“予祝”もいいけど“復祝”も おおいに有りでしょ!
“復祝”は 私が思い付きで作った 造語です。
辞書で調べたり、世間で使ったりしないでね!
素直に“予祝”できない
SNS で “予祝” の文字を見ることが 結構頻繁にあるんです。
ざっくりいうと、
自分の目標や願いは 必ず叶う!
だから 叶ったものとして、今からお祝いしよう!
という趣旨だと理解して(多分 合ってますよね)、
それは 前向きでいいな!!!
とも思うんだけど、私はあまのじゃくなのか、いざ自分のことになると なかなか素直に「予祝」できない。
「叶わない」と思っているわけではないけれど、だからといって
「叶う前にお祝いしちゃうの???」と立ち止まりたくなる。
そして、お祝いしちゃったら完了した気分になって、それ以上頑張ろうとしない自分も想像できちゃう。
そんなこんなで、「予祝」は私にとっては ちょっと危険な気がするわけです。
“ほめ日記”がツラくなる
未来はこれから作っていくもの。
それに対して、今の自分や、過去の自分は変えられない。そこに劣等感を感じていると、なかなか動けない。
ということを ずいぶん長い間、私は経験してきました。
それに対しては「ほめ日記」という解決策をもらったりしましたが、
それもしっくりこない。
ほめ日記は、自分の良いところに目を向けられるメリットはあるんだけど、
ついうっかり、他人目線で自分を見ようとすることがある。
…なんだ、結局 周りの評価で自分を測っているんだ、私。
そう感じて ものすごくがっかりしたとき、私の気持ちは ほめ日記から離れてしまいました。
こんな感じが しっくりくる!
もっと単純に、今や 今までの自分をそのまま認めることはできないものか。
そんなことを考えている私の目に、頻繁に映るようになったのは
「〇〇した私、グッジョブ!」というひとこと。
「突然 親戚の子が泊まりに来ることになったので、急遽 夕飯に大量にハンバーグを作った。セールでひき肉を大量買いした 昨日の私、グッジョブ!」
「Canva 使って PTA のお知らせを可愛く作ったら、みんな予想以上に喜んでくれた。コツコツとパソコンスキルを身につけた私、グッジョブ!」
みたいな感じ♪
ああ、コレ コレ!こういう感じがほしかった!
ほめ日記とは似ているようで違う。
褒める、というよりも、
過去や現在の自分を さりげなく認めている感じ。
こんな風に、自分にとって 決して大ごとではない 自分の行為を ごく自然に思い出して、「やっておいて良かったな」と、そのときの自分を認める。
「〇〇した私、グッジョブ!」のスタンスをとり続けていると、やがて、
「多少の問題が起こっても、私は 大丈夫!」と 自分を信頼できるようになる気がする。
その積み重ねで ゆっくりと、自分自身をまるごと受容できるようになれば、それは、自然な自己肯定感につながるのではないか。
そんな風に思っています。
“予祝”が苦手な私は、これを勝手に“復祝” と名付けてみました。
自分をことさらほめる必要はなくて
“予習”と“復習”が対応しているように、
“予祝”に対して“復祝”
シュクフク ではなく フクシュク。
いいづらいし、そもそも私が勝手に考えた言葉なので、
覚える必要はないです。
何が言いたいかっていうと、
自己肯定感を高めるには、自分をことさらにほめる必要はなく、
ただ 過去や現在の自分を認めるだけで十分だっていうこと。
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