シン・エヴァで青春を終わらせてきた
私の青春が終わってしまう気がする。
だから映画館になかなか行けなかった。
エヴァは自分の不安定さを包み込む存在だった
私はエヴァンゲリオンの熱狂的なファンではない。
けど思い返すと、私の青春の中にエヴァは大きな構成要素となっていた。
エヴァの漫画を友達と貸しあって回し読んだあの頃。
「帰れ!」と先生に怒られるまで、放課後の屋上で友達とエヴァのことを話しあったあの日。
大学に入ってサブスクの動画配信サービスに登録した後も、アニメ版、映画を見返した。
そして、見るときは決まって自分自身に幻滅したり人との距離を置きたいと思っている時だった。
大人でも子供でもない中途半端な精神状態。
欲求を満たせないが故の不満。
自覚せざるを得ないコミュニケーション面の欠如。
エヴァンゲリオンは私の不安定さと結びついた。
心の壁を作って他人を寄せ付けることを拒んだ私とリンクした。
思春期を終えなければならない時期になってもずっと抜けられなかった。
本当は何が問題かわかっているのにあえてわからないふりをした私。
大人になることが怖くていつまでも子供でいたいと思い続けた私。
エヴァを見るとなぜか安心できた。
不安定な状態よりも安定した状態のほうが良いに決まってる。
けれども、不安定なままでも良い、人間だものと私を優しく包み込む。
それが私にとってのエヴァだったのかもしれない。
エヴァと共に終わる私の青春
映画を見て、私は終盤で泣いた。
たぶんそこで泣く奴はいないと思うところで泣いた。
なんだか自分が大人だってことに気づかされた気がして。
私は子供というものに必死にしがみついてきた。
けれども、もう卒業しなければいけない時が来ている。
大人は自分で責任を背負って周りにどうしてほしいかではなくて自分で決めた道を進むものだと私は考える。
そして、おぼつかない足取りだったとしても自分で歩くことを私は気づいていないだけですでに行っていた。
あぁ、私は大人になろうとしていたんだ。
14歳~15歳くらいではじめてエヴァと出会った。
そこから8年。もう学生も終わり。社会人になろうとしている。
私はあの頃の不安定さを引きずっているけれども、過去よりも責任を背負っている。自覚していなかっただけで。
責任を背負うことが怖くて足がすくんで何もできない自分はまだまだ子供だと思うけど。
私がシンジ君が大人になった姿を見て、私も同じように成長したということを気づかされた。
そして、その同時期に私の抱いていたエヴァへの共感も過去のものになった気がした。
この社会にでる数日前だからこそ、よりリアルに自分の青春はエヴァと共に終わったんだ自覚した。
今後もエヴァは何度も見るし、この映画だってあと何度か見るだろう。
その時に、私はエヴァが終わった時に感じた青春が終わったという喪失感を感じるのだろうか。
さようなら。私の学生生活。
こんにちは。前向きになれた自分。