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モスクワの美しい秋 コローメンスコエ公園の散策
モスクワの秋は、黄金の秋と呼ばれています。
秋になると木々の葉が黄色になるために、そのように呼ばれていると聞いています。
今回は、モスクワの秋の散歩を楽しむために、コローメンスコエ公園へ行きました。
コローメンスコエ公園は、モスクワ市にある最古の公園です。
最寄りの地下鉄の駅は、コローメンスカヤです。その駅から、歩いて行きました。
なお、コローメンススコエ公園の公式サイトは、(https://www.mgomz.ru/ru)です。
コローメンスコエ公園について公式サイトの説明によりますと、
(1)コローメンスコエは、モスクワで最も古い人類の居住地の1つである。
近隣にある考古学的遺跡は、石器時代 (紀元前5千年紀から紀元前3千年紀) の人々が存在したことを証明している。
(2)コローメンスコエにある昇天教会については、1532年に初めて言及された。
伝説によれば、この教会は、ヴァシーリー3世の後継者、つまり後の皇帝イヴァン4世(イヴァン雷帝)の誕生を記念して建てられました。
なお、この教会は、1994年にユネスコの世界遺産リストに登録されました。
今回の散策のルートは、コローメンスカヤの歴史に触れるという観点でルートを考え歩きました。
【1】コロムナ農民の住宅
コローメンスコエのボリシャヤ通り(アンドロポヴァ通り)沿いには、村の鍛冶屋と 農民の屋敷が再現されています。
ここで、再現されている農家は、レンガ造りであり、裕福な農家です。
広々とした空間の中で見られる家具、テーブルセット、窓辺に置いた備品等、シンプルな中に温かさを感じました。村の商店を復元したような棚もあります。壁にかかっているポスターもレトロ感一杯です。なつかしい感じがします。コロムナの農民は、特別のキャベツの品種を生み出したとか。
そういえば、倉庫にキャベツがたくさん保存されてました。農家が飼っている鶏や馬に、見学に来た子供達が楽しそうにはしゃいでいました。
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【2】鍛冶屋
鍛冶屋の敷地には、2件の家、鍛冶場、納屋があります。鍛冶屋の仕事場には職人さんがいて、職人さんの話では、注文を受けて製作することもあるそうです。ここの鍛冶場は19世紀の鍛冶屋の職場を再現しています。ここでは、展覧会のほか、マスタークラスや博物館クラスも開催されているようです。 昔の衣装を着た案内の人達が子供達を連れて、鍛冶屋に来ていました。
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【3】はちみつマーケット
以前から、コローメンスコエで定期的に開催されるはちみつマーケットは有名でした。昔から、コロメンスコエの王の邸宅の領土にある村は、優れた蜂蜜で有名でした。有名なロシアの蜂蜜はここから王室の食卓に供給されただけでなく、海外の商人にも販売されたそうです。海外では、ロシアの蜂蜜は「甘い黄金」と呼ばれていたそうです。そんな言われがあったのです。
【4】スパスキーゲート
スパスキー (裏) 門は、1670年代に国王の中庭の壁とともに建設され、宮殿の敷地の経済的な部分への入り口として機能しました。正門と同様に、スパスキー門には2つの通路があり、1つは旅行者用、もう1つは馬車用です。正門とは異なり、スパスキー門は非常にシンプルなデザインです。
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【5】洗礼者ヨハネの斬首教会
スパスキーゲートからいくつかの庭を通り、尾根にかかる階段を昇り降りして、ディアコヴォの洗礼者ヨハネ斬首教会にようやくたどり着きました。結構長い時間歩きました。ディアコヴォの洗礼者ヨハネ斬首教会は、モスクワ川の上の高い段丘に立っています。この教会は、1547年に建てられました。多数の柱を備えたこのユニークな建物は、モスクワのイワン雷帝治世の建築記念碑です。教会のレイアウトと建築上の特徴が、赤の広場の聖ワシリイ大聖堂に似ていることから、おそらく建築家はバルマとポストニクだと思われています。
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【6】主の昇天教会
主の昇天教会は、コロメンスコエの主要建築傑作であり、ロシアで最初のテント屋根の教会の1つです。1994年にユネスコの世界遺産リストに登録されました。モスクワで同じ地位にあるのは、クレムリン、赤の広場、ノヴォデヴィチ女子修道院だけです。伝説によれば、この寺院は、ヴァシーリー3世の後継者、つまり後の皇帝イワン4世(雷帝)の誕生を記念して建てられました。
専門家らは、この建築家はイタリア人のピエトロ・アニバレ(ロシアではペトロク・マロイと呼ばれている)ではないかと示唆しています。1532年までに工事は完了し、大公とその家族の立会いのもと教会は奉献されました。
あいにく、訪問時、 昇天教会は修復のため閉鎖されていました。
修復が終わったら、ぜひ、見に行きたいと思います。
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【7】宮殿パビリオン
宮殿パビリオンは、アレクサンドル 1 世の宮殿で現在まで残っている唯一の部分であり、宮殿と同様に建築家 E. D. チュリンによって設計されました。1825年のパビリオンは、おそらくエステート劇場を意図したものでした。確かに、皇帝の突然の死により、皇帝はパビリオンにも新しい宮殿にも訪れることができませんでした。
【8】給水塔
この塔は皇帝の中庭の一部であり、皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチの治世中に建設されました。この建造物は王の邸宅に水を供給するために建てられ、またコローメンスコエから隣の村ディアコヴォへの通行するための門としても機能しました。塔の下に源泉がありました。特別な機械(ポンプまたはスクープシステム)を使用して、水を上部のレベルまで上げ、そこから、上部の木製パイプを通って宮殿や王宮の他の建物に届けられました。
【9】聖ジョージ教会と聖ジョージの鐘楼
16世紀に建てられました。鐘楼教会は主の昇天教会と同時に建てられたようです。鐘楼の建築家は、フリャジンという愛称で知られるイタリア人のペトロク・マロイである可能性が高いです。17世紀の終わりに、教会に木製の食堂が追加されました。その下の階は祭壇になりました。19世紀の40年代に、木製の食堂は解体され、その場所にE.D.チュリンの設計に従ってレンガ造りの新しい建物が建てられました。20世紀の20年代に修復が行われる前は、これらの建物は1つの全体を形成していました。現在、聖ジョージ教会と食堂の建物は分離しています。
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【10】正門
正門は1672年から1673年にかけて昇天教会の向かいに建てられました。17世紀にそれらは君主の中庭への正面玄関として機能し、王室とそのゲストは正門を通って敷地に入りました。正門は巧みに装飾されていたため、美しい正門とも呼ばれました。宮殿の正門のアンサンブルでは、紀元前5~3千年から、20世紀初頭までの、コロメンスコエ村とその周辺の歴史を紹介する常設展が行われています。この展覧会は、コローメンスコエのすべてを一度に学ぶ最良の方法です。
【11】請願の柱
請願の柱は1667~1670年代に建てられました。アレクセイ・ミハイロヴィチ皇帝の保存されていない宮殿の正面ファサード近くの君主の中庭に位置しています。伝説では、17世紀には王の命令が柱に掛けられ、教区民が要望や苦情をここに持ち込んでいました。その後、特別な使用人が君主に提出されたすべての請願書を集めました。
【12】カザンの聖母教会
当初 この場所に、最初の木造寺院がポーランド人からのモスクワ解放を記念して、1630年代にロマノフ王朝の初代皇帝ミハイル フョードルヴィチの命令によって建てられました。1650年代に、木造教会のあった場所に新しい石造りの教会が建てられました。その理由は、ツァーリ・アレクセイ・ミハイロヴィチの後継者の誕生でした。ツァーレヴィチ・ドミトリー・アレクセーヴィチは、1648年、まさに神の母のカザン・イコンの日に生まれました。カザン教会は、17世紀の建築に特徴的な様式で建てられました。
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敷地が広く、また、見るところが多くて、散策には、時間がかかりました。
農家や鍛冶屋のレトロ感、シンプルなインテリアには、なんとなく心が惹かれました。
はちみつ市での楽しい買い物。のどかな馬車。木々の木漏れ日。黄色に染まる木々の葉。新鮮な空気。ゆったりと流れるモスクワ川。広々とした空間。教会ではお祈りする人々。
日々の喧騒の中で、コローメンスコエ公園は、古きロシアを感じることが出来る場所です。時々出会う、昔のロシアの衣装を着たガイドさん達を見るのも楽しいものです。
コローメンスコエ公園散策は、1日では終わりません。まだまだ、楽しみが残っています。
ここまで読み進んで頂き、誠にありがとうございます。
私なりの目線で捉えた動画です。ぜひ動画をお楽しみください。