猫思い
年だろうか。いや、単なる習慣化だろう。
今朝も4時には目が覚めて、耳鳴りのような静けさの中で本を読んだり、noteを書いたりしています。
早起きの習慣化で早寝が習慣化。とはいえ、夜勤の夜は無理ですが、慣れるといいもんだと思っています。
何より邪魔が入らないし、思考のトレースがしやすい。猫はストーブの前で、これ以上は無理というほど、伸びています。
冬空にかの人の名を書く夜明け
(ふゆそらに かのひとのなを かくよあけ )
季語は「冬空」です。
かの人は、古語においては恋の思いを寄せる人の意味です。
今では、恋心でさえ、冬の夜の寒さには敵いません。でも、若い頃には、物思いに耽り、気づけば夜明けを迎えていた、なんて経験はわたしにもありました。
きっと、そんな経験をされたことがある人は多いことだろう、と思います。
今でしたらLINEもあるし、容易に繋がろうと思えば繋がれます。たとえ繋がる勇気がなくても、SNSで検索すれば、相手の動向が分かる恐ろしい時代です。色気もありません。
夜空に彼の名前を書いては吐息をつく方が、ストーカーのごとく、相手のSNSをチェックしては不穏な妄想するよりも、ずっと健全な気がします。
とはいえ、わたしもあんまり投稿がないと、倒れてないかしらと、noterさんの安否確認がしたくなりますので、偉そうに言えません。
人死ぬや魂の穴塞ぐ闇
(ひとしぬや たましいのあな ふさぐやみ)
これは、もしかしたら季語がないかしら。
昨年も、たくさんの事件があり、たくさんの命が奪われました。生きていれば、いつかは死にます。でも、今ではない、と思っている人がたくさんいることでしょう。
わたしにとって彼らは他人であり、彼らの死とは第三人称の死です。それでも、魂に穴があいた気分であり、その穴を塞ぐのは、心の闇のような気がしました。
ちょっと年始の詩には相応しくないかもしれませんが、今年はそんな理不尽な事件が減ることを願います。
猫思い鯛のチュールのお年玉
(ねこおもひ たいのちゅーるの おとしだま)
季語は「お年玉」です。
少しお口直しではありませんが、ブラックな自分が出てきてしまったので、そんな時は、愛猫の登場です(笑)。
猫思いなわたしから愛猫マールへのお年玉、それは彼女が愛してやまないチュールです。
一応、国産のチュールを厳選し、飽きがこないように味も多種多様です。
チュールが欲しくなると、容器の横に座り、舌なめずりをします。かわゆい。
辛口の玉子酒飲む寒の入り
(からくちの たまござけのむ かんのいり )
季語は「玉子酒」です。
お酒は飲まないのですが、貰い物の日本酒があります。玉子酒にするとアルコールが飛ぶので、あまりにも寒いとき、玉子酒。
体を温めて免疫力を高めます。「オミ」さんだって玉子酒で撃沈です。
わたしの地元、土佐のお酒は辛口が主流で「たっすいがはいかんぜよ!」です。玉子酒だって、辛口です。
産土を認めこぼるる初笑顔
(うぶすなを みとめこぼるる はつえがお)
産土を覚悟しこぼる初笑顔
(うぶすなを かくごしこぼる はつえがお)
季語は「初笑顔」です。
産土と書いて「うぶすな」と読みます。それから、覚悟には、あきらめること、観念することの意味があります。
故郷である産土を受け入れて、やっとこさ、笑顔になった新年です、みたいな句です。
どちらの句がよいか、でも、せっかくなので両方載せてみました。それに、「こぼる」「こぼるる」の是非が自分ではつけがたく、文語には往生します(苦笑)。
ここで、俳句の大先輩より助言あり。
「こぼる」は終止形ということで、ここは「こぼるる」が正しいと教わりました。
産土を覚悟しこぼるる初笑顔
自分の生まれた土地、居場所はここである!と受け入れ、観念したことで、ここで生きる覚悟ができて、新年、笑みがこぼれたという一句です。
冴ゆる夜古き写真を出してみる
(さゆるよる ふるきしゃしんを だしてみる)
季語は「冴ゆ」です。
寒い夜、もう長いこと開くこともなかった、昔の写真を出してみる。そこに写るわたしは変わらない筈なのに、何故だろう。色褪せたという訳でもなく、まるで能面のようです。
能面は見方によって喜怒哀楽の感情が、面の上に現れます。その表情は、見る人の感情を浮かび上がらせます。
時が止まった写真を見ていると、今の自分を見せつけられるようで怖い気もします。
でも、寒い夜には、そんな自分の本性を覗き見したくなるもんです。
さて、今日のイラストは、なんの脈絡のないものです。でも、水彩色鉛筆に早く慣れようとするわたしの必死です(苦笑)。
水彩色鉛筆ですが、直に水をつけて描くと、濃く描けることが分かり、ちょっと感動。