noteをはじめてみました🖋
noteをご覧いただきありがとうございます。
現役バレエダンサーのmariaです。
タイトルの通り、noteを唐突に始めてみました(笑)
というのも今回理由があり…
この件も含め、今回は主に私の話になってしまいますが、
ご紹介させていただきます。
母子家庭で育ち、田舎で踊り続けていた子供時代
地元は北九州の田舎。
私の家は母子家庭で、母が女手一つで私を育ててくれました。
幼少期の頃は、宝塚男役トップスターになりたいという夢があり、
モダンバレエ、ジャズといったミュージカルに適応できるスタジオに
通わせてもらってました。
約7年間、宝塚の為に踊ってきましたが
小学6年生の頃に身長が止まってしまい…
宝塚の夢は諦めざるおえなくなってしまいました。
その後の2年間は、夢も希望もなく
勉強が嫌いだったので専門学校の高校に入学し、
ぼーーーーっと過ごしてきました。
ですが、高校1年生の10月、友達のバレエの発表会へ誘われた為
乗り気があまりしない中、見に行きました。
そこで楽しそうに舞台の上で踊る友人を見た時に、
「あぁ、また踊りたい」
凄く強く感じました。
久しぶりの高揚感、今思えば根っからの舞台人性質なのかもしれません(笑)
そこから私は、16歳という周りよりも遥かに遅くクラシックバレエを始めました。
しかも趣味ではなく、「プロのバレエダンサー」になる為に。
夢を見つけたものの、現実を突きつけられた10代後半
自分の夢を見つけることができ、
それを目指せるようにスタジオに入れた事は凄く嬉しかったことを今でも覚えています。
ですが、現実はそう甘くありませんでした。
第一難題 「怪我」
私は運動神経がいい方で、元々別のジャンルの踊りを踊っていたので
基礎がなくてもそれっぽく踊れてしまうんですよね。
極端な話、結構最初の方から飛べてましたし回れてました。
ですが、基礎がなっていない分、怪我の頻度が凄く多く
始めて5か月目で、まずは左足の甲を「疲労骨折」
その後は、「捻挫」「すべり症」「坐骨神経痛」「半月板損傷」「前十字靭帯損傷」「肉離れ」
いろいろしてきては、休んで…の繰り返しでしたね…(苦笑)
休んでも完治する訳ではないので、
「捻挫」「すべり症」「坐骨神経痛」「疲労骨折」「肉離れ」は
今でも抱えながら踊っている状況です。
怪我をして休む = その期間はまったく踊れない訳ですから、
ブランクがどうしても出てきますし、費用もかかります。
私は特に周りよりも怪我が多かったので、
人よりも頑張らないといけないのに、かなりもどかしい時がありました。
第2難題 「基礎」
すべての事に関して言えますが、
「基礎」できずに「応用」ができる訳ないと思っています。
仮にできたとしても、それは不完全のもので
諸刃の剣とも思えます。
バレエもまさにそうです。
回転する、飛ぶ、足をあげる。
それだけなら正直、運動神経のいい人や体が柔らかい人であれば簡単にできますよね。
でも、それだけでは駄目なんですよ。
すごく、専門的知識になりますが
一つ例として「足をあげた時のバレエの理想の形」をお話させていただきますと、
膝が曲がっている、つま先が伸びていない。
この上記2つに関しては、バレエの世界では論外です。
最低限守るべき形です。
膝が曲がって、つま先すら伸びておらず、上半身も傾いており…
プロのバレエダンサーでそういう足をあげる人はいるでしょうか?
いないですよね。
「足を横にあげてキープする」という一つの形の中だけでも、
・膝を伸ばす
・つま先を伸ばす
・軸足を床でしっかり押し、反発した力で上に伸びる
・軸足もあげてる足も股関節からターンアウトをする
・軸足のかかとに乗りすぎず、すぐにつま先立ちができる所に重心を置く
・上半身を傾けない
・前側の太ももで上げない
・足首を完全に固定させる
いかがでしょう?
たった一つのポーズの中だけでも、これだけの事を一度に一瞬で考えなければいけません。
それらが出来てこそ、
綺麗なポーズになり、より洗練された踊りに繋がっていきます。
これらが整うには、
「基礎」作りが大切です。
私はこの「基礎」が周りよりも習得するのに時間を要しました。
今でこそ、ようやく少し追い付いてきたかな…?
と思うものの、まだまだ基礎は足りないので習得中です。
周りの子は、小さい頃からバレエをしている為
ほとんど基礎が出来ている状態の中、
私はそれをほぼ大人の体に変化してきている16歳で始めたので
基礎づくりの部分では、人よりも苦労していると思います。
(子供と大人では、体に染みつくスピードが違いますから…)
第3難題 「金銭面」
「バレエはお金持ちがするイメージがある」
こういう印象を持たれがちですが、みなさんはどうでしょうか?
結論お話します。
実際に、本格的なクラシックバレエ教室であれば
お金持ちの子供が多いです。
私の周りですら、
「医者の娘」「教授の娘」「社長の娘」なんて、ざらにいました。
昔よりは、一般的にバレエを習いやすくなった環境かもしれませんが
やはり現代でも、お金持ちが多いと私は思います。
言い方を変えると、お金がないとバレエができないが正しいかもしれません。
一般的なバレエ教室の1カ月にかかる平均費用は、
これだけでも、1カ月で最低3万円必要になってきます。
ただし、多くがこの上記だけですまず下記のような事項が追加されます。
コンクールは、スタジオの方針や人により異なりますが
私は1年に3回ほど、出場していました。
その内、1年に1回は遠方のコンクールに出ていました。
発表会では、主要配役になる事が多かった為
他の子に比較すると費用がかさんでいた方でした。
先程、お話した通り私の家は母子家庭です。
さすがに限度があり、
とてもじゃないですが続けていくには無理がありすぎる金額です。
最初こそいいものの、
次第に苦しくなっていき、私も高校を辞めてアルバイトをしながら
バレエに通っていましたがそれでも追い付かない状況でした。
最終的に、首をくくらなくてはいけない。
そこまで追い詰められたので、私は一度バレエを辞めることにしました。
フリーになり、挑戦と挫折を繰り返した20代前半
スタジオに所属しなくなり、フリーでも自分なりに練習してきました。
今まで教えてもらった事を何度も振り返り、
フリーで一度、コンクールにも挑戦しました。
そこでなんと、
イタリアへの短期留学のスカラシップを獲得することができました。
所属していない=ツテも何もないので、
結果は凄く絶望的でした。
この結果は、私自身凄く嬉しかったことを覚えています。
このチャンスは逃したらいけないと思い、
母と二人、イタリアへ行く作戦を練り、
19歳の夏に単独でイタリアへ行ってきました。
そこで見たもの、聞いたもの、感じたもの、
すべて私の良い経験になったと今でも思います。
また、一人ではなく自分の踊りを誰か教えてもらいながら
レッスンが出来る環境に凄く喜びを感じれましたね。
当たり前のように思えますが、
実は当たり前ではなく、教えてもらえる環境
見てもらえる事というのは凄く感謝すべきことなんだと私は思うので、
その心を忘れずに、常にレッスンに取組んでいます。
帰省後、またフリーとして練習してきましたが
次第に練習をする機会が減っていきました。
理由は、以前のバレエ教室で無理をした結果招いた借金の返済の為。
そして生活の為でした。
母も体が強くなく、
何度も私の為に無理をしては体調を崩すを繰り返していました。
フリーとはいえ、バレエをしていくにはやはりお金がかかります。
母の「あんたのバレエを舞台で観たい」という想いを知りながらも、
バイトを何個も掛け持ちし、バレエをする事が少しず減っていきました。
新たなスタジオで再スタートするも、バレエが出来ず苦悩した時期
レッスン頻度は少なくなっていたものの、
たまに自分でスタジオを借りて練習はしていました。
そのスタジオの先生とは、仲良くさせてもらっており
よく、そのスタジオのバレエの事も話を聞いていました。
ある日、母と話しました。
以前、行っていたようにプロを目指すようなスタジオではないものの
教えてもらうという場所がやはり必要なのではないか。
現に私も「それは確かに」と思いました。
ここのスタジオであれば、プロ育成をする訳ではないので
費用もバレエ界の中では、凄くリーズナブルな設定でした。
私がバイトをしながらであれば、やっていけるかも。
そう思い、私はまた新たなスタジオに所属する事を決意しました。
そこから、またバレエ三昧の日々が約半年ほど続きましたが
また私が怪我をしてしまい、3カ月お休みしなければいけなくなりました。
当時、出場予定だったコンクールもキャンセル。
その際にコンクールの運営側と揉め事があり、
スタジオの先生とも少しゴタゴタがありました。
その後、全方向で和解には至りましたが
その当時の私は、
「バレエを辞めるしかない」とまた追い込まれてしまいました。
やはり費用はかかるので、余裕のない中でそういう揉め事があり
心身共に少し疲れてしまっていたのかもしれません。
そのタイミングで私はある個人経営している会社に
正社員として就職した為、バレエも1カ月ほど休みました。
その後、すぐ復帰したものの週1でのレッスンしか行かず
とてもプロを目指すような体制ではない状態が続きました。
SNSでバズり、活動を広めていく内に広がった自分の世界
世界中がコロナ渦になる少し前、
私はTikTokでバズり、SNSでの活動を広げていっていました。
インフルエンサーや案件、モデル撮影やMV撮影。
いろんな貴重な経験させてもらえたと思います。
そこから少しずつ、収益を得れるようになり
必要以上にバイトをつめこまずに済んでいきました。
そして、少し余裕が出てきた頃に私にはある1つの想いが出てきました。
「やっぱり踊りたい」
丁度、次の発表会の演目決めやコンクールの参加申し込みの締め切りなど
いろいろと重なっていた時期でした。
23歳、24歳。
本来であれば、既にプロとして活動をしているべき年齢です。
プロまでいかなくても、やっぱり踊りたい、上手になりたい。
そして私なりに舞台の上で踊り続けたい。
その想いが強くなっていきました。
ですが、現実は甘くなく全然レッスンをしてこなかったツケは
かなりありました。
2022年1月から、私は一気にレッスンを週4にし
プラス自主練もいれ練習を始めました。
やっと本気で打ち込めた24歳、そしてバレエ団入団へ
練習をいれていたものの、
心のどこかで「この年齢では私はもうプロになれない」
そういう思いが強くありました。
4月17日、私の誕生日にありがたい事にバレエの仕事をいただき
その仕事で踊ってきました。
そこで、一人のダンサーと出会いました。
そのダンサーは、私の踊りを見てこう言いました。
「こんなに踊れるのに勿体ない。バレエ団には入らないの?」
今の私にどれだけ可能性を広げてくれる言葉だったか。
「私には可能性があるんだ」
「プロをまだ目指してもいいんだ」
その瞬間に世界が広がったといっても過言ではありません。
その後、夏に出場予定だったコンクールの演目も
そのダンサーは本番直前に指導してくれました。
その結果、初めての一位。
一位をとった後、バレエ団と交渉した所
プライベートオーディションの許可をもらえ、
実際にバレエ団へ急いで足を運んだこともよく覚えています。
そして、ばたばたと入団が決まりました。
凄く遠回りはしてしまったものの、
いろんな人の助けのおかげで、今の私がいます。
自分の可能性を広げる勉強の場
現在は、バレエ団に所属しながら
正団員を目指し、日々レッスンに取組みながらバイトをこなす毎日です。
そういう生活をして約1年ほど経とうとしてますが、
ふと感じました。
「プロになれてもあまり稼げない」
そうです。
日本のバレエ団はあまり稼げません。
私は以前、バレエをやりこむ為に借金が出来ている為
それを返済する為に普通よりも多く稼がなくてはいけません。
朝5時に起きて、レッスンに行き、そこから夜の23時までバイトして…
そしてまた次の日の朝5時から起きて…
ずっとこの生活が続くのは、
私自身きついというのが本音です。
であるなら、自分の将来の可能性を広げる為に
何かスキルを身につけるのもいいのではないかと思いました。
考えた結果、ライティングという職種に興味をもちました。
現在、私がしているアルバイトは体を酷使するもので時間縛りも非常に強いです。
ライティング業務であれば、在宅ワークで完了でき、自分の能力次第で稼ぎ方や時間の使い方も、良い方向へ大きく変えることができるかもしれません。
現在、私はとある凡サイトを使用しながらライティング案件を少しずつこなしています。
それと同時に、以前から私を応援してくれているみなさんに向けたものを、このnoteという場で、お送りしたいと思いました。
YoutubeやTikTokが、なかなか投稿できなくなった今だからこそ、
私が作れる隙間時間での、みなさんとの繋がりとも思っています。
最後に…
今回は、私の生い立ちやnoteを始めたきっかけについてお話させていただきました。
初回なので堅苦しい表現が多かったと思いますが…(笑)
少しずつ慣れて、砕けた表現なども取り入れながら
発信していければと思っています!
以上、「私の生い立ち」「noteを始めたきっかけ」回でした!
maria
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