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春近し

何だか調子づいてきて、自分の絵をトップに出すようになりました。

でも、いつまで続くことやら。出すためには描かなくてはなりません。やりたい!という願望と、やらねば!という義務感の鬩ぎ合いとならないよう、いい塩梅で描きたいです。

とりあえず、今、使っているペンのインクがあるうちは描く。ペンが薄くなってきたら、「どうしたい?」と自問自答です。


同僚の声の尖りや末黒の野

(どうりょうの こえのとがりや すぐろのの)

季語は「末黒野」です。

野焼きで先が黒くなった芒のことを「末黒」と呼ぶそうです。

倍々で感染者が増えて、仕事が忙しくなり、同僚の看護師たちのストレスもMaxに近づきつつあります。

イライラした同僚の声。その声が、野焼きの焼け跡のようです。下五の「すぐろのの」を声に出して読むと、「ドロドロドロ~」って聞こえそうです(笑)。

でも、もう少しして感染が落ち着けば、心の平静も取り戻して、春の若草が芽吹くように気持ちも晴れやかになるかなあ。


他人にはただの電話も吾の春炉

(たにんには ただのでんわも あのはるろ)

季語は「春炉」です。

機械的に電話をして、健康観察をしていく。看護師にとっては業務、ただの仕事かもしれませんし、早く済ませたい!という気持ちがあるのも理解できます。

それでも、隔離され、ホテル療養をしている人にとっては、同じ電話であっても、電話の持つ意味が違ってきます。

「忙しいのに話を聴いてくれてありがとう、こんな雑談がありがたいんです。看護師さんには、ただの電話かもしれへんけど、わたしたちにとっては、、、」

なんか、その言葉がズンと心に刺さったし、自戒の念も込めての五七五です。

ただ、どうも他人にはという表現が今一つでして、少し変えてみました。

病んで夜ただの電話も吾の春炉

病んだ自分には、ただの電話も心暖まる炉のようだ。


肩書きを下ろし初めて水温む

(かたがきを おろしはじめて みずぬるむ)

季語は「水温む」です。

春になって気温が上がってきて、痛いほどに冷たかった冬の水も温もってくることです。

"看護師"という肩書きを下ろして、療養している人と向き合った時、初めて見えるもの、分かるものがある気がします。


茎立ちや空に近づき花咲かす

(くくだちや そらにちかづき はなさかす )

季語は「茎立ち」です。

盛りが過ぎたことを"薹が立つ"といいます。春、大根や蕪、菜類が花をつけるために茎を高く伸ばします。

これを人間に当て嵌めて、とうに"盛りが過ぎた人"みたいにいわれることもあります。

あまり好きな言葉ではないのですが、最後に一花咲かせて悪いんかい!です。

無理して茎を伸ばしたりせず、分相応に茎を伸ばし、花をつけ、種になる。そんな最期も悪くないです。


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夜明けに工房に行くときに見える、我が家の近所の川のある風景です。

note仲間で俳句と水彩画、最近はスケッチや絵手紙もやっている先輩が、ボカシという、新たな手法を試していると書いていました。

真似っこして、濡らしたティシュでポンポンしていたら、画用紙がクタクタになってしまいました(涙)。

書き直しはしない、一発屋なので、このまま投稿です。モンモンです。


この川の昼の顔です。