義父のお見舞いで大学病院へ
制限だらけの面会システム
間質性肺炎で義父が入院して2週間が過ぎ、義母と連れ立ってお見舞いに出掛けてきました。1日に2名しか面会できないシステムなので夫は同伴できず、車で送り迎えをしてくれました。
せいぜい風邪しか引かない健康体の私は病院とは縁が遠く、特に大学病院は15年振りくらいに訪れたので勝手がわかりません。
義母があれこれとお見舞いの儀式? (手続きのこと) を教えてくれたのですが、今どきの病院の面会は時間制限があって容易ではないと知りました。 昔は自由にお見舞いできたように思いますが。
気忙しさを感じつつ5階の病棟へ。ナースセンターのカウンターで面会申込書?を掲げながら義母と佇むも、多忙で見て見ぬ振りをしたスタッフにしばらく放置されました。
ようやく受け付けてくれたナースが「確認しますね」と言った後、なぜか義父の病室とは違う病室に入ったきり10分以上出てこなくて義母の機嫌が悪くなり、なんだかなぁと (苦笑)
老いた義父はやけに手狭な6人部屋に押し込まれている上に、仰々しい酸素ボンベに繋がれていてショックを受けてしまいました。
回復して普通に話ができる状態なので安堵はしましたが、寝たきりで筋肉が落ちて脚が弱ってしまい、リハビリしても10分でくたびれてしまうとか。
住まいに近い病院ということもあって義母は毎日お見舞いに来ているそうですが、大地主の家なので主の不在で大家業が滞り、義母が事務を肩代わりするために義父のもとに通っているという話です。
地元の不動産業者からの連絡や税金の支払い等、義母があれこれと病人である義父に尋ねてはメモを取り、傍で見ていた嫁の私は大家業の苦労を思い知る・・・大地主も楽ではないと。
お見舞いを終えると再びナースセンターに立ち寄って、預けた面会申込書を受け取る必要があるのですが、事務スタッフらしき女性が我々の名前を聞きつけて受付したナースに駆け寄り、「先生からお話がある」と告げました。
事務スタッフが私たち家族に気付かなければ帰ってしまうところだったので、これまた病院側の手際の悪さに、なんだかなぁという感じ (苦笑)
さらに驚いたのが、主治医の説明を聞くならカンファレンス室あたりに案内されると思いきや、エレベーター前のオープンスペースにある簡易なソファで話を聞くという。
こんな人目のある場所で病状の説明をされるなんて、プライバシーも何もあったもんじゃないと思いましたが、大学病院はキャパオーバーで患者の家族を案内する部屋もないんでしょうか。
運良く決まった転院先
青年という感じの若い主治医によると、奇跡的に義父は回復傾向にあるようで、鼻から供給している酸素の濃度を下げていくと。本人がなるべく早い退院を望んでいるので、もう1週間を目処にと言うのですが、義母が難色を示し。
脚が弱って歩くのに困難があるので、歩けるようになるまで入院させてほしいと訴えるのですが、心情は理解できるものの無理な相談では・・・と嫁の私は思いました。
主治医も説明していましたが、大学病院は重病患者を治療する使命があるので、入院で足が弱っても回復傾向にある患者を長く置いておくことは出来ないんですよね。
3週間ほど集中的な治療を施したら退院させて、次の重症患者を受け入れなければならず、入院の延長を望むのであれば転院先を確保する必要がある。
若い主治医が眉を八の字にして困っているのを見て、これは容易じゃないと同情しかけていたら、義父が最初に救急車で運ばれた総合病院の医師が、大学病院の退院後に面倒見ても良いと話していたと、義母が思い出し。
それを聞いた主治医の顔がパッと明るくなり、分かりやすいくらい救われたという表情をしていたのが笑えたのですが、先方の病院の医師と連絡を取ると話していたので、義父の受け入れ先はあるかもしれません。
と、ここまで書いたら先ほど連絡が来て、件の総合病院に義父の転院が決まったと・・・昨日の今日という話で驚いたのですが、迅速に先方の病院と話をつけてくれた主治医には感謝しかありません。
もっとも、義母の訴えを受けて眉を八の字にしていた主治医ですから、渡りに船とばかりに厄介払い?(言葉は悪いですが・・・苦笑) ができて救われたのかもしれない。
「親父は悪運が強く、過去に何度も死の淵から生還してる」と息子である夫が話していましたが、高齢にして間質性肺炎という重病を患った義父がみるみる回復して大学病院を卒業?できるのは奇跡としか言えません。
肺は弱っているので無事に帰宅できたとしても元の生活に戻れる訳ではないですが、とりあえず命の危機を義父が乗り越えたことを神様に感謝しています。