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わたしで生きる(感情系脳番地を脳トレして、感情豊かに生きる)

花留さんの友人に「人の気持ちなんて分からない。分からないものは考えない。」と言う人がいる。潔くて清々しい。

清々しいんだけど、どうも「人」の中には「他人」だけでなく「自分」も入っており、私だったらモンモンとした自分の気持ちとか悩ましい感情が明確にならないと、落ち着かなくなる。清々しいなんて言ってらんない。

どうやら彼女は、幼い頃から言葉にならない気持ちや感情に自分の意識が占領され、その経験があまりにも不快だった為に、「分からないものは考えない」という、楽な生き方を選択してきたようだ。

分からないものを考えようと無理をすると、感情が揺さぶられてしんどくなる。だから、そんなしんどくなることは手放して、自分も含めた他人の感情を感じることを止めた。

彼女の為に弁明しておくと、決して手抜きをして楽に生きる為に、考えることを手放したのではなく、自分を生かす為に、幼い彼女が編み出した安楽な方法だと思っている。

ところで、筋トレして身体を鍛えるように、感情だって脳トレして鍛えることができる。右脳を鍛え、育てることで幸せな気分を味わえるようになるらしい。

たとえば、人と会って、楽しい会話をしたりすることで、相手に共感する感情系脳番地が活性化してくるからだ。

会話だけでなく、ペットと過ごすこともいいだろうし、読書も効果がある。いつもと違うことをして感情を揺さぶってみる、気持ちを表に出してみることでも脳が鍛えられる。

感情を揺さぶろうとして不愉快な人と無理に会話するよりも、自分を幸せな気持ちにしてくれたり、刺激を与えてくれる人に会うと、感情系脳番地をよりいっそう鍛えるらしい。

つまり、自分を生かして安楽に生きる為に、感じることを手放した彼女は、感情を育てる機会を手放していた。

でも、だからといって彼女に感情がない訳ではない。ちゃんと感情の種はある。けれど、ちゃんと水やりしたり日光に当てたりせずにきたので、発育不良なだけ。

じゃあ、お水と日光、そしてとびきりの有機肥料をやろうじゃないか。

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そういえば、彼女は最近変わってきた。人の気持ちや感情が分からないところはあるが、なんていうのか人間に丸みが出てきた。

イライラすることが減って、気持ちに遊びの部分が増えてきた。想像の翼はお粗末なのでジョークは苦手だし、すぐに「分からん」という癖はあるけれど、それでも人の気持ちを理解しようと苦戦する思いが伝わってくる。

目には見えないけれど、彼女の脳の中では、感情系脳番地の神経がニョキニョキと伸びているに違いない。

それは、彼女の書く文章が変わってきたことでも分かる。文章とは、意識していることを文字にしているものだと思っている。そんな意識を見える化した文章が豊かになってきたということは、意識が育っているということだ、と勝手に想像している。

水やりや肥料の効果が出てきたのか、彼女が日光浴をしながら散歩してるのかなあ。

彼女は人の気持ちや感情が分からないのではなく、分かるための回路の発育が単に不十分だっただけやったんやなあ。

脳の発育には年齢制限はなくて、何歳になっても脳の神経細胞は生育するらしい。彼女といっしょに愉しく会話することで、お互いの脳を育てていきたい。

アラ還の花留さんにとっても、脳トレはボケ防止にも最適だ。

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ところで、脳番地なんておもしろい区分分けだと思う。脳全体の中では、人において最もよく発達したと言われる脳の前方に位置する前頭葉には、思考系脳番地、感情系脳番地、伝達系脳番地、運動系脳番地という、主にoutputに関わる働きをする脳番地がある。

前頭葉以外の後方に位置する脳の場所には、聴覚系脳番地、視覚系脳番地、理解系脳番地、記憶系脳番地、そして、感情系脳番地という、主にinputに関わる脳番地がある。

脳科学者の加藤俊徳氏は、喜怒哀楽のような感情表現に関与する脳の「感情系脳番地」を鍛えることで、相手の表情や仕草から気持ちの変化を察することができるようになる、と言っている。

感情系脳番地は脳の側頭葉に位置し、右脳と左脳にそれぞれ感情系脳番地がある。

右脳側の感情系脳番地が、社会の中で他人の気持ちを推し図ろうとするらしい。

ここを鍛えるには、喜怒哀楽のような他人の感情に関する情報をinput、更に他人の感情についての自分の考え(捉え方)のoutput、その両方が必要ということらしい。

私にも覚えがあるが、日記を書いていても、その日にあったことやしたことを羅列して、そこでどんなふうに感情が動いたのかとか、どんな気持ちになったかを書こうとしても「浮かんでこない~」となってしまう。

「楽しい」「嬉しい」「面白い」みたいに、いつも同じような単語しか浮かばない。心はいろいろな感情を感じていると思うのだが、どうも語彙が乏しいのか、育ってないのか、「あたしの心って、ショボい」と思った。

そこで、脳トレとは思っていなかったけど、辞書から感情を表す単語を片っぱしから抜き出していった。案外あるもんだ。

それと、何かやったりした時に自分の体から発せられる無音の言葉を拾い上げ、そこに「音」や「文字」を当てはめていった。

他人に見せる為でなく、自分の感情を豊かにする為に、毎日、日記を書いた。

抽象的な感情を具体的な言葉にするのは難しいし、何か物足りなさがあった。書けば書くほどに、自分の感情や気持ちから遠ざかってしまうみたいな。

それでも、必死こいて、しっくりくる言葉を探したり作ったりしていった。

不思議なもんで、ひとつしっくりくる言葉が見つかると、ひとつ心が育った気がした。

あの頃はちょうど、父の介護をしていたが、感情の言葉が育つと父との関係も良くなり、要介護4の父は半年後には要介護2になった。

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人の気持ちが分からないという人って、案外たくさんいる気がする。だって、"コミュ"力不足を改善するために講座に参加している人だっている。

コミュニケーションってスキルなので、習うことも「あり」だと思う。でも、自宅で感情系脳番地の脳トレするのもオススメだ。

読書でもいいし、オンラインで語るもよし。まあ花留さん的には、zoomみたいに映像があると、相手にどう見えるかを意識し過ぎて楽しく話すゆとりがなくなる。

なので、音声のみで、好きな珈琲を淹れて、好きな格好して話すのが好きだ。

相手は見えないけれど、感覚が研ぎ澄まされてくるとシンクロしてきて、いつも間にか、同じ格好で話していたこともある。

何か「共感力」が身に付いてきた感じだし、前より少しだけ、幸せな気分の時間が増えた気がする。脳トレの効果かな~。