもない曲なんですけど、なんで好きなのか考えてたんですよ。なんかamazarashiの未来が見えるような気がして、好きなんだなって気づきました。これから10年後、20年後どうなってるか分からないですけど、こんな立派なハコじゃなくても仲間と音楽やってたいなって思います。ありがとうございました。夕立旅立ち。

夕立旅立ち

ここで中村のアップライトは通常のベースに戻り、ギターの井手上はお馴染みのバンジョーを手にカントリー調の楽曲へ華を添える。背後の光量が凄まじかった巨大照明は距離があるから大丈夫かと思いつつも恐る恐る様子を見ていたら、目つぶしの声が届いたのかかなり光量が控えめになっていた。野球のナイトゲームか何かか?という位ビッカビカに光を出すスタイルから光を絞って明滅する等工夫されていてステージを見ていられるレベルだ。それでも演出上光を多めに出す所はあったので前の人は眩しかったかもしれないが、目つぶしまでいかない位には調整されていたと思う。多分。距離のせいかもしれないけど。笑

冒頭、橋谷田真のドラムがバンド編ラストの思いを込めてドンと大きく響く。それは、10年先20年先も仲間とバンドがやりたいという秋田の言葉に、肩を抱き合いこれからもよろしくなと答えているようで胸が熱くなった。秋田の歌声にも力が入り、それに重なる豊川の歌声も軽やかで美しい。ファイナルらしく3公演中1番息が合い激しさと柔らかさの緩急に心躍るとてもいい演奏だった。

夕立旅立ちは、過ぎ去っていく日々を去っていく友を見送る歌だ。名古屋で秋田は同じメンバーでやりたいが去っていく人もいて寂しいと語っていたが、ギターが出羽さんからまこっちゃんに変わったことでamazarashiはロックバンドとして大きな転換期を迎えた。いつかほかのメンバーを見送る日がくるかもしれない(変わらないで欲しいけど)それでもどうか仲間と音楽を続けていきたいという秋田の強い想いが伝わってくる。中盤位で秋田に青いライトが当たり、頷いて右に首をこてっと倒して歌う姿がとてもかわいかった。後半、秋田は客席に背を向けてバンドメンバーとアイコンタクトを交わしながらギターをかき鳴らす。その姿はスキップしてそうな位体を大きく動かし、心から楽しそうで幸せそうに見えた。

“都会のせわしない暮らしにもしたたか風が吹く田舎の風が吹く”というフレーズがあるが、私はここが一番好きで地元を出て都会で暮らしていても、自分の過去が詰まった故郷や人との記憶がよぎることは沢山ある。会えなくても胸にしまった思い出に勇気づけられることもあるし、よくない思い出も勿論ある。ただすべてを見送り通り過ぎていくだけじゃなく、時折振り返りいい思い出を胸によくない思い出は忘れたことにして、光を灯して歩いていこうと思える。疾走感のあるこの曲は背中に追い風を送ってくれるような存在だ。

秋田は再度メンバーの方に体を向けてかき回し、ありがとうございます!と声を上げ、アコースティックと思えない熱さを放ったバンド編が終了、ありがとう!と告げてステージにはまた秋田一人だけが残った。

MC6

去年から永遠市ツアー回って、アジアツアー回って気づいたことがあって…なんかライブも後半になってくるとすごい爆音なってるし息も上がって汗だくで、光がピカピカなってすごいふわーってなってこのままどうなってもいいなって思う瞬間があるんですよ。わいは多分そういう瞬間のために音楽をやってて。今回のツアーもそういう瞬間が沢山ありました。今日もそうです。そういう歌を作ったのでそれ歌って終わります。今日はありがとうございます。

ピカピカとふわーがかわいかったのでボーナスをあげたい。笑

どうなったって(新曲)

奥の紗幕は透過され、ステージに照明がつく。秋田の背後がクリアに見える演出は健在だ。表の幕も透過され客席からステージに向かって回るように強めの照明が出ていた演出はやめたようで、代わりにステージ横にある縦のライトがつき、表の紗幕にはファイナルにしてやっと歌詞が表示された。テンポもゆっくりめで聞き取りやすいがイマイチなんて言っているのか分からない所があったので歌詞が出たのは嬉しい。次のアルバムに入る曲のようでリリースについて情報がないため、あまり詳しくは書けないが、秋田が言うようにライブの高揚感からもうどなったっていいや~という瞬間を歌にしたというのがよく伝わる歌詞だ。どうなったっていいという言葉通りの投げやりなものではなく、迷ったり立ち止まったりしながらでも先に進んでいこうと思えるような今の秋田ひろむらしい一曲だった。某所のMCで語ってた内容が一部歌詞にそのまま出てきたので初めて聞いたときはそこから取ったんかいとちょっとクスっとしてしまったが、アルバムのリリースが楽しみだ。

秋田は横に揺れながらゆったりと歌い上げ、ラストギターを持ち上げ、ありがとうございました!!・・amazarashiでした!(なんかこの間からの言い方がすごくかっこよかった)と声を上げ、ステージを後にした。アンコール等ないことはわかっていても拍手は鳴りやまず、大きな拍手の渦が会場に広がる。やがて紗幕が・・?

電脳演奏監視空間ゴースト開催告知

ピコンと機械音がしたかと思うと紗幕には映像が流れ始める。そこには拡声器を持った秋田ひろむが佇んでいる。見た目は完全に左寄りのヤバイ人である。笑。LIVING DEAD LOGOSという文字が目に入り、お?と見ていると、秋田の低いポエトリーリーディング、僕は大嫌いのリフレイン、そしてサビでは希亜(後日“明”に修正された)、実多、ゴールドスタインといった、1984をオマージュし2018年に武道館で開催された“新言語秩序”に登場した内容が表示される。ラスト、“急告 同志諸君 プロテストライブ 強行開催 二〇二五年 四月二十九日 横浜アリーナ 電脳演奏監視空間 ゴースト”の文字に観客は沸き立ち、大きな歓声が上がった。

曲間で歓声が少し上がったり、秋田さーんとか聞こえることはあってもほとんど観客が声を発することはない、amazarashiのライブ。ここまで大きな歓声で沸き立ったのはきっと初めてだろう。後日でなく、ライブで開催告知してくれたことがとても嬉しい。終演後出口で渡されたのはセトリのポストカードに加えてもう1枚、赤いポストカード。僕のベストライフ、デジタルシングルのリリースと横浜アリーナでのライブ開催の告知だった

僕のベストライフ

どうなったってはネガティブそうな題名のわりにポジティブな曲だが、僕のベストライフはポジティブそうな題名をしておいてひたすら大嫌いが連呼されるネガティブな感情が詰まった一曲だ。怒りを原動力とした時期は過ぎた。秋田自身もそう語っているが、ここまでまっすぐに負の感情が表に出てくる楽曲は久しぶりだろう。コンセプチュアルなライブに合わせて制作したのだろうが、テクノっぽい始まりや低音ボイスが好きな自分には大歓迎の一曲である。そしてここにきて、“なぜほとんどやらなかったパーフェクトライフを今やったのか”の意味合いが、令和二年を受け入れて昇華するためだけではなく、君のベストライフのためでもあったに変わる。

パーフェクトライフは完ぺきではないが不完全さすら愛する秋田ひろむらしいとても美しい曲だ。美しいからこそ、「パーフェクショニズムの後遺症/欠点まで愛せというなら痛みを許容するのか」という秋田の低い声にドキッとする。勿論、“ベストライフ”とは何を意味するかが気になる所ではあるが、いわゆる一般的な幸せを否定している訳ではないはずだ。テンプレート言語に迎合する、人に流され自分の意志を持たないとか、新言語秩序の続編の世界で、“あなたの人生は希望に溢れている”と洗脳する人々、それを“正しいもの”として受け入れ生きる人たちを、真っ向から否定し僕は大嫌いと言っているのではないか。秋田の背後にあるのは、NEW LOGOS ORDER(新言語秩序)ではなく、LIVING DEAD LOGOSのため、実多が独白で希明からマイクを受け取り、独白で心の声をぶちまけ殻を破った後、言葉ゾンビ達が立ち上げた組織かまた別の何かか、展開が気になる所だ。電脳と言っているのでAIも出てきそうな気がする。

騒々しい無人2024の感想

ファイナル後は僕のベストライフとゴーストに持っていかれた感があるが、とても贅沢なAcoustic Live Tourだったと思う。欲を言えばあと2-3本やって欲しかったし、青森でも見たかったのが正直な所だ。まあ横浜アリーナまで半年切っているし、バンドメンバーも売れっ子なのであまり長いツアーに出来なかったのかもしれない。懐かしい楽曲を久しぶりに聴けたことも、当時あったことや心境を語りながら進めてくれたことも嬉しかった。インタビュー等の文字を読むのとはまた違って、秋田ひろむ本人から直接届けられる言葉というのは決して多くないだけに喜びもひとしおだ。そして過去の曲と今の曲を繋げて気づくのは、その違和感のなさ。変わらない人間等いないし、変わった部分も確かにあるとは思うが、amazarashiの軸や秋田ひろむが音楽で伝えたい底の部分は揺るがない。変化し、今を更新しながらもまた新しい世界を切り開き、どんな音楽を聴かせてくれるのかとても楽しみだ。10年後20年後どれだけ時を重ねても、歌い続けてくれる限り、amazarashiの音楽と共に年を重ねていけたら幸せだ。

青森の地で、二人で始まったamazarashiのストーリーは、メジャーデビューから15年の時を経てついに横浜アリーナへたどり着く。

同志諸君、横浜アリーナで会おう。

セットリストと会場写真

1.アンチノミー
2.エンディングテーマ
3.リビングデッド
4.ロストボーイズ
5.ワンルーム叙事詩
6.ジュブナイル
7.そういう人になりたいぜ
8.光、再考
9.令和二年
10.パーフェクトライフ
11.この街で生きている
12.穴を掘っている
13.吐きそうだ
14.まっさら
15.夕立旅立ち
16.どうなったって
17.僕のベストライフMV・電脳演奏監視空間ゴースト開催告知

東京のバッジTシャツ
セトリと君のベストライフ/ゴーストのポストカード
B賞のアクキーを狙っていたが当選ならず・・
Fanplusからきていたお花

おまけ・公式画像まとめとクリエイター紹介

初日大阪公演終了後 
今回はどの曲の演出か分からないよう最大限の配慮を感じた

仙台公演終了後

名古屋公演終了後

福岡公演終了後

東京ファイナル終了後

ワンルーム叙事詩、パーフェクトライフ
@中西さん

アンチノミー、令和二年の背景映像
@三峰さん

ジュブナイル
@のんたんさん

超長文お疲れ様でした。読んでくれてありがとう!!次回は米津玄師の横アリをレポート予定です。

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