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弟の命日に
12年前の今日、早朝に弟が亡くなりました。
数年ぶりに会って、私の家で父と3人で鍋を囲んだ翌朝のことでした。
12月のある日の朝、東京に住む弟から、九州に行くと連絡が入り、午後から仕事を休み、弟を迎えました。
震災後、九州に移り住んだ父の見守りをしながら、仕事を続けている時期でした。
弟は、その9か月前の震災のこと、被災して亡くなった母のこと、九州に移り住んた父のことにずっと無関心でした。
電話には出るものの、関わりたくない様子をはっきり示していたので、私は弟をあてにしないようにしていました。
人と関わるのが苦手の弟でした。両親と疎遠になっていたことも知っていました。それでも、私が東京に行った時に近くまで会いに行くと、お茶につきあってくれました。
その弟が「もう一度家族になりたい」と言うのでした。
私は、「ずっと家族だよ~」と迎え、父と3人で過ごしました。
結局、この「3人で」がまずかった、とずっと心残りになっています。
認知症が進行している父は、何年も会っていなかった息子が会いに来た嬉しさでしゃべり続けました。
施設のスタッフさんに「東京の息子が泊まるから」と簡易ベッドも借りていました。
その夜、私は弟と握手して、「またね」「今度は私のところに泊まってね」と笑顔で別れました。弟は、いったん東京に帰り、また九州に来る約束をしました。
父には、「おとうさん、たくさん話したから、今日はもう終わりにしてね」とくぎをさし、油断していました。
2人で会って、弟の胸に詰まっているものを聴いてあげることができていたら、たぶん、何か変わったのではと思います。
少なくても、父の住むサ高住に泊まった早朝にベランダから飛び降りて、もう会えなくなることはなかったと思います。
「また」「今度」はありませんでした。
後から、いろいろと気がつきました。
弟が不安でいっぱいで、安心できる居場所を求めてやってきたこと。
弟が好きな、すき焼きを作ったのに、二口ぐらいしか食べられなかったこと。
6歳年下の弟は、本当に可愛い男の子でした。
「おねーたん」と呼んでくれる弟がいる、とってもかわいい、という内容の作文を書いたのを覚えています。
小さい存在への愛情を教えてくれたのが、弟でした。
私の二人の子どもたちが幼い頃に、たくさん遊んでくれました。
あの時、私に何ができたか、と考え続けること、弟を忘れないことが、今の私にできることだと信じています。