わたしで生きる(夢も目標もなくても、生きているだけでいい)
「みんな、ちゃ~んと夢とか目標を持って、バリバリやってるのにあたしにはない~」
そう言われると、意地の悪い性格が出てくる花留さんだ。ついつい、言ってしまう。
「みんなって?」「ちゃんとって?」
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自己啓発とかコーチングに関心がある人が、花留さんのまわりにも結構な人数いる。
花留さん自身も生きづらくて仕方がなかった時には、藁にもすがる思いでカーネギーやらナポレオン・ヒルやらアドラー、、う~ん、もう数えきれないくらいの本を読んだ。
夢や目標を見つける前に、目を酷使しすぎて夢も目標も霞んで見えなくなる。そのくらい何冊も読んだからといって夢とか目標が見つかったかというと、見つからなかった。
ただ思ったのは、生きるエネルギーが目減りしている時に、自己啓発本を読みすぎると、夢も描けない自分、目標もない自分がとても惨めで、つまらない価値のない人間に見えてきて、よけいに生きるエネルギーが減ってしまう。
だから、しんどい時は、夢とか目標を無理に持とうとしないこと。無理しなくても自分が満たされてきたら、ちゃんと自分から夢とか目標が欲しくなって動き出す。
動き出すことで夢や目標が見つかるかもしれない。
「夢や目標を持たなくては!」と考えると、自分の脳は、「ああ、あたしには夢も目標もないんや、ショボい人間やなあ~」と余計に自覚してしまうと花留さんは思っている。
そんなことを考えて悶々するくらいなら、何でもいいからやってみる。
やりがいとか生きがいとか、やりたいことを見つけるのもいいけれど、それがなくたって行動することはできるし、人間、動いていないと心が澱んできて、ろくなことを考えなくなるもんだ。
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元伊藤忠商事の丹羽さんは、「夢というのは働く経験を通していろいろと出てくるものだと思います。目標は、実際に自分が働く中で作っていくしかありません。」と著書『仕事と心の流儀』に書いていて、彼の本を読んで花留さんも大きく頷いた。
まずは「動く」「行動する」ことが大切で、夢や目標が明確でなくても続けてやっているうちに、面白味とか意味や意義が分かったりしてきて、気づくと「極めてみたい」なんて思っている自分に気づいたりするもんだ。
あまり最初から気合いが入っているよりも、それくらいの方がいい気がする。
というのも、給料がいいからとか、親が看護師やっていて勧められたとかいう理由で看護学校にきた人の方が、看護師になって臨床の現場に入ると、仕事の面白さに気づいてのめり込んでいく人が多い感じがする。
新人の時には「コイツは!」と頭を抱えたくなるような夢も目標も語れない、小生意気なだけの若い看護師が、数年後、指導者として自分の看護感を語っている姿を見ると、一生懸命に目の前の仕事をしていく中で、自分の夢や目標を見つける「力」を身に付けるんだと気づかされた。
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現在、アラ還真っ只中の花留さん。
これまでの人生を振り返ってみると、叶えられた夢や叶わなかった夢の残骸が山積みだ。
叶えられなかった夢や叶わなかった夢の方が叶った夢よりも多い。でも、たとえ叶えられなくても、夢をもって、夢に向かって行動しているその「過程」、夢に向かって行動している「自分」が好きな花留さん。
強がりではなく、面白い人生の前半戦だったと思っている。次は、人生の後半戦。
まだ夢も目標も見つかってないけれど、焦らずにボチボチ動くとしますかね。