力を抜く
秋桜や逆らわずただ風に揺れ
くそ真面目で負けん気が強くて、いつも緊張していた。肩や背中に力が入って、小学生の頃から肩こりと頭痛が酷かった。
母に肩を揉んでもらい、バファリンを飲み、肩には湿布を貼った。10代ですでにババアの身体だった。
真面目が悪いわけではない。でも、あんまり真面目すぎると自然じゃない。不自然だ。
風に揺れる草木を見ても、どれもギクシャクすることなく、風に吹かれるまま、自然体で揺れている。だから見ていても心地いい。
負けたらあかん。頑張らんと。その気持ちが身体を強張らせ硬くする。だから、やること成すことギクシャクするし、ちぐはぐだ。
身体が強張り緊張すると、喉が締まってきて息苦しいし、声も出ない。だから、助けてと言えなくて独りになってくる。
身体の強張りが頭にまでいって、思考もガチガチになる。ロクなことを考えない。
じゃあ、いつ頃、身体の力を抜くことが出来だしたっけ?豪州でカンフーを習い始めて、しばらくしてからだったかなあ。
相手を蹴ったり、パンチをしたりするには、力を入れっぱなしではうまく出来ない。力を入れる、抜くが大切だ。そこに呼吸を合わせていく。
人を好きになった時も、押したり引いたりが大事なのと同じ。風が吹いても吹きっぱなしではない。強弱や緩急がある。それが自然。
いつも家族に、世間に怒ってばかり、戦いを挑んでばかりの人がいる。きっと凄い頑張り屋さんで真面目だ。でも、いつも緊張して、いつも疲れているみたいで可哀想。
緊張することは案外簡単だ。でも、力を抜くのは難しい。心電図をとる時、力を抜いてと言われると力が入ってしまう。
力を抜く。ゆるめる。
自然と繋がる。
最近、前よりもうまく出来るようになった。何よりも、だらだらできるようになった。
最近のあたしは頭痛と肩こりが減ってバファリンを飲まないし、湿布も滅多に貼らない。どうも小学生の頃が一番老けていたなあ。
県外から遊びに来ていた若者、台風の高波に流されてしまったらしい。ふと、昔、父から「波はいつも同じ高さではなくて、何回かに一回は高い波が来るき、気を付けなあかん」と教えられたことを思い出しました。
管理された、不自然に整然とした社会、ばらつきのない均一な世界に暮らすことに慣れてくると、自然のリズムを忘れてしまうのだろうか。そんなことを思いながら今日のnoteを書きました。