優しさという波紋
社会って、そんなに自分を拒絶しているか、社会って、そんなに自分に冷たいか。
実際には、社会ってそれほど単純でないし、それほど暇でもない。いちいち、自分のことばっかり構ってくれる訳でもない。
つい、勝ち負けに拘るわたしは、勝つことに価値を感じてしまいがちだ。勝ち負けに拘らない、と云う生き方よりも、生きるモチベーションが高まる気がする。
でも、勝ち負けには、勝者と敗者がいるし、いつも自分が勝者だとは限らない。高い確率でもって、敗者のこともある。そうなると、勝つために生きることになる。
それは、しんどい
勝つために勉強する。勝つために仕事をすると云う生き方は、前向きな感じもするけれど窮屈だし、限界がある。
それよりも、勝たない生き方の方が面白そうそうだし、無限な感じがする。
勝たないから勝者も敗者もない。誰かを蹴落とすこともない。自分が好きなことを好きなだけ、好きなときに、学んだり、やったり、自分を高めることが自分も周りの人も幸福にする。
まあ、勝者みたいな凄いパフォーマンスとは違うから、影響力は小さいかもしれない。
それでも、小さな波紋のような幸せかもしれないけれど、きっと届くと思う。
それは、優しさという波紋だろう。
イラストは、darazさんのものです。生きづらいなあ~って思ってしまう、この世界。世界は、いろんな価値観の集合体。生きやすくするには、世界を変えるか、自分が変わるか。変えられない自分は弱者で、生きている価値がないのか。花粉症で巣籠もりすると、なんやかやと妄想してしまいます。