プラマイプラス
「プラマイゼロじゃあダメよ!プラスでないとね(ニッコリ)」
とある駐輪場のひと場面。
NHK番組「ドキュメント72時間」に出ていた70歳前後の女性が答えた。肌年齢は42歳と、少し自慢げな表情が憎めない。
"山あり谷ありの人生"を送って様子の彼女、 肌も心意気もピカ一に光っていた。
「トントンでいいや」と思っていたわたし。人生もプラマイゼロで「終わりよければ全て良し!」で、これまでのしんどさも、辛さもオセロをひっくり返すみたいに、最期の時に白黒トントンならいいやと。
でも、彼女は「プラス」であることに拘っていた。その貪欲さに惹かれた。
あまりガツガツ前向きな生き方は、見苦しいというか、暑苦しくて好きじゃない。見栄を張るわたしは、水面下では足掻きながらも、決して水面は動かさない、冷静さを保つのをよしとする。
ほんとうに見栄っ張り。
でも、見栄を張れるわたしは恵まれていたのかもしれない。
人より遅めのスタートだったけれど、看護師資格を取得して、20年間働いた。労働環境の過酷さから計算すると低い時給。
それでも、「趣味は仕事です」と必死こいて働いて、貯金も人並みに追い付いた。
経済的な安心感、思いきり見栄を張るための土台になる。もちろん先のことは判らない。でも、わたしがポシャる社会なら、他の人も同様にポシャるから怖くない。
ただ、「ドキュメント72時間」で取りあげられていた人たちもそうだし、わたしの同僚もそうだが、70歳を過ぎても生活のために働く必要がある社会って、しんどい。
自助の先に共助や公助があるのかもしれないけれど、受けられるか分からない共助や公助なんて当てに出来ない。
50年近くも(定年退職後も再雇用)正看護師として働いて、退職した翌年は税金が高いと、税金を払うために働く。
定年退職後の再雇用で10年も働いたら、免除とかお目こぼしとか、そんな優しさは行政にないのかしら。
彼女のお財布事情は分からないが、看護師として働いたのなら厚生年金も支給されるし、少しは貯金も出来る手取りだろう。それともわたしが社会の裏側を知らないだけかしら。
明日は選挙だ。
どっかの政党が「公助」を叫んでいた。財源確保の方策がはっきり見えないが、心も懐も潤わないと、仕事をバリバリして税金を納めようという気持ちにならない。
バラマキは反対だが、適所へピンポイントでお金が届くことを願う。
プラマイゼロどころか、プラマイマイナスで我慢を強要する政府は嫌だなあ。