母の目元

「今日のスペインの天気は晴れやね」って、毎朝、テレビで世界の天気を見るのが両親の楽しみだった、と帰国して知った。

特に、わたしの母は1度も行ったことがないスペインに思いを馳せ、欠かさず天気予報をチェックしていたらしい。スペインどころか外国にも行ったことがない母だったが、娘が滞在している国は、母にとっても大切な場であったのだろう。

実体のある娘がいるとギクシャクする実家、でも、娘がいないと、何となく調和が取れている、不思議なわが家だった。

実体を伴わない娘は陽気で、笑って話をする母の理想の娘だったようで、もしかしたら、母の幸せが一番大きく膨らんでいた時期は、わたしが不在の時だったのかもしれない。

母の幻想の中の娘は、さぞや可愛かったことだろう。それが悲しいとか、寂しいとか思わない。幻想でも、幸せは幸せだ。

そんな幻想の幸せに浸っていた、母の年齢を追い越して判ったことは、母は幸せだったに違いないということ。

遠い異国の地で、ひとりアパートを見つけ、語学学校に通っている娘がいる。しかもその娘は自分の娘だ。その事実は、たとえ不仲な母娘でも変わらない。

「娘の花留さん、スペイン留学してるって、スゴいですね~」

近所の人やボランティア仲間にそう言われるたびに、母の幸せの風船🎈はどんどん大きく膨らんだことだろう。

見栄もあったかもしれないけれど、娘を思う親の気持ち、他者を愛おしむ気持ちを味わうことのできた母は、やっぱり幸せだ。

若い頃には、「自分が!」と自分にばっかり意識が向いてしまいがちだけれど、自分が!から「他者」に意識が向いてくると、幸せの質も量も豊かで、濃くなってくる。

他者の幸せを願う思いが、自分の中で増幅し熟成されて、どんどんとうま味を増していくみたい。

まあ、田舎者の母のイメージは、ウイスキーとかワインではなく、「お出汁」のうま味が増してくる感じ。

そう思えば、わたしって何のうま味も増してない気がする。強いて言えば、猫のマールに対する愛情という名の「お出汁」が出ているかなあ。

電気ストーブにお尻を向けて寝ている、愛猫マールを眺めるわたし。優しくなった自分の目元に気づいて、ふと、母の目元を想像して気持ちが緩んだ。


イラストは、wakotoさんのものです。イラストは「冬」のイメージのようですが、お天気が悪くて、雨になりそうな雰囲気にぴったりな気がして選びました。