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違和感から始まる

ニュースはちらちら見るだけだ。少子化対策、子育て支援は、この国の行末を決定する政治の肝のようだ。同性婚に対する個人的見解を公人が口にすることはタブーのようだ。「豊かな高齢者と貧しい若者」というのは、思った以上にひどい歪みを生んでいるようだ。米を研ぎ、ペットボトルのラベルをはがしながら、毎日ニュースを聞いている。時々離れたゴミ箱にポーンとゴミを投げてみて、ストンと入れば気持ちがいいし、縁にあたってコロンと外に転がればチェッとなる。フリップを指差し大変困ったという顔のキャスターが私を見て、あなたも少しは日本の未来を考えて下さいよ、と、言っている。そんな気がして嫌なので、テレビ画面は見ないでおく。

そうだろう。物事を真剣に考え、失敗から学び、より良い未来を築くべく働いてきた先輩達のおかげで、今の時代があるんだろう。そんな歴史の延長上に私が生きているということは重々承知だが、だからあなたも考えて何か行動しろと言われても、足がすくんで前に進めない。歴史嫌いの根っこはそこかも。教科書に載っていた人物は皆、まっすぐに私を見てて怖かった。

平凡な私の歴史はどうだった?ピンチの折々に私を助けてくれたのは、ほぼ家族。だが、ピンチを引き起こしたのも、また家族。そして、チャンスを逃さぬよう知恵をしぼったのは、私個人だ。今となっては時代遅れでしかない常識に縛られ、世間をうかがいながら、それでも最後は自分で決めた。結果が、今の私だ。私は、自分と家族以外誰にも何にも頼らず、生きてきたんだ〜!で?それで?キャスターでなく、私が、私に問いかける。

新しいもの、新しい考え方を前にして、まず感じるのは、「違和感」なのだ。古いものをそのままに、新しいものは受け入れ難い。もう一度自分の歴史を正しく振り返るべきだな。生きづらかった、もっと選択肢が欲しかった、嫌だった、という私の本当の気持ちをはっきり自覚すべきだ。結果良かった、結果幸せになった、と言うことを抜きに、その当時の本音をあぶり出すことだ。いやーつらいな。「それでも私は頑張りました」は封印だ。歴史も勉強してみよう。最初は何でも「違和感」から始まっていたと思うから。次は、もっともっと離れたゴミ箱に、ポーンと投げてみようと思う。ストンと入れば、きっと気持ちいいよね。

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