死
昨年の6月、23時、練習を終え、いつも通りダラダラとスマホを弄っていただろうか。突然、持っていたスマホが震えた。母からの着信だ。
「〇〇(幼馴染)のお母さんが亡くなったって」
信じられない。信じたくない。目の前が真っ暗になり、3年ぶりに過呼吸の発作が出た。母は電話越しに号泣していた。
.
.
.
.
.
.
.
あの時からだ。半年以上たった今でも私は「死」に怯えながら生きている。1種のトラウマだろう。
今まで嬉しかった両親からの着信は恐怖に変わった。母が少し痩せたと言えば、癌で死んでしまったらどうしよう、と気が気でない。(お陰で私はブクブク太ってしまっ....関係ないか。)夢の中では大事な友人や師匠を沢山殺してしまうし、花を見たら棺桶を思い出してしまう。以前、唯一の男友達から何の前触れもなく電話がかかってきた時は、あの時の電話を思い出し、彼が話し始める前に泣いてしまって酷く困らせた。
.
.
.
.
.
.
.
「死」と言えば、中学生の頃好きだった「いちご同盟」という小説を思い出す。
自殺を考えていた少年が、重症の腫瘍で闘病中の少女に出会い、互いに惹かれる。繊細な思春期の恋心と友情、生と死を美しく、リリカルに書かれた名作だ。
当時の私は身近な人の死を経験したことがなかったからなのか、その本を読んで「死」に対して強く憧れを抱いた。特に若い人の死。まだ夢も希望もある若者が、「死」と真剣に向き合う姿が美しく思えたのだろうか。未来が儚く散ってしまう無常さに惹かれたのかもしれない。
でも現実の「死」は残酷だった。幸せな日常が取り上げられ、人々を哀しみのどん底へ陥れる。
この世界で生きるのが怖い。
誰も死なない世界で生きたい。
自分が生きている間に大切な人が次々と消えてしまうなんて絶対に耐えられない。無理。でもこの世界に生まれてきたなら「死」は避けられない。人は生まれたらいつかは死ぬのだ。
大切な人が死ぬ1日前に自分が死にたい。