月夜の海月
どうも、美味しいものを食べても、心から「美味しい~」と思えないし、愉快な話しを聞いても、心から「おもしろいね~」と思えない自分がいます。
というか、どこかで感情を抑制している自分です。でも、誰に遠慮しているのかな。
わたしが病気や事故をして何年もリハビリをしていた時、誰もわたしに遠慮なんかせずに人生を楽しんでいたし、それを見てわたしは嫌な気持ちにもならなかった。むしろ、早く元気になりたいと思ったもんです。
比べるのがおかしいかもしれませんが、少しでも早く、世界から不条理な暴力がなくなることを願います。
そして、毎日、猫といっしょに布団で寝れる日常に感謝です。
水槽のくらげや月夜懐かしみ
(すいそうの くらげやつきよ なつかしみ)
季語は「海月」です。
以前撮った写真を眺めていたら、海月が出てきました。竜串にオープンした水族館です。地方の水族館なので魚の種類も数も少なく、大きな水槽もスカスカでした。
所詮は田舎の水族館やし、と思っていたら、海月のコーナーがありました。美しくもあり禍々しくもある、神秘的な海月を飽きもせず眺めました。
海の月と書いて"くらげ"と読む海月。もしかしたら、今でも月夜を懐かしみながら、狭い水槽のなかを泳いでいるのかな。
夏になると、海沿いの道の駅では海月を販売しています。買ってきたいけれど、もしも、死んで溶けてしまったら怖い。
ここで、怖い俳句の先輩より「月」が季語、季重なりと指摘がありました。
人工物に囲まれての暮らし、自然を懐かしむ海月を詠みたかったのですが、なかなか。
水槽のくらげや潮の香懐かしみ
水槽の死んだ海月は取り替えて
(すいそうの しんだくらげは とりかえて)
もしかしたら、水槽で生まれ育った海月は、本物の海も、本物の月の夜も知らないのかもしれません。
知りたいのかな。知らないほうが幸せかな。管理された水槽しか知らずに、一生を終える海月たち。
死んだら取り除いて、また新しい海月が入れられる。なにも知らない、知ろうとしない、知らないふりして、追加された海月を楽しむ人間たち。
人生を綺麗事で終わらせたくないな。もし、綺麗事で終わらせたいなら、目も耳も、心もとことん塞ぐ覚悟がいる。