「片付けによって運気が変わるのか?」を検証中ですが
リハビリをしながら、じっくりとモノと向き合い、片付けを続けてきました。
良く言われる「片付けをすると運気が変わる」というのは本当なのかを検証中ですが、検証中でありながらも気付いたことがありましたので、そのことを綴ります。
モノの気みたいなものを感じるように
前回、片付け始めて88日目にモノの気みたいなものが感じられるようになったと書きました。
もう一度書くと、「片付けをしていたら、戸棚が騒がしいとか静まったとか感じられるようになった」のです。あまり静まり返ってしまうと淋しくなるので、少しざわざわしているくらいまで片付けたところでちょうど良いかなと思ったと。
その後もコツコツと片付けを続け、165日目には片付け切ったとは思わないものの、片付けるところがわからなくなって片付けがストップ、また1か月後に少しずつ再開しているというのが現状です。
振り返ると空振り人生だった
ところで、ちょっと話はそれますが、今までを振り返ると、空振り人生でした。
自分で良かれと思うことをやっているはずが手ごたえがなく、またスタートラインに戻る、みたいな。
決してふざけているわけでも楽なほうに逃げているつもりもなく、冷静に考えて道を選んでいるつもりが。そして、ひたむきにやっているつもりが。
「なぜか力の入れどころを間違えてしまう」
と思ってきました。
「あまりに頭が悪すぎなのではないか」
と思いながらも、下を向いていても仕方がないので、進み続けてきました。
が、そんなことを繰り返してしまっていた原因が、片付けをしながらわかったような気がしたのです。
人それぞれの許容量
思い起こせば、子どもの頃は学校のものと自分のものを合わせても、それほど物持ちではなかったように覚えています。
それが高校生くらいから、自分のお金と自分の意思でモノを買えるようになり、少しずつ所有物が増えてきました。
例えば本、洋服・・・。最初は自分の持ち物が増えていくのを楽しんでいたように思います。
モノにも、生き物とは違うけれど、「気」みたいなものがあると思うのです。
で、所有物がどんどん増えてきて、それらに囲まれながら暮らしていて。
ある程度までは心地よかった空間が、所有物が増えすぎて、モノが発する「気」で、騒がしくなってきたのではないかと思いつきました。騒がしいと言っても実際に耳に聞こえる騒がしさではなくて、無意識に働きかけてくるような騒がしさ。
騒がしいから普通にしていられなくて耳をふさいでしまう。これも、実際に耳をふさぐのではなくて、イメージ的に。
そして耳をふさいでいる(心を閉ざした)状態でいるから、思考も鈍る。判断力も鈍る。
だから、力を入れなくてもいいところに力を入れてしまい、ひたすら頑張ってしまっていたのではないか・・・。
たぶん人それぞれモノの許容量は違うのではないかと思います。で、自分の許容量を超えてしまうと、モノが発する「気」に耐えられなくなってしまうのではないかと。
検証中と言いつつ感じる片付け効果
「片付けによって運気が変わるのか」は、いまだ検証中ですが、検証中でありながら片付け効果は感じています。
上記のように、不要なモノを減らしていくことで騒がしかった「気」が静まってきたのか、頭が少しずつクリアになってきたように思うのです。
判断するときにも、以前ほど考え込まなくなりました。そして以前判断したことを「間違っていた」と気付けるようになりました。(すべてが間違いだったわけではないですけど)
今までの私は「本来、こんなに判断力なかったっけ?」というほど混乱していたように思います。
モノの気なんて目に見えないから、すべて無意識で動いていたことで、全部思い込みと言われればそうなんですが、でも!気のせいではないような気がしています!(思わず「気」を多用)
検証は続きます
しかし、ほんと、きれいになっていくのは楽しい^^
いや、元々、汚くても大丈夫な性質ではなく、きれいにするのが好きではあるんですよ。
もっとモノを減らしたほうがいいとは思うものの、今、リハビリ中ということもあり、「必要になったら買いに行けばいい」という行動がスピーディーにできないため、処分には慎重になっています。
そしてリハビリも片付け効果なのか、順調v
サクサク動けるようになり、片付けもサクサク進められるようになりたいです。
片付け効果を感じながらも、まだ部屋は片付いていないし、「こんなに効果があった」と報告できるほどでもないため、まだまだ検証は続けます!
片付け、楽しーいヽ(^o^)丿
ご覧いただき、ありがとうございます!楽しんでいただけたら、スキしてもらえると、テンション上がります♡