気遣いにも匙加減
秋初月規則正しい猫の息
別に気遣いをするのは悪いことではないし、気遣いをされるのも嫌いでもありません。
ただ、度が過ぎる気遣いは、される側の心の消耗が比例して増加する気がします。
ある若い女子スタッフ。目上のわたしに気を使っているのか、性分なのか、常に気遣いのアンテナをピンと張っていて、わたしが立ち上がろうとしたら慌てて立ち上がり、やろうとしていたことを掠め取っていきます。
お見事!お前はとんびかい!
「あっ、ありがとう」と言うのですが、妙に落ち着きません。
休憩を取るのも、弁当を食べるのも、仕事を始めるのも、トイレに行くのも、目上であるこちらの動きを見ながら行動するのです。
影武者かい!
しかし、彼女には全く悪気はなく、そうすることが目上の先輩に対する礼儀、気遣いだと信じているようです。
ただ、常に見張られているようで疲れます。ほどよい気遣いは人間関係の潤滑油にもなりますし、嬉しいものです。でも、度が過ぎる気遣いは肩が凝ります。
その気遣いの彼女、実は気遣いの使い分けをちゃんとやっていました。気遣いする相手は限定されていました。
わたしは彼女の気遣いの篩に引っ掛かったということかしら。目上だから?怒らすと厄介そうだから?まさか、尊敬してる?
気遣いの匙加減
幾つになっても料理の匙加減は苦手ですが、心の指先の感覚は衰えていないつもりなのでさりげない気遣いを心がけたいです。
て言うか、相手に気遣いさせない自分になる方が先やろう、と反省したのでした。
そんな反省からウン年、全く気遣いされないこともあれば、もうガッチガチに気遣いされまくりのこともあります。
人と人のマッチングやなあ~、と考えている横で猫が寝ています。規則正しい寝息は心を落ち着かせてくれます。
まだまだ秋とは信じられませんが、もう少し涼しくなったら自転車を漕いで、海の方へとスケッチに行きたいです。
スケッチ帖と鉛筆、それから熱い珈琲を持参しよう。最近、スノーピークのボトルを愛用しているけれど、本当に温度が保たれていてびっくりです。