見出し画像

わたしで生きる(「回復力」を身につけて楽々と生きる)

同じことを経験をしても、人によって反応はまちまちだ。

花留さんはオーストラリアで列車に乗っていたら、中年の男性が突然、ズボンをおろしてスッポンポンになる場面に出くわしたことがある。あらあら~

列車には花留さん以外にも、若い女性が乗っていた。たしか男性はいなかったと思う。

アホな男性の行動を目の当たりして、カッと怒る人、感情的に傷つけられヒステリックに騒ぐ人、そして笑い飛ばす人がいた。

みんなが違う反応を示した。花留さんは一瞬唖然として、そして、アホな男性を怒らせないようにクスッと笑ってしまった。

どの反応がいいとか悪いとかではなく、人によって反応はまちまちだった。

・・・

この反応の差異は、どこから生まれるのだろうか?どうして自分は、あの時、笑ったんだろうか?もちろん、瞬間的にはギョギョッとショックを受けた。でも、すぐに不愉快な状況を笑いに変換して、自分をリラックスさせることができていた。

アマンダ・リプリーは著書『生き残る判断 ・生き残れない行動』の中で"回復力"について述べている。

回復力は貴重なスキルである。回復力がある人は、三つの潜在的な長所も備わっている傾向がある。人生で起こることに自らが影響を及ぼせるという信念。人生に波乱が起きてもそこに意義深い目的を見いだす傾向。いい経験からも嫌な経験からも学ぶことができるという確信。このような信念は、一種の緩衝材として、いかなる災害の打撃をも和らげてくれる。

ということは、自分にはその貴重なスキルの回復力があったんだろうか?

その当時、花留さんはMelbourneに滞在し、アルバイトをしながらシェアハウスに住んでいた。でも、落ち着いて暮らせるようになるまでには、楽しい波乱万丈が次々と舞い込んできた。それこそ、日本で守られて暮らしていたら経験できないことばかりだ。

職業案内所に仕事を探しに行っても、日本人ということで面接までこぎ着けない。隣町の職業案内所にまで行って、頼み込んで面接にこぎ着けたこともあった。

皿洗いのアルバイトでは、食洗機の使い方を誤ってお皿を全部割ってしまった。

工場で服飾メーカーのアイロンかけのアルバイトをしていた時は、南米からの移民女性と掴み合いの大喧嘩したこともある。

他にも挙げていたらキリがないけれど、ただ何が起きても全てが楽しくてしかなかった。自分がどうやってこの難局を乗りきるのか、自分の可能性をみることが楽しかった。

思えばあの頃は、根拠のない自信があって、自己肯定感が一番高かったのかも知れない。

「自分は大丈夫!自分はできる!」

あの頃の自分は、傲慢なくらいに自信に溢れていて、日本人同士でつるんでいる人たちを下に見ていた。可愛くなかった。

・・・

しかし、この傲慢な奴らというのは、他人の評価よりも自分に対する自己評価が高くて、自己陶酔しがちな傾向があるらしい。

あわあわ

恥ずかしいけれど、当時、「自分はみんなと違う」と思っていたなあ。

でもこの傲慢な自信家は、平常時は、単なるはた迷惑な人間だけれど、危機的な状況ではうまく適応できる人になるらしい。

よほど傲慢な自信家だったのか、花留さんはオーストラリア帰りに寄った中国でまさかの交通事故に遭ってしまった。

異国で入院、手術となったけれど、この危機的な状況を思う存分楽しむ自分を実感した。

・・・

あれから年齢があがるほどに、段々と傲慢な自信は目減りしていき、どこからか、臆病な自分が姿を見せるようになった。

臆病がピークになったのは、看護師を辞めようと思った56歳の時だった。

自己肯定感はゼロでからっぽ。

でも、ゼロになってしまったから、自分にできるのは、また、一から自信を積んでいくことだった。

若い頃みたいに傲慢な自信はいらないので、少しくらい臆病でもいいから、可愛げのある自信家になって、これからもユルユル暮らしたいもんだ。