「できる様になった、私えらい」を言っていきたい
「まあ、こうあるべきというか、考えている完璧な状態を今求めても実現できない状況なのは変えられないから。それよりも、前回よりも一歩か二歩進めているのはよかったんじゃない?まずは。」
不意に言われて、とっても気が楽になった言葉。できているわけではないけれども、進んでいる。その実感は私に足りていなかったことだから。
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基本的に完璧主義……いや、違う。変なところでこだわりが強くて、こうあるべき、だったり固定概念に対してだったり、「そこから外れてはいけない」と強く思い込む癖がある。
それから、少しでも外れそうになる、うまくいかなくなりそうになると、いとも簡単に折れてしまう。音が聞こえるぐらい、ぽきり、と。
そんなにうまくいく訳じゃない、分かっているつもりなのだけれど、どうしてもついていけなくて、ばらばらになっていく思いがする。それから、周りを見てうらやましくなる。「今、そうありたい」人にも、「そこをめがけて、折れることなく走り続けている」人にも。比べることに何の意味もない、それもわかっているつもりなのだけど。
勝手にそうやって、自分で首を絞めていたんじゃないだろうか。
「少しずつでも成長しているし、できることも増えているでしょう?」と言われても、とにかく頑なに「いや、何も成長できていないと思う」と返していたし、実際そう思っていた。ここだけはまっすぐに、冗談ではなく、心の底から思っている。
それが、意外なところから、それもきっと何気なくもらった言葉一つで、もしかしたらそんなこともなかったのかもしれない、と気が楽になるのだから人って、それから言葉ってとても不思議だ。
きっと今、とても眩しく見えている人たちだって、多かれ少なかれ悩みながら進んできたんだろう。原動力が好き、なのか、あるいは悔しさなのかもしれない。もしかしたら。
確かに、まだ何も成し遂げてはいないし、満足も、納得もしていない。そんなに大きい目標を掲げているわけでもないけれど。
何だろう、例えばプライベートだと海外旅行に尻込みしないぐらいの英会話はできるようになっていよう、とか、自分で撮った写真の中で1日に1枚でも「この写真好き」と思えるといいな、とか。
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カメラを買って、レタッチや文字入れを始めたなんてきっと数年前の私が聞いたら驚くだろうな。写真を今みたいに好きにるなんて、センスがないと諦めていたデザインをやってみたいと思うなんて、考えていなかった。
今、「こんな写真を撮りたい」なんてまだまだ遠い。だから、練習といろんな写真や雑誌、本を読み始めている。(カメラの機能も前よりは覚えられた……気がするし)
そういえば、まだまだ入口に感じていた仕事も、相談を受けることも増えているかも。無限足踏みをしているとばかり思っていたけれど、気づかないうちに前に進んでいるのかもしれない。本当に少しずつだけど。
自分で「これができた!」なんて言うのは、恥ずかしくてかっこわるいことだと思っていたけど、過小評価してへこむぐらいならちょっとぐらい認めてあげよう。少しでも、楽に、楽しく生きられる方を。
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