冬めける冬
妙に疲れていて、ゴロゴロしながら五七五で気晴らしをした時にできた句です。
疲れるし、肩や首の張った感じもあります。でも、そろそろ60日あまり、頭痛薬を飲んでいません。
頭が重たい、グワングワンなりそう、という頭痛の前兆はありますが、そこですかさず、自家製のCHAIを飲みます。
市販のカロリー半分のカフェオレに、粉末の生姜、秋ウコン、黒胡椒、シナモン。それをぐっと飲むと、ぽかぽかしてきて頭痛が引いていくのです。
たまたまかもしれませんが、たまたまでも、60日もたまたまが続いたら、もう、たまたま様々です(大笑)。
とまあ、ゴロゴロしながら詠んだ句です。
料理本まねて作れど日短
(りょうりほん まねてつくれど ひ みじか)
季語は「日短」です。料理本を真似て料理をやってみたけれど、虚しいなあ、何て言うか切ないなあ。そんな気持ちの句です。
冬の日暮れは早くて、あっという間に一日が終わる。あっという間に一日が過ぎて、充実しているというより、「日、短か」みたいな感じです。
一階の父の放屁や柊挿す
(いっかいの ちちのほうへや ひいらぎさす)
季語は「柊挿す」で、節分にまつわる季語だそうです。
我が家ではやったことがありませんが、柊の枝に鰯の頭を刺し、戸口に挿す風習でして、柊の棘と鰯の悪臭で鬼を追い払います。
まだ父が元気だった頃、父を自分の家に迎え入れました。わたしが使っていた一階にある部屋を父に譲り、二階へお引っ越し。
シンプルに部屋数が少なくて、ちゃんとした扉がある部屋は一階しかありません。
父のプライバシー保護のために譲り渡して、二階のロフトで寝起きすることにしました。
俳句を始めて知ったのですが、どうも俳句の世界は不思議な世界のようで、季語以外にも不思議な力を持つ言葉があるそうです。
そのひとつが「二階」です。どうやら一階は地上であり、現実の世界ですが、二階は異界らしいのです。
わたしは異界である二階から、現実の世界に住む父を介護していたんですね。
でも、老々介護をしていた当時は、父の居る一階が異質な世界で、そこに棲む父が異様な存在に思えたもんです。
だから、寝返りをうったり、おならしたり、寝言を言ったり、そんな生きている証自体が疎ましく感じたこともありました。
あの頃は柊を挿すなんて知らなかったので、ひたすら消臭剤を振り撒いていました(笑)。
よくあの状況から、仲良し父娘になれたもんです。もちろん、相思相愛というより、いい距離感が掴めただけですけれど。
我さそう猫とおにごっこ日短
(われさそふ ねことおにごつこ ひ みじか)
季語は「日短」です。ちょっとオドロオドロしい句でしたので、同じ季語ですが、可愛い句にしてみました。
猫のマールは、気が向くとおにごっこをやりたがって、わたしを誘ってきます。
玄関から庭に出て、いつも通りに塀に登ったと思ったら、全速力で家に駆け込み、二階へダダダっと駆け上がっていきます。
ウォークインクローゼットの隅っこに隠れ、わたしが見つけにくるのを待ちます。
見つかったのが分かると大はしゃぎ、全力で一階に駆け降りていきます。何が楽しいのか分かりませんが、飽きるまで止めません。
わたしの方が疲れてくると、こっそり物音を立てずに扉の内側で待ちます。「あら?」と思ったマールが探しにきたところで、突然、「バー」と驚かせてやると、またもや、大はしゃぎです。
そんなことをしていると、いつの間にか日が傾き始めています。まっこと日が短くて忙しないことです。
襟に首うずめゆく人冬めける
(えりにくび うずめゆくひと ふゆめける)
季語は「冬めける」です。これは、たぶん、ありきたりでパンチにかける句と言われそうですが、ありきたりの冬の光景を詠んでみました。
寒い毎日、思わず襟に首をうずめて、冬や~という感じです。こんな日には、ホットCHAIですね。