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星にもなれない僕は

"淡い月に見惚れてしまうから"夜は好きじゃないけれど結局そうやって目を背けて僕は都会の空を輝く星にすらなれない。ただそれに気づかないフリをして逃げているだけ。すべてを投げ打って伸ばしたこの手が空を切る絶望を味わうのが怖いから。そうやって僕は今日も自分に嘘をついて言い訳に塗れて生きている。

先日とある尊敬する方の講演会に出席させていただいた。主題は学問の楽しさについて。
講演会も終盤に差し掛かり質疑応答タイムに入った。そのとき、1人の少女が高らかに手を挙げてこう質問した。

「勉強が大切なのはわかっているけど、部活も一生懸命頑張りたいし友達とも遊びたいです。どうすればこれらを両立できますか。」
と。

まあこの種の質問はこういう講演会ならよく聞かれるし、結局は"なにが自分にとって一番大切なのかを長い目で見極めて優先順位をつけて(以下略)"的な回答が模範回答なのだろうとも、両立させるのは紛れもない質問者なのだから相手に判断を委ねる回答しかし得ないのだろうとも思っていたけれど回答はこうだった。

"いま勉強も部活も友達との遊びもすべてやっているんでしょ?だったらもう両立はできている。やりたいことを思う存分全部やれ。"

やりたいことを全部やれなんて理想論に聞こえるかもしれないけれどこの言葉には続きがあった。

"思う存分やって、そうしたら次第に自分が真にやりたいことの比重が大きくなっていくから、自然にね。僕自身そうだった。だから、できない理由を作ってはいけないよ。"

ああそうだ、昔の僕はそうだった。やりたいことにまっすぐでがむしゃらに生きていた。でも、いつからだろうか、アイデンティティを見つけ出せない自分に焦って、友達の輝いている姿を見てもっと焦って、気づけばあれにもこれにもできない理由を探すようになっていた。自分が望む結果にならなかったときに自分はこれだけを頑張ったからしょうがなかったよね、って言えるように。セルフハンディキャッピングってことなのかな、ちょっと違うか。

思いもよらず自分の弱さに気づかされた彼女の質問は僕の心に蟠りをつくった。或いはそれは木の棘が刺さったかのようで気づかないうちに容易くは抜けないものとなっていった。

やっぱり僕はみんなが思うほど強い人間なんかじゃない。でも、このまま自尊心を嘘で保って自分自身を騙し騙し生きていくのは嫌だった。"二兎追うものは一兎も得ず"っていうけれど、一兎だけを追ったものが果たして一兎を得れるかなんてわからない。ただひとつ確かなのは、二兎追った者のみが二兎を得れるということ。だから、たとえ結果がついてこなくたって自分が満足するまではやりたいことをがむしゃらにやろうって、そう思えた1日だった。

最後に一曲大好きな曲を残しておきます。
自分に自信がなくなったときに聴く曲。
励ましてくれる曲ではないけれど自然と安心できる曲。

「夜明けと蛍」n-buna


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