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2.幸せだった(と思う)0〜3歳

こんばんは!
平成生まれのアラサー、地方局でアナウンサーをしていたmariaです。

note初心者ですが、自己紹介の記事にたくさんの『スキ』をつけていただいて、おひとりフォローしてくださって、とてもうれしいです♪
ありがとうございます!

それでは早速、人生を振り返っていきます。(個人を特定されないようにするため、アバウトに書く部分もあります。)
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平成○年、春 maria誕生。

両親にとって初めての子ども

父方の祖父母にとっては初孫

名前入りのオリジナルアルバムに誕生から1歳になるまでの写真がたくさん残されていることからとてもかわいがられていたのが分かる。

また、いつハイハイするようになったか、いつ歯が生えたかなどを細かく記した育児日記もあり、母からの愛を感じる。

そんな私の初語(はじめて話した言葉)は『ねんね

『ママ』でも『パパ』でもなかった笑

私は昔から昼寝はほとんどせず、夜泣きもひどかったため、常に『ねんね』と言われているうちに覚えたのだと推測する。

ここまでは0歳から1歳初めのお話。
もちろん記憶はないので、両親から聞いた話や今手元にあるものから想像で振り返った。

私の人生で最も古い記憶、それはいつだったのかはっきりは分からないが、おそらく2歳ごろ

相変わらず夜泣きがひどく、親曰く夜驚症(やきょうしょう)だった。
夜中に突然目を覚まし、泣き叫びながら家中を走り回っていたらしい。

元々短気な父は耐えられず、私を抱えて一階の寝室から階段を上り、ベランダに出て、一言。
これ以上泣いたらここから落とすぞ!』だった。

後ろから母が走って追いかけてきて『やめて!』と言っていた。
あまりの恐怖に、ベランダから見えた駐車場の光景が、とても鮮明に記憶に残っている。

後に父にこの話をしたところ、『本気なわけないじゃん笑』と言っていた。まぁそうだとは思うが、あの瞬間、実行に移すかどうかは置いておいて、本当に怒っていたのは間違いないと思う。

このエピソードからも分かる通り、父は怒ると怖いが、基本的に両親はもちろん、祖父母など全ての人から愛情いっぱい育ててもらい、楽しい日々を送っていた。
この先もずーっとこんな毎日が続いたらよかったのに。
これが私の幸せだった(と思う)0〜3歳。

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振り返り初回、どれぐらいエピソードを盛り込むか悩んだけれど、記憶がない時期が大半を占めるので、わりとあっさりとした内容に。

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