私が人種差別を受けた日のこと@アフリカ・ジンバブエ共和国
あの日、白人の男性に怒鳴りつけられた。
とても険しい顔つきで、私をにらみつける目は鋭かった。
両手で追い払うしぐさをされた、まるで野良犬を追い払うように。
今まで出会ったことのないタイプの人間だと思った。
理由は「私が白人ではない」、ただそれだけのことだった。
30年以上たつというのに、いまだに「許せない思い出」として残っている。しかし許せないのは、その白人男性だけではなかった。
私の中にも「人を差別する」という醜い気持ちがあることに気づいてしまった。
今から書くことは、人種差別を受けた「許せない思い出」から始まるが、私が持っていた「人を差別する」という気持ちについて書いてみようと思う。
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これまでnoteに投稿する内容は「明るく楽しく!」を心がけてきました。
暗い話を書いても、最後は前向きな気持ちに変換して終えました。
けれど、ここは🌈定期購読マガジン『虹色通り』🌈
今日は自分に正直になって、書かせていただきます。
お付き合いをいただければ嬉しいです。
noteの街の小さな商店街🌈『虹色通り』へようこそ!
それでは 🌈定期購読マガジン『虹色通り』🌈 開店です!
「はられ」という私のエディター名は、ジンバブエ共和国の首都ハラレからきている。
今から30年近く前、夫の赴任に帯同して2年と1ヵ月住んだ街。
ハラレは町ではなくて、街だった。
高層ビルや五つ星ホテルが立ち並んだ近代的な街。
イングリッシュガーデンがあちこちにあり、自然豊かな美しい街でもあった。
上のアイキャッチ写真は、ハラレで知り合った友人たちを我が家に招いたときの一枚。長身の男性は、ジンバブエで生まれ育った白人のジンバブエ人。長い間、イギリスの植民地だったため、彼のように先祖がイギリスからやってきたという白人のジンバブエ人は、当時多かった。
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ある日、親しくしていたエミリー(仮名)の家へ遊びに行った。彼女は当時25歳のイギリス人。両親の家を出て、ハラレの郊外で恋人と暮らしていた。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました m(__)m あなたの大切な時間を私の記事を読むために使ってくださったこと、本当に嬉しく有難く思っています。 また読んでいただけるように書き続けたいと思います。