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【国内一人旅スタート】22年2月・後半のふりかえり


こんにちは、Mari(@Mariiiabroad)です。ただいま大阪から次の目的地へと移動中。

さて、前回宣言した通り、東京を離れて気ままにフラフラしている。フラフラといっても全く何もしないのは性に合わないので、どこへ行くかは何となく決めた。

今は一人旅を始めて1週間と少しが経った。今回はそんな2月の下旬について記事を書いていく。


前回の記事はこちら


1. 旅の準備期間

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友人の働くカフェには色んな旅の書籍が置いてあった。

2月上旬は移動が多かった。

親のいる所、エアビー、友人の家、ホテルやホステルを転々とした。

落ち着かなかったけど、色んな話ができて楽しかった。旅を始める前に、久々に一人でゆっくりする時間が欲しかったためホテルとホステルに滞在した。

この間に日本のどの辺りを行くのかや、最初の数日間の交通手段や宿泊など、基本的なことを抑えた。


2. 熊野古道

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今回の旅のスタート地点に選んだのは、和歌山県にある熊野古道。言わずと知れた世界遺産だ。


カナダにいる時、「日本に帰国したらどこに行きたいだろう」と考えた時、いくつか浮かんで来た場所があったが、熊野古道もその一つだった。


もともと私は登山やハイキングが好きなわけではなかった。今もそこまで好きなわけではない。だが、旅をスタートさせるにあたって「無心でただ歩く」というのはシンプルでいいなと思った。


調べた結果、熊野古道にはいくつかルートがあると分かった。その中でもメジャーで、滝尻王子から熊野本宮大社へと向かう中辺路(かなへち)を選んだ。


1泊2日して、1日20キロ、2日で40キロ歩いた。


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途中かなりアップダウンがあり、「ハイキングの延長だろう」と思っていた自分の甘さを知った。

実際はかなりアップダウンがあり、また、2月ということもあり、場所によってはチラチラと雪が降っていた。


無事に神社に着いた時は「やっとだー」というよりは、「あれ? もう着いたの? 」という印象だった。海外で何本かハイキングをして、欧米人のペースに慣れていたおかげで鍛えられていたのかもしれない。


本宮で1泊して、ゲストハウスに宿泊した。本宮の人々はみんな温かくて、ご褒美に行った寿司屋さんで定食を食べたら、地元の方が支払ってくださった。


そのままおじいちゃんの家に呼ばれ、熱燗をいただいた。


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翌朝は温泉で疲れを癒した。そのまま和歌山市内へ移動し1泊した。


旅の醍醐味はどこでどんな景色を見るのかよりも、誰と出会い、どんな会話を交わしたかだと思った。熊野古道では、人のやさしさ、温かさに触れることが多かった。


3. 高野山

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Bucket Listの中に「お寺に泊まりたい」というのがあった。海外で暮らす前からの願望で、最初に思いついてから軽く5年は経っている。

その願いを叶える時が来た。


沢山歩いた後、静かに自分を内観する時間を設けよう、というわけだ。結果、そこまでゆっくりできたわけではなかった(笑) いつものクセで色々と予定を入れたからだ。

2泊くらいできれば違ったのかもしれない。


高野山にしたのは、せっかく和歌山に行くのでどうせならと思ったから。


滞在中は阿字観という瞑想をしたり、写経をしたり、朝のお勤めに参加した。


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写真撮影もOKなんだって。
設備といいサービスといい、もはや旅館である。(値段も旅館並みだったが)


ここで同年代の一人参加の女性と仲良くなった。実は先日も和歌山で、3ヶ月前にカナダから戻ってきて今和歌山に移住を検討しているという年下の女性と知り合いになった。


熊野から高野山の一連の旅で、人との縁を感じずにはいられなかった。以前は興味がなかった熊野になぜ今回呼ばれていたのか分かった気がした。


人と話した会話の節々、歩いている時にふと思いついた言葉、移動中に読んだ本など、全てがこれから歩く道を照らしていくヒントのように思えてくる。


宿坊で一泊した翌日は、せっかくなので観光することにした。本当は宿坊でもっとゆっくりしたかったけど、チェックアウトの時間なので仕方ない。


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教科書でも見たことのある、根本大塔。



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「今を生きる」
「出逢いの中に法あり」
「気づき それが悟り」


などなど、まさに思っていることとシンクロした名言にグッときた。


正直お寺の観光はよく分かんないし疲れちゃったけど、ここは好きだった。


4. 大阪3DAYS

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和歌山で5日ほど過ごし、大阪へ移動した。特に観光をするでもなく、あくまで次へ移動するまでの休憩地点として選んだ。


朝はMeetupなどのイベントに参加し、午後は次の目的地の宿を抑えたり、リサーチをしたり、思い思いに過ごした。


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大阪でもいくつか出会いはあったけど、正直都会なので東京のそれとあまり変わらない。


特に期待をしてなかったのでいいのだか、和歌山ほど濃い時間ではなかった。いいか悪いかでなく、自分の性分的に大阪はあまり合っていないんだと思う。

東京みたいにせかせかしてて、東京よりも雑然としている。


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参加した読書会の帰りに立ち寄った梅田スカイビル近くにて。


ホステルはあまり良くなかった。
長期滞在の中年の人が多くて、言葉は悪いけど日雇い労働者の生活拠点のような感じだった。


若い人がいても都会にありがちな「私に構わないで」オーラ全開で、挨拶することもない。休憩ポイントなのでそれで問題なかったのだけど。


5. おわりに

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熊野本宮大社旧社地 大斎原(おおゆのはら)の鳥居 (日本最大なんだとか)


熊野古道を歩いている時、色んなことが浮かんできた。自然の中を歩くことは、宿坊で瞑想すること以上の効果があったように思う。


動いて世界と触れることと、自分自身を内観してつながる時間。このどちらも大切で、バランスが肝心なんだと思う。


陰と陽、静と動、与え与えられること。


東京のホステルにじっとしているだけじゃ見えない世界がそこにはあった。


何かに突き動かされて動いているわけじゃないんだけど、この旅は自分の中で必然で、「しない」という選択肢が不自然に感じる。


不思議と不安はない。「この先もきっと大丈夫」自然とそう思えるのだ。


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奥の院までの道で、雪をかぶった弘法大師像。


前に進むだけが人生ではない。
キレイな景色を見るだけが旅ではない。


その過程で誰と会い、どんな経験をしたか。そんな旅路における中身の方が、実は大切だったりする。


人生も旅も、スタンプラリーではない。


いろんな感情を味わい、様々な人生にふれ、立ち止まったり進んだりしながら深みを増していくのだろう。


帰国したばかりの時は、2年ごしで日本に帰ってこれたことにピンと来なかったけど、今はこうして、自分の意志で自分の行きたい所へ行き、好きなことができる自由を少しずつ噛み締めている。


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念願の精進料理をいただくこともできた。


コロナにかかるがかからまいが、私たちは確実に死に向かっている。平凡な日常を送っているとそれが永遠に続くように感じることさえあるかもしれない。


けれど、私たちが地球でこの体で、この時代に生きれる時間は限られている。


だから、やりたいことをできないでいる理由を「コロナだから」としたくない。


我慢は魂を擦り減らせる。


それよりも、一人一人がワクワクして楽しく生きたらそれだけでこの地球はもっともっと楽しい場所へとなっていくんじゃないだろうか。


一生懸命ではなくて、めいっぱい楽しく生きたい。地球上に生を受けたということは、期間限定で地球で遊べるフリーパスをもらったようなものなのだから。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

2022年2月28日
大阪発の高速バス内にて

Mari 

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