死ってなんだろう②
死ってなんだろう 第二回目は「死の恐怖」について考えていきたいと思います。
この死の恐怖を考えるにあたり、私が出会った患者さんのお話をしていきたいと思います。
【死の恐怖について考える】
余命宣告を受けたTさん
Tさんは、80代の小柄で可愛らしい女性の方で、半年ほど前に医師から余命宣告を受けました。長く見積もって半年から一年ほどの余命。これまで元気に過ごしてきたTさんにとって、それは信じられない現実でした。Tさんのお部屋に伺って話をするたび、Tさんの目から涙がボロボロ零れ落ちるようになりました。
「ごめんね、悪いことばっかり考えちゃだめって、娘にも言われたの。情けないね、私」
Nさんは泣き笑いながら、私に謝ります。「情けなくないです。辛い時はいつでも話をしてください」そう言う私に、Tさんは
「看護師さん忙しいのに、私ばっかりに時間取らせて申し訳ない、でも嬉しい、ありがとう」と言いました。Tさんは、とても素直に周囲に気持ちを伝えることができる素敵な方でした。
数日経った頃、Tさんがこんなお話をしてくれました。
「娘にね、新しいパジャマを買ってっていったの。気持ちから変えて行かないとって思って。明るい服を着てね、気分を上げて行こうと思う。届いたら見てね!楽しみにしといて!」
少しでも暗い気持ちを晴れやかにしようと、Tさんは前向きに行動していました。そんな姿を見て、私はTさんは強い人だと思いました。
数日後、花柄の素敵なパジャマが娘さんから届きました。看護師がみんなでNさんの姿を見て、「似合ってます!」「素敵です」「かわいい」と声掛けをしました。Nさんは「そうでしょ~似合うのよ~」と少しおちゃらけて言います。その日は、一日、Tさんは笑顔で過ごしていました。
明るい雰囲気になったTさんは、それからも、退院後の楽しみをいくつも予定に立てたりと、前向きに過ごしていました。
しかし、ふとした瞬間、Tさんは、ぽろぽろと涙を流しました。「もう泣かないって決めたの。泣いてたって何か変わるわけじゃないんだから。でもね、やっぱり色々考えると泣けてきちゃう」
Tさんは必死に前を向いて明るく振舞っていました。しかし、死への恐怖は根本にずっといて、ふとした瞬間、Tさんを悲しみでいっぱいにしてしまうのです。それでも、Tさんは何度も気持ちを切り替えて、残りの日々を有意義に過ごそうと努力されていました。
Tさんは、退院後も再入院をしましたが、毎回、家に帰ることができました。「家に帰ってからね、いつでも会えると思ってずっと会っていなかった友達にも会ったよ」「家族で温泉にも行ってきた」と、Nさんは笑顔で話してくれました。
しかし、
「娘ともね、延命治療しないって話をしたの。娘は医療関係だから、色々経験して知ってるでしょ、だから、苦しまないようにそうして欲しいって」
と、Tさんは、家族で延命治療の有無について話し合ったと教えてくれましたが、その時は、とても寂しそうな顔をしていました。
死が近い間に訪れるTさんにとって、自分の死について、家族と話し合うのは辛い作業だったのかもしれません。
最期の入院
亡くなる5日前頃からTさんは、朝も昼も晩も、何かに怯えるようになりました。
突然、何かから逃げるように叫ぶようになりました。
「どうしました、大丈夫ですか」と私がさんの手を握ると、私の手を握って離しません。
年齢的にも、環境的にも、高齢者は認知症や、せん妄症状を起こしやすいのは確かです。入院する数日前から自宅でも、言動がおかしなところがあったと家族の方から話を聞いていました。
私は、何かに怯えるTさんの手を握り、寝ているTさんの肩をトントンと子どもを寝かしつけるように優しく叩きました。
「大丈夫ですよ、そばにいますから、怖いことはないですよ、安心してください」
5分ほど、傍で肩をトントンして声をかけていると、Tさんはスーッと強く握っていた手を離し、眠ってしまいました。
私は、Tさんの様子から、せん妄症状が悪化したのだと思いました。それからも、Tさんは何度も同じように「怖い怖い」と怯え、震えていました。
私は、Tさんに
「何が怖いんですか」
と聞きました。
すると、震えて私の手を強く握りながら
「死ぬのが怖い」
と言ったのです。
その言葉を聞いて、私は言葉がでませんでした。
Tさんの手を両手で握り返し、髪をゆっくり撫でました。高齢の方に対して失礼な行為かと思いましたが、私はTさんが少しでも安心してくれるならと思いました。それからTさんは、静かに寝息をたてて眠り始めました。眠ったTさんが目を覚まさないよう私はそっと部屋を出ました。
「死ぬのが怖い」
その言葉は、私の中で重くのしかかります。
Tさんはずっと「死の恐怖」に怯え続けていました。その恐怖は、目に見えるものではありません。いつくるか、どんなものかも分かりません、わからないからこそ、その恐怖が増大されます。そして、その恐怖がTさんの目前に迫っていました。その事実・恐怖感に、Tさんの心は壊れてしまったのかもしれません。
自分の命の期限を知り、それに向かって、出来る限りのことを1年ほどしてきたTさん。自分の命の終い方について、家族とも話し合っていました。そうした行動から、死を受け入れているように見えていたTさんでしたが、本心は死を受け入れていたわけではなかったのかもしれません。余命宣告からの半年もの間、Tさんは心の整理ができないまま、迫りくる死の恐怖に耐えていたのかもしれない。そう考えると、Tさんにその辛さを味あわせた「死」そのものに、苛立ちを感じざるを得ません。
しかし、「死」は、Tさんに対して積極的に死を迎えるその日まで自ら積極的に何かをしたわけではありません。病気はTさんを内側から少しずつ蝕んでいましたが、それは病による苦しみです。
Tさんを精神的に苦しめていたのは「死」ですが、『余命宣告』がなければ、もしかしたら、Tさんは迫りくる恐怖を知らずに生活することができたのかもしれません。
死への準備期間
自分が死ぬと予想された時、残された時間をどう過ごしたいか。
それは、人それぞれ違います。
余命宣告を受け、自らが納得して死への準備をしたい人もいれば、
余命宣告を受けず、何も知らずいつも通りの生活をしたい人もいるでしょう。
Tさんは後者の方が良かったのでしょうか。
後者の場合でも、度重なる入院に少しずつ死への不安は高まり、治らない病に対して医師への不信が生まれ、疑いや不満、疑心といった違う苦しみが待っていたかもしれません。
では、どうしたらTさんは、穏やかな最期を迎えられたのでしょうか。
私は、著書の「幸せに人生を終えた人から学んだこと」の中で、こう書きました。
穏やかな最期を過ごすためには、健康なとき(早い段階)から自分の死に際について考え、周囲と話合うこと。
健康なとき(早い段階)からというのが、一番重要なことだと私は思います。ですから、Tさんのように余命宣告からの半年という時間は、準備期間としては短いものでした。
Tさんが入院するまでの間に、自分の死をイメージしてこなかった(いつか死ぬのは理解しているが、自分はまだまだ大丈夫だと思っていた)とすれば、余命宣告は晴天の霹靂だったに違いありません。
実際に、心が大きく乱され、その衝撃は悲しみとして表れていました。
その後、Tさんは、周囲の言葉を聞き、少しでも前向きに自分の人生を終おうと行動していました。しかし、本心は悲しみや大きな不安に蝕まれながら、それでも明るく生きようと自分の感情に蓋をしながらの半年だったのかもしれません。
「なぜ死を恐怖だと感じるのか」
もし、Tさんが「死」の正体を知っていれば、余命宣告から半年という短い期間であっても、恐怖感を抱くことなく過ごせたかもしれません。
「死」は、簡単に言ってしまうと<結果>でしかありません。
肉体的な死の直接的な原因は、病や身体の寿命が引き起こすものです。
死がそれらを引き寄せるわけではなく、病気や身体が自ら結果である<死>に近づいていきます。
人間の身体の細胞は、毎日生まれ変わりを繰り返しているため、身体が<死>に近づくというのは、細胞たちにとっては特別なことではないかもしれません。しかし、身体には寿命があります。そして、病気はそれらを早める性質があるのです。
病や寿命によって、肺が衰えてくれば呼吸が苦しくなります。
同様に、心臓が衰えてくれば、全身に血液が回らなくなってきます。
肝臓が弱ってくれば、体中に毒が回っていきます。
このように、
病気によって機能不全になった身体 ⇒ 機能停止 = 肉体的な死
となっていくのです。
つまり「死」が登場するのは、本当に最期の最後(=結果)です。
しかし、私たちは自分が死ぬと分かってから、常に死に対して恐怖を抱きます。
私たちは、結果である「死」だけを恐れているのではなく、死によって失うものへの恐怖であったり、死にゆく過程への恐怖であったり、自分が死んだ後の世界について漠然とした大きな恐怖感を抱いています。
死に対して自分が何を恐怖だと感じているのか。
その原因が分かれば、何も知らない時と比べれば恐怖感は和らぐでしょう。そして、「死」の何が恐ろしいのかを知ることで、私たちは最期まで自分らしさを失わずに生きることができるのではないでしょうか。
私も「死」を知ってさえいれば、Tさんがずっと抱えていた死の恐怖を、少しでも拭えていたかもしれません。
わたしたちが「死」を知ることは、大切な人が亡くなる時も、きっと支えになるはずです。
ですから、「なぜ死を恐怖だと感じるのか」について皆さんと一緒に考えていけたらと思います。
長くなってしまったので、続きは次回にしたいと思います。
次回は、私たちが抱える<死の恐怖の三大要因>について考えていきたいと思います。
読んでいただけると幸いです。
前回の記事はこちら
著書「幸せに人生を終えた人から学んだこと」では、死への準備について具体的に実際の患者さんのエピソードを交えながら書いてあります。読んでいただけると幸いです。