「書く時間」はないけれど#シロクマ文芸部
「書く時間が惜しいから、想念を送るね~」
気持ちよく惰眠をむさぼっていたら、まあた杏子のしっちゃかめっちゃかな思考が送られてきた。
ひと昔前、ネットなんて便利なものも無かった時代、遠い異国の地に住む恋人たちはエアメールを送りあっていたらしい。いや、今も手書きにこだわってる人もいるだろう。
でも、オーストラリアに住む杏子のヤロウ、手書きの手紙が赤道を越えて、広い大平洋を渡ってくる時間、互いに会えない時間が愛を育てるのよ、なんて乙女な感情は皆無なヤツなんだよな。
今朝も最近流行りの『勝手に想念』とかいうアプリを使って、杏子は俺の脳に思考を送りつけてくる。
チャットGPTという生成AIが世に出た時も、杏子はあっという間に虜になって、俺と会う時間も惜しんでソイツと対話してたっけ。
国際社会が生成AIの使用ルールを厳格に決めてからは、たまに善からぬ使い方をする国もあるけれど、生成AI-Gメンとかいう組織もできた。フェイクニュースもすぐに見破られるし、何よりも、生成AI自身が自分の行動に責任を取るようになった。
何でも、あるのが普通になると、人は飽きるようだ。次に出てきたのが『勝手に想念』。
生成AIの論理的な思考ではなく、杏子の意味不明な思考が、四六時中、送られてくるから堪ったもんじゃない。
たまに、アプリをオンにしたまんまで寝てるのか、杏子の見ている夢まで送られてきて、それはそれでちょっと楽しめるけど。
でもまあ、政府も、国際社会もこの厄介な『勝手に想念』というアプリの出現でてんやわんやだ。
今のところ、他人の想念を無断で読み取ることはできないようだ。ところが、器械に疎い政治家たちが『勝手に想念』に手を出した。アプリをオンにして国会に出るもんだから、残念な脳内思考が国民にただ漏れ。
そりゃあ、内閣支持率も落ちるわ。
まあ、こんな便利か不便か分からないものにハマるのが、杏子だ。その杏子の送ってきた想念がいうには、「今年のクリスマス、夏のオーストラリアでいっしょに過ごそう」と。
そうか、南半球にあるオーストラリア、日本とは季節が逆だもんな。では、杏子に手紙を出しておこう。もちろん手書きだ。
「返事は?来るの?どうなのよ~!」としつこく想念を送ってくるだろうなぁ。向こうに到着するまでは、想念カットするイヤホンを着けておこう。
-拝啓 杏子さま、クリスマスイブに到着する便でメルボルンへ行きます。会ったら自分の声で、言葉で、伝えたいことがあります-
あと一時間足らずでメルボルンに到着。そろそろ初めての『勝手に想念』を起動させようかな。突然、想念を送ったら、杏子のヤツ、びっくりするだろうな。
「あっ!メルボルンの街が見えてきた。もうすぐ到着だ」
-----杏子、聞こえる?大好きな杏子。もうすぐ君の住む街にいくよ。いっしょに暑いクリスマスを過ごそうね。それから、杏子のお気に入りの教会で式をあげよう。杏子、、、------
突然、爆発音が聞こえた。エンジンから炎が上がり、機体は風に舞う木の葉のようにヒラヒラと落下していく。
阿鼻叫喚の機内。
もうダメだ!と思った瞬間、トリセツに書かれた文章が脳裏に浮かんだ。
「杏子、手紙を書く時間はないけど、5秒もあれば、広辞苑くらいぶ厚い、君への想念を届けられそうだよ、、、」
取り扱い説明書:
『勝手に想念!」は亡くなる5秒前までの、あなたの想念を送ることができます。
最期の想い、大切な方の顔を思い浮かべて、心を込めてお送りください。
今回も愉しく書かせて頂きました。暑い夏、脳にいい刺激です。