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これはただの夏(燃え殻)
夏の思い出は、一人ひとりの記憶の引出しに大切に仕舞われている。
甘いもの辛いもの、苦いもの、せつないもの。
たとえば1つの曲。
聴くたびに蘇る"あの夏"と"あの人"と"あの風景"。
でも、"あの人"も私と同じ記憶を持っているわけじゃない。意外にも相手はまったく覚えていなかったりする。ガッカリするけれど、その人がずっと抱きしめてきた思い出が私の頭の中に欠片も残っていないこともある。
燃え殻さんの二作目の小説『これはただの夏』を読んだ。
上手いなぁ、上手くなったなぁ、というのが素直な感想。どれだけ上から目線なんだと叱られそうな、または作者を幼い頃から見てきた隣のおばさん的な気持ち。
時代に左右されない才能を持つ人に、チャンスなんて要らない。
現実世界から遮断してくれるカーテンがとても印象的だった。
ザッと閉まった先は夏の夢。
登場人物たちのカーテンも私たちのカーテンも、現実世界に埋もれて生きていくために絶対に必要だ。
この小説の登場人物たちは同じ夏を過ごしながら、それぞれの中に残っている記憶は別のもののような気がする。
プールの熱風、屋上の空、チャーハンの匂い、おむすびの舌触り、真夏の果実、北ウイング…
心の底に沈めた刹那な断片を、夏が来るたびふと取り出して眺めてみる。眺めている時はきっと、背中にあのカーテンが閉まっている。
少しだけセンチメンタルになった後、また思い出を引出しに戻す。振り返ってカーテンを開けたら、いつもの顔をしていつもの暮らし。
そんな引出しが増えるのはせつないけれど嬉しい。中身はそのうち、真実か嘘かもわからないほど曖昧になってくる。
もう幻みたいになった「ただの夏」をいくつもいくつも抱きしめて、私たちはいつか、空にのぼるのだろうね。