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致死率100%

「致死率100%!」なんて言われるとドキッとするが、何てことない、わたしたち人間は、誰もが致死率100%なのだ。

近年の医療の進歩は素晴らしく、癌になった人の10年生存率も飛躍的に向上している。

それでも、寿命がくれば人間は、必ず死ぬ。致死率100%。最初に見つけた病気で死なないだけであって、その病気を根治しても、次の病気に罹るかもしれない。

知り合いの医者には、脳血管疾患で死ぬより癌で死ぬ方がいいと言う人が多い。くも膜下出血のように急に脳が破壊されてしまって、大切な人と最期の言葉も交わせられないのは嫌だと。

それよりは、たとえ僅かな時間であっても、死への準備ができる時間がある方がいいと。

それに癌を専門とする医者は、最初に診断をされた病名が1番楽に死ねそうとも。それを聞いて、「下手に弄りまわさない方が良さそうやな」と思った。でも、それから15年近く経ったし、医学も進歩している。

ただ、医学は進歩しても、わたしも気持ちはそんなに進歩してないので、やはり弄りまわしたくない。

わたしの母は、くも膜下出血で倒れ、健全な意識が戻らずに亡くなった。わたしの父は、何度となく生死をさまよう病気に見舞われ、時には大ボケもしたけれど、最後まで自分の意思で言葉を発していた。

どちらも「致死率100%」の死に向かって生きていたし、死んで、焼かれて白骨になったら同じに見える。

ただ、母は、自分の意思が表出できなかったために、残された家族や親族の意思が想いが尊重されてしまい、何度も頭の手術をした。

「痛い!」と感じることは出来ても、それを言葉に変換することが出来なかった。

まるで、筋弛緩剤を投与された患者の麻酔が切れたような、恐怖のなかの苦痛だ。麻酔が効かないので痛い。でも、筋肉が弛緩しているので声を発することが出来ない。

そんな、わたしには想像も出来ないような、苦痛と恐怖のなかで何度も手術を受けた母。

わたしなら、最初にくも膜下出血を発症した瞬間に死んでいたい。そりゃあ、言い残したこともたくさんあって、心残りだろう。

でも、所詮は数年、数十年の違いだ。いづれ死んでしまう「致死率100%」の人生だ。

母は、最後は肺炎と診断された。

とっくの昔に意識は失くなっていたし、経口摂取も出来なくて、持続点滴がぶら下がっていた。無表情な看護師が定期的に点滴交換に来るだけだった。

母は社会的には生きていた。カルテがあって管理されていた。でも、家族の暮らしの中に母の居場所も存在理由も失くなっていた。

死ぬまで生きるしかない。でも、自分なりの死に時はあると思う。

自分にとっての "理想の死に時" を見逃さないようにしたい。