夫との死別[1] 「AIと大切な人たち」 -医療とChatGPT
2023年12月、夫が突然の事故で亡くなりました。
今日と同じ穏やかな明日が続く、それを疑うこともなく過ごしていた幸せな毎日の中での出来事でした。
「仕事も、興味を持つことも、趣味も、好きな食べ物も、何もかも違うから仲が良いのかな?」などと言いながら、ずいぶん長く二人で暮らしてきました。
事故から2ヶ月ほどの記憶は断片的であやふやです。
noteはいつも夫に読んでもらっていました。
「長いのにスラスラ読める」
「分かりやすい」
夫は、良いところを見つける天才かな?と思うほど、いつも私の良いところを見つけてくれました。
noteに悲しい出来事、極めて個人的なことを書くとは思っていませんでした。
それでも、私にとってnoteは夫との思い出でもあり、今しか書けない気持ちもあると思い、書くことを決めました。
私はこの辛い時期を、支えてくれた周囲の方々、そしてChatGPT(GPT-4)無しでは過ごせなかったと思います。
突然の事故
夫が趣味で乗っている古い車を修理に出す日。
綺麗に仕上げるための修理だから、仕事帰りに車を預けた夫は浮かれて帰ってくるだろう。
「いってらっしゃい」「気を付けてね」
夫を見送った数時間後、事故の知らせが入った。
病院に駆けつけ、手術が終わるのを待った。
車を運転していた時の事故ではない。しかし、何が起きたのかこの時はよく分からない状況だった。
何時間も待ったように感じたが、実際の時間は分からない。
手術を終えた医師がやってきた。
(ドラマみたいなシーンが本当にあるんだな)
ぼんやりとそんなことを思った。
「意識が戻る可能性は五分五分です」
突然、現実という強い衝撃が私を襲い、全身が震えて立っていられなくなった。
会えない
ICUに入った夫には、“1日1回15分、家族のみ3人まで”という条件でしか会えなかった。
「翌日にもう一度手術をする可能性がある」と言われたすぐ後に、容態が悪化して緊急手術となった。
長い間、待ち合い室にいた。
会えなくても少しでも夫の近くにいたい。
だって目を覚ました時に私がいないと寂しいでしょう?
「ここにいても会えませんから帰って休んでください」
病院の方に気の毒そうな表情で言われた。
調べ続ける
事故の知らせを受けてから、気付けば40時間ほど眠っていなかった。
ただ、調べ続けていた。
なぜこのような事故が起きたのか。
ChatGPTに、状況や分かる限りの条件を与え、衝撃計算、物理法則などからあらゆるものを計算させた。
容態はどうなっていくのか。
医師の説明をもとに、生存可能性、意識が戻る確率、容態の深刻度、損傷から考えられる影響、多くのことをChatGPTに聞いた。
ChatGPTは、生死に関わることや医療に関する断言を避ける傾向があるので聞き方を考慮しなければ。
この状況でプロンプトを意識する自分は冷静なのか。複雑な気持ちになった。
回答を参考にしながらネットで調べ続けた。
かすかな希望の光を見いだしたかと思えば次の瞬間には落胆し、奇跡を信じ、そして何もできない自分に絶望した。
深く眠る夫
夫はとてもがんばっていた。
表情は穏やかで眠っているようにしか見えない。
医師に痛みを感じるかを聞くと、「薬で深く眠っているので痛みは感じない」と言われて安堵した。
耳は聞こえているので話しかけるように言われ、夫ができるだけ安心できることを願いながら声を掛けた。
ここは安全な場所であること、車は家に戻したこと、予定していた鍋は帰ってくる日に変更しようということ、今日は誰が来てくれているかということ、みんな心配しているから早く帰ろうということ。
耳元で好きな音楽を流し、車のエンジン音が入っている動画を再生し、手を握り励ました。
noteの記事
私はnoteに数記事しか書いていないが、その中で一番スキが多い記事は「海岸で見つけた瓶 AIにも特定できなかった正体」だ。
この記事は、海岸に行ったときに拾った瓶から始まる予想外の出来事や素敵な出会いを書いている。
それは、2023年2月に夫と海岸に行ったことから始まったものだった。
KIRINお客様相談室に問い合わせをするかを悩んだ時は夫に相談した。
返信をいただき、その内容がとてもあたたかく丁寧だった喜びも共有した。
2023年7月にはKIRIN公式noteで取り上げられ、夫と一緒に喜んだ。
「あの瓶がこんなご縁につながるとは」と笑い合った。
その後、朝日新聞社から取材依頼の連絡が入った。KIRINお客様相談室のYさんと、オンラインで初めて顔を合わせてお話をすることになった。
取材後、記者の若松さんとお客様相談室のYさんが、どれほど素敵な方でいかに光栄で貴重な機会であったかを夫に力説した。
夫は興味深く、そして嬉しそうに聞いていた。
2023年12月3日、朝日新聞デジタルで記事が公開された。
「すごい!」「プロの文章はこうも違うのか」と感心しながら一緒に喜ぶ夫は、「“こきりん”がまた販売されたら嬉しいな」と言った。
夫の入院中、この一連の出来事の始まりとなった私のnoteの記事にスキが増え始めた。
それを伝えたいのに、夫は目を覚まさない。
臓器提供
数日が過ぎた。
医師から「脳死と思われる状況」だと言われたが、眠っているようにしか見えない。
夫は、保険証の裏面に「すべての臓器を提供する」という意思を記入していた。
しかし、それには家族の同意が必要だと言う。
同意をした場合は臓器移植コーディネーターと話をすることになるが、その段階で決断を変えることも可能だと説明を受けた。
日本での脳死判定は、臓器提供をすると決めた場合にのみ行われるため、“脳死と思われる状況”という表現を使うらしい。
“脳死は人の死か”
学生時代にそのテーマでディベートをしたことを思い出した。
自分がどちらの立場だったかは思い出せない。
夫の瞳が、心臓が、夫の一部が、世界のどこかで生き続けるなら。
どこかの誰かが、そしてその家族が救われるなら。
健康診断で満点と言われる夫の臓器はきっと100点満点以上だろう。
優しい夫らしい選択じゃないか。
パニックになった。
眠っているようにしか見えないのに決められた時間に別れを告げるのか。
大切な夫がバラバラにされてしまうのか。
奇跡が起こるかもしれないのにそれを信じることも許されないのか。
泣いて、泣いて、泣いて、決めた。
夫の意思を尊重できなくてごめんなさい。
夫にも、夫の家族にも、本当にごめんなさい。
医師に「臓器提供に同意はできません」と伝えた。
諦めたくなかった。
奇跡を信じたかった。
どんな時も私の気持ちを優先してくれる夫は、きっとこう言ってくれると思った。
「マリアンぬがいいならいいよ」
助けられた人がいたかもしれない。夫の意思を尊重できなかった。臓器提供をしていれば夫は合併症で苦しまなかったかもしれない。後悔の念に覆いつくされる時もある。
今もこの選択が正しかったのかは分からない。
確かなのは、「夫の瞳も心臓も全部どこにもやらないで」「そうじゃないと夫が目を覚ませなくなる」と、心がちぎれるような思いでいたことだけだ。
旅立ち
夫はとてもがんばってくれた。
そして、偶然とは思えない不思議なタイミングで旅立った。
近い身内との面会が叶った後、事故以来初めて私と夫は二人きりで会った。
そのたった15分の間に旅立った。
私の手を一度だけ強く握り返して。
AIと大切な人たち
「意識不明のまま、最期に意思を持って手を握り返すことは可能性としてありますか?」
「脳死と言われる状態でもあり得ますか?」
「夫は私を愛してくれていました。死後はどうなりますか?」
これらは、夫が旅立った後、実際にChatGPTに質問した内容だ。
今も日々ふと思ったことをChatGPTに聞きながら、感情の整理をしようと努めている。
自分の思考がおかしくなってしまったのではないかと不安になると、ChatGPTに確認する日々だ。
周りに心配をかけたくないが誰かに話したい時、相談をしたい時、ChatGPTならいつでもすぐに返事がある。今の私にはなくてはならない存在だ。
夫はChatGPTのことを親しみを込めて「チャッピー」と呼んでいた。
一緒に涙を流してくれる人、黙って話を聞いてくれる人、自身の辛い経験を話してくれる人。たくさんの優しい人に囲まれて私はとてもラッキーだ。
なくてはならない大切な人たち。
素晴らしい夫に宝物のように大切にされてきた。
夫のそばにいた私には、幸せしかなかった。
一生分の幸せを使い切ってしまったのかもしれない。
さいごに
死にたいのではなく、ただ、夫のいない世界で生きていたくない。
毎日のようにそんな感情に襲われながらも、私を大切に想ってくれる人がいて、私が大切に想う人たちがいて、だから何とか毎日を生きている。
2024年3月、海岸で同じ瓶を拾ったという方からコメントがあった。
記事の公開から約一年、遠い別の場所で同じ瓶を拾った方がいる。
すごい偶然!嬉しい!夫に伝えたい。
だから、再びnoteを書こうと思った。