大阪府に“子育てハウス”を作ります
現在、大阪府において“子育てハウス”作りを進めています。
お家のモデルは“昭和”です。「ひと、もの、こと、との関わりとはどういうものか」を再体験する家です。漬物をつけたり、野菜を育てたり、洗濯板で洗濯したり。買い出し、繕い物、料理etc。地域の母、子ども、おじーちゃんおばーちゃん、たまにパパ。で、「生活」とは何かを思い出す家。
私は社会学が大好き。学べば学ぶほど、現代日本の母親が感じる「子育てのしんどさ」は多くの要因が絡み合って発生していることを身につまされてきました。その数ある要因への処方箋を複数混ぜて組み込もうとしているのが“子育てハウス”。
その複雑な要因をここで一言で説明できたらいいのですが残念ながらその力量は私にありません。なので、これからブログやLINEでちょっとずつご紹介していこうと思います。
まず今回は、「人との繋がりの希薄化」を取り上げてみます。
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下の写真を見てください。1959(昭和34)年の東京・東中野駅付近が写っています。
どう見ても「うちの家はうちの家。あなたの家はあなたの家。関わらないで生きましょうね。」といって生活できる環境には見えませんね。
このころは、クラスメイトもご近所さんもみんな仲良し。何かあっても「みんなお互いさま」で丸くおさまっていました。今では信じられないけれど、そういう時代があったのです。
次に2000(平成12)年。同じカメラマンが同じ場所、同じ時間帯に撮影したもの。41年後です。
何が変わったか分かりますか。
『ひと目でわかるけれど、写真には、外で遊ぶ子どもたちの姿も映っていなければ、それを見守る大人の姿も映っていない。これが、ぼくたちが生きるいまの社会の風景なんだ。』著者の宮台真司さんは書かれています。
人が先に変わったのじゃありません。街が変わったから、人の関わり方も生活も、変わったのです。
「社会」の中で生きている人間は、「社会」の影響を必ず受けています。社会が変わると私たちの生活は変わります。考え方も気持ちも判断基準も色々変わります。社会が変わると人間の行動が変わります。「自分の気持ち」「自分の感情」と思っているものは、実は環境によって方向づけられていたりします。そうすると、“今自分が生きているのはどんな社会なのか”を知らないままでは効果的な解決法や対策は浮かんでこないはずです。
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1枚目と2枚目の写真。もう一度思い出してください。なぜ、あのように、街が変化したのでしょうか。
今の社会は、「安心、安全、便利、快適」を追求した結果、相手の生活に踏み込まなくても成り立つ生活を手に入れました。面倒臭い人間関係も、仕事も、どんどんシステムに置き換えてきました。その方が楽だからです。
その結果私たちはどうなったのか。相手に「どう踏み込んでいいか分からない」「どこまで踏み込んでいいか分からない」状況になってしまいました。
スタイリッシュ化(オシャレ化)による細分化で共通前提・共通感覚が崩壊。共通感覚がないためコミュニケーションが難しくなり、誰かに気軽に助けを求められないし、誰かを気軽に助けることが出来ない。
過剰に相手の言葉を探り、詮索するが共通感覚がないので考えても分からない。人とつながっている感覚がなくなり心が孤立。それにより不安。疑心暗鬼でなんだかいつもイライラ。故にほぼ皆がなんとなく鬱っぽい。
繋がりがないので仲間意識も育ちません。自分がした行動によって迷惑する人の顔も思い浮かびません。ゆえに仲間の為に何かするという内発性の動機付けも起こらない。自分が得をするためにしか行動できない人間になってしまう。平気で自己中心的行動へ。今回のコロナウイルス騒動によるトイレットペーパー買い占めなどわかりやすい例です。
資本主義社会では利益や得を多く得られる会社が生き残っていきます。日本人男性はとりわけ(文化的背景によって)、その「(資本主義)社会」=「生きる世界」だと認識している人が多いので、「相手にそこまで踏み込まない」状態であってもそこまで困りません(虚しさや疲労はたまるだろうけれど)。困っていたとしても緊急事態とはなりにくい。相手に踏み込むことは逆に非効率。それよりも、システムによって効率化し、利益を得ることが重要事項。なので「人との繋がりの希薄化」に対する切迫感が薄いと思います。(社会主義でもシステム化が進むのは同じです。「社会」とはそういう性質ものだからです。)
でも、子育てはそうはいかない。子育ては共同でしなければ回りません。システムには置き換えれないことがとても多いのです。いや、実際には、子育てにおいても沢山のことがシステムに置き換わっています。でも、システムに置き換わるとあらゆるものとの「繋がり」が希薄化します。人との関係においても関係構築の中で享受する「感情」が置き去りにされ、劣化していきます。だから虚しい。母たちは、その虚しさに悲しみと焦りを覚えています。けれど、なぜ虚しくて悲しいのかが分からない。そうしていくうちに、子育て環境の中の大人の感情は劣化し、そこで育った子どもたちの感情も劣化が進みます。すると人間関係構築がますます面倒くさくなり、社会全体のシステム化はどんどん進みます。
「生き残りのためにシステムで効率化され加速していく社会」と「面倒くさい営みの中で助け合いながら共同で行わなければ成り立たない子育て」この狭間で女性はもがいていると考えています。
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時代の歴史の結果できあがったのが現代の環境です。私たちは、かつてあった「繋がり」を、結果放棄してきた。しかし「かつて」を知らない現代の私たちは、「繋がり」があったことさえ知りません。現代の状況が「普通」「普遍的だ」と思い込んでいます。だから今ある問題が問題視されません。
ならば、「かつて」を知ることが処方箋になり得ると考えました。「かつて」を知ることで、「なんか変だ、今」と気がつくことができる。
私が作ろうとしている“子育てハウス”は、現代で体感することが難しい共同身体性を体験する非日常施設。「共同体に包摂されるとはどういうことか」という感覚を取り戻す空間。「社会」の効率化は必然なので止めることはできません。けれどだからといって「生活世界」を忘れてしまったらしんどい。「社会」の中にある自分の日常生活は変えられなくても、ここにくれば大切なことを思い出せる、そんな家にしたいなと思います。
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ということで、大阪府豊中市において共同体“子育てハウス”作りを進めています。しかし、“子育てハウス”はひとりでは出来ません。そこで仲間を募集したいと思っています。この記事をみて興味が沸いた方、何かちょっとしたことでも手伝いたいと思われた方、同じ様に思っていたという方、家づくりは興味ないけど子育て環境についてもうちょっと詳しく知りたい、といった方がいらっしゃいましたら、ぜひ仲間になってください。
住んでいる場所は遠くても面白そうな企画なので話だけでも参加して聞きたい。自分の子育てや今後の活動に生かしたい、といった方も歓迎です。こういった話を真剣にする機会がないからこそ、こういうことを話せる場所を設置したいという思いです。性別年齢問いません。
関わりたい、知りたい方はこちらに一言メッセージをください。
本音で自分のことを語っていただける方だけご参加ください。みんなと仲良くするつもりがない方はご遠慮ください★
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記事の中で添付した写真は、私のバイブルである『14歳からの社会学 ーこれからの社会を生きる君に』(2014・宮台真司・世界文化社)から引用したものです。この記事に興味のある方は是非一度読んでみてください。社会の真実を優しく丁寧に教えてくれる本です。誰も教えてくれなかった自分の「生きにくさ」の原因を社会学で紐解いてくれます。
■blog主・福本桃子:現在「2歳4歳の子育て」と「保育士」をしている。ふたつの現場での経験を社会学・人類学・哲学・政治学・宗教学・アートなどボーダレスな分野の知から考察。これから子どもたちが大きくなって船を漕ぎ出していく社会に疑問が沢山。同じような疑問や不安を持つ子育て世代と、気付き・学び・疑問などをシェアして考えたい。友達申請はこちら→https://lin.ee/qK7pte
■トップ画写真:田沼武能《道に落書きする子どもたち 東京 台東》昭和36年 / 「写真家が捉えた昭和のこども」(2014・クレヴィス)より